第5話 謝罪帰りのもつ煮込み定食物語
小生の名は、
文豪の名を持ちながら、物語は書けぬ。
代わりに、頭を下げる。
そして、飯を食う。
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その取引先担当者は、声が大きかった。
怒鳴る、というより、響かせる。
会議室の壁に、言葉が跳ね返り、
机の上のペン立てが、かすかに震えていた。
「どういう管理をしてるんですか!」
小生は、立ったまま、頭を下げる。
「誠に、申し訳ございません」
隣に立つ田口は、何も言わない。
言わないが、顔が忙しい。
白い。
青い。
また白い。
頬の血が、出たり引いたりしている。
表情も忙しい。
真顔、しかめ面、情けない顔。
心臓が、表に出ているみたいだった。
「あなた、本当に反省してるんですか!」
「はい。重ねて、お詫び申し上げます」
視界の端で、田口の色が切り替わる。
青。
白。
青。
白。
それを、担当が見た。
「……っ」
口元を押さえてうつむく。
「……すみません、いや……失礼……」
声の調子が崩れた。
「後ろの方……そんな顔で立たれると……」
そして、吹き出した。
怒気が、そこで、ほどけた。
「……分かりました。事情は理解しました」
そこから先は、早かった。
説明は通り、条件は飲まれ、最後は「次から気をつけてください」で終わった。
外に出た瞬間、小生は、長く息を吐いた。
「……田口」
「……うん?」
「顔、やりすぎ」
「……出ちゃってた?」
「出すぎ。百パー出てた」
田口は、自分の頬をむに、と押した。
「……制御できないんだよ。昔から」
「便利なのか不便なのか、分からん」
夜。
二人で入ったのは、駅前の小さな定食屋だった。
引き戸を開けると、味噌と生姜の匂いが、すぐ来る。
カウンターの奥で、鍋が静かに煮えている。
小生は、もつ煮込み定食。
田口も、迷わず同じもの。
ほどなくして来た盆の上には、大きめの鉢。
刻みネギ。
奥に、大根と豆腐。
湯気に、内臓と味噌の匂いが混じる。
まず、もつ。
熱い。
柔らかい。
歯を入れると、抵抗なく切れる。
脂が出る。
だが、くどくない。
「……うま」
「……だな」
次に、大根。
箸で触れただけで、崩れる。
中まで、色が染みている。
舌に乗せると、汁が広がる。
味噌。出汁。生姜。
白飯をひと口。
もつの脂を受け止める。
「……今日さ」
「……うん」
「田口の顔で、全部持ってかれたよな」
「……俺、何もしてないけどな」
「してた。めちゃくちゃしてた」
「……体調悪いだけ」
「嘘つけ」
もつを一つ、噛む。
とろけて、消える。
「……いや、でも」
小生は、箸を止めた。
「……本気で思った。表情ひとつで、人の怒りって抜けるんだな」
「……俺、怒らせる専門だけど」
「今日は鎮めてた」
田口は、少し考えてから呟いた。
「……謝ってる文谷とセットじゃないと、多分ただの病人だよ」
小生は、吹きそうになって、誤魔化すように飯を口に入れた。
鉢の底をすくう。
豆腐が、汁を吸って茶色く染まっている。
それを飯に乗せて食う。
妙に、落ち着く。
「……しかし」
「……うん」
「俺は頭を下げることしかできないのに」
「……十分じゃないか?」
「田口は立ってるだけなのに」
「……立つのは、得意だから」
二人で、もつを噛む。
味噌の匂いと、湯気と、夜。
「……俺ってさ」
「……うん」
「謝って、働いて、食ってるだけな気がする」
「……俺も、同じだよ」
田口は、最後に味噌汁を飲んだ。
「……また組もうな」
「当たり前だろ」
「……顔色、出しまくるよ」
「抑えろ」
田口は、ほんの少しだけ笑った。
外に出ると、夜は静かだった。
怒声も、蛍光灯もない。
腹の奥だけが、温かい。
もつ煮は、小生の中で、まだ煮えている。
- 完 -
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