【SF】『REWIND -巻き戻された証明-』
マスターボヌール
第1話「ノイズ」
音が死んでいた。
ヘッドフォンの中で、かつて録音された曲が流れている。ギターの歪み。ドラムの乾いたスネア。ベースラインは悪くない。でも、どこか空っぽだ。魂が抜けている。
高梨リクは再生を止め、古いMDプレイヤーを見つめた。
2024年の東京。12月。
クリスマスまであと二週間。渋谷の街はイルミネーションで輝いていて、みんな楽しそうに見えた。若いカップルがスマホを見ながら歩いている。イヤホンから漏れる音楽。たぶんYOASOBIか、Adoか、誰かの曲だろう。配信で聴く時代。CDもライブハウスも、遠い存在になった。
リクのバンドは、後者だった。
いや――バンドなんて、もう存在しない。
解散したのは半年前。メンバーは散り散りになった。ボーカルは就職し、ドラムは地元に帰り、ベースは別のバンドに移った。
残ったのはリクだけ。20歳。高卒。施設育ち。行く場所もない。
「……」
スクランブル交差点の真ん中で立ち止まる。人波が左右に分かれていく。誰も彼を見ない。誰も気づかない。透明人間になった気分だ。
ポケットの中のMDプレイヤーを握りしめる。
これだけが残っている。あの頃の、俺たちの音。
リクが「SOUND WAVE」に着いたのは、午後3時過ぎだった。
雑居ビルの地下一階。黄ばんだ蛍光灯。壁には剥がれかけたフライヤーが何枚も重なっている。LUNA SEA、黒夢、La'cryma Christi――あの時代を駆け抜けたバンドたちの残骸。
「よう、リク」
カウンターの向こうで、店主の鈴木ユウが片手を上げた。50代中半。髪は短く刈り込まれ、目には深い影がある。
「……こんにちは」
「バイト代、出すぞ。今月分」
「ありがとうございます」
リクはレジの横に置かれた封筒を受け取った。中身は確認しない。どうせ、大した額じゃない。
ユウはこの店で、中古のCDやレコードを売っている。客はほとんど来ない。リクがバイトとして雇われているのも、店の経営のためというより――
ユウの、気まぐれだろう。
「なあ、リク」
ユウがグラスを拭きながら言った。
「お前、まだギター弾いてんのか」
「……たまに」
「嘘つけ。手を見りゃわかる。弾いてねえな」
リクは自分の手を見た。
かつて弦タコで硬くなっていた指先は、今はすっかり柔らかくなっている。爪は綺麗に切り揃えられている。ギタリストの手じゃない。
「……弾く理由がないんで」
「理由ね」
ユウはグラスを棚に戻した。
「俺も昔は、そう思ってた」
「……」
「でも、弾かないと死ぬんだよ。音楽やってた人間は」
ユウの目が、遠くを見ていた。
「音楽を失った人間は――魂が死ぬ」
リクはカウンターに座り、出されたウーロン茶を見つめた。
ユウは昔、バンドをやっていたらしい。
「CIRCUIT」という名前のバンド。90年代初頭に活動していた。インディーズシーンでは、そこそこ有名だったという。
でも、今は跡形もない。
「なあ、ユウさん」
「ん?」
「ユウさんは、なんでバンドを辞めたんですか」
ユウの手が止まった。
長い沈黙のあと、彼はゆっくりと言った。
「……メンバーが死んだからだ」
リクは息を飲んだ。
「ボーカルの――藤堂アキラ。あいつが、事故で死んだ」
「事故……」
「ああ。1994年の12月。車に轢かれて、即死だった」
ユウの声は平坦だった。感情を押し殺しているような。
「それで、バンドは終わった。俺は音楽をやめた」
「……」
「でも、たまに思うんだ」
ユウは遠くを見ていた。
「あの時、何かできたんじゃないかって」
「何かって――」
「分からない。でも――何かが、間違ってた気がするんだ」
その夜、リクは自分のアパートに帰った。
六畳一間。風呂なし。家賃は月3万円。施設を出てから、ずっとここに住んでいる。
ベッドに倒れ込み、MDプレイヤーを取り出す。
ユウが昔、貸してくれたMD。CIRCUITのデモ音源が入っている。
再生ボタンを押す。
ギターの音が流れる。歪んだ、でも力強い音。そして――ボーカルの声。
≪藤堂アキラの声≫
死んだはずの男の声が、MDプレイヤーから聞こえている。
リクは目を閉じた。
音楽に身を委ねる。この音だけが、今の俺を支えている。
そして――ノイズが混じった。
「……?」
リクは目を開けた。
ホワイトノイズ。雑音。MDが古いから、劣化したのか。
でも――その雑音の中に、何かが混じっている。
声だ。
人の声。
「――リク」
心臓が止まった。
「聞こえてるか、リク」
これは――誰の声だ。
「お前には、やらなきゃいけないことがある」
リクは震える手で、音量を上げた。
「俺を――助けてくれ」
アキラの声だった。
死んだはずの、藤堂アキラの声。
「1994年12月17日。あの夜に――来てくれ」
ノイズが止んだ。
リクは呆然とMDプレイヤーを見つめた。
今の――何だ。幻聴か。それとも――
ポケットに手を入れる。何かに触れた。
取り出すと――古いチケットの半券だった。
見覚えがない。いつ、こんなものを――
チケットには、こう書かれていた。
「CIRCUIT FINAL LIVE」
「1994年12月17日」
「SOUND WAVE」
リクの手が震えた。
これは――何だ。
どうして俺が、こんなものを持っている。
その瞬間――
世界が歪んだ。
リクの視界が、ぐにゃりと曲がった。
床が傾く。壁が迫ってくる。天井が落ちてくる。
「うわっ――」
バランスを崩し、倒れ込む。
頭が痛い。吐き気がする。目が回る。
何が起きてる――
意識が遠のく。
そして――
気がつくと、リクは別の場所にいた。
「……ここは」
リクは立ち上がった。
見覚えのある場所だった。でも、何かが違う。
ライブハウス。SOUND WAVE。でも――
壁のフライヤーが、新しい。床も、綺麗だ。
「夢か……?」
周りを見渡す。誰もいない。
ステージには、機材がセットされている。ドラム。アンプ。マイクスタンド。
まるで、ライブの直前のように。
リクはポケットを探った。
チケットの半券が、まだある。
「1994年12月17日」
まさか――
リクは時計を見た。
腕時計は――1994年12月17日、午後6時30分を示していた。
「嘘だろ……」
タイムスリップ?
いや、そんなはずが――
その時、入口のドアが開いた。
「おい、誰だお前」
声がした。
リクは振り返った。
若い男が立っていた。
黒い髪。鋭い目。細身の体。
見覚えがある。この顔――
鈴木ユウだった。
若い――20代前半くらいの、ユウ。
「お前、関係者か?」
「俺は――」
言葉が出ない。
どう説明すればいい。俺は未来から来た、なんて――
「まあいい。ライブが始まる。客じゃないなら、出てってくれ」
ユウはリクを押しのけ、ステージに向かった。
リクは呆然と立ち尽くしていた。
本当に――1994年なのか。
俺は、30年前に――来たのか。
そして――
アキラが死ぬ夜に。
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