第六一話 幸せになって

☆午後三時十五分 パイレーツ・ベース 医務室


 わたしの目の前で、哲也さんは眠り続けている。脂汗で濡れた何処か苦しげな表情を尻目に、木野先生は黙々と己の出来る事を続けていた。


「……わたしの超能力では、癒せない?」

「馬鹿を言うな。その超能力で苦しんでいるんだ。何が起きるか分からんぞ」


 手を動かしながら素早く断ったその言葉は、やり場のない感情を孕んでいる様にも感じられた。


「取り敢えず、今後数日は絶対安静だ。治るかどうかはコイツ次第だろうな」


 一通りの処置を終え、先生は回転椅子に座るとコーヒーの缶を開く。ゴクゴクと飲み干したその表情は、ブラックコーヒーのように苦い。


「石堂喫茶のコーヒー、これで最後か。売ってればいいんだが」

 

 缶をゴミ箱に綺麗に投げ入れ、立ち上がった木野先生。わたしに背を向け、部屋の外に出ていく。


「暦、暫くここにいるらしい。少しだけ、見ていてくれないか」


 丁度、外での演習も一段落ついたのだろう。外から聞こえた守衛への言葉を最後に、病室は暫しの沈黙に包まれた。


(……どうしてなんだろう)


 気付けば、わたしは物思いに耽っていた。何故、人はこうも残酷になれるのか。何故、哲也さんがこんな運命を背負ってしまったのか。そして……


(それでも、何で哲也さんは折れないの?)


 それでも、生きたい。瀕死の哲也さんからは、そんな強い意志をひしひしと感じられた─


++++++++++++


 熱い、痛い、苦しい。それでも、ぼく達は止まる事が出来なかった。


「走って!! 止まらないで!!」


 暗闇の中、轟々と燃え盛る街。逃げ惑うぼく達の視界の隅で、人型をした焼き焦げた何かが死への恐怖と苦しみに踊り狂っていた。それらが何であるか、確かめる暇も、する必要もない。


 藻掻き苦しむ影達を次々と飲み込みながら、業火はぼく達に迫る。ぼく達はヒビ割れ、高温に溶けかけた道路を走り続けた。


 手を半ば無理矢理引かれ、熱い空気に肺を焼かれるこの感覚。


 あぁ、いつもの夢だ。だからこそ、ぼくは絶望した。


 頭上から、鈍い音と共に火の粉が振りかかる。何事かと見上げた時、ぼく達の頭上には燃え盛る大質量が迫っていた。


 瞬間、ぼくは突き飛ばされ、目の前を灼熱が踏み潰した。理由は分からない。けれど、ぼくは悲鳴を上げながら燃え盛る瓦礫へと突進するのだ。


「来ちゃ、来ちゃ駄目……!!」


 瓦礫の下から、ぼくを突き飛ばした人が悲痛な声で叫ぶ。その断末魔に、ぼくはますます逃げられない。


「嫌だ、嫌だよ!! 一緒に逃げようよ!!」


 涙を流し、ぼくは叫んでいるらしい。滑稽なものだと自嘲した。ぼくは、目覚める頃には恩人の顔さえ上手く思い出せないというのに。


「我儘言わないで!! もうわたしは助からない!! だから、お願い!! 良い子なら聞いて!!」


 やめてくれ。ぼくは思い出せないのに。あなたが何者かも、どうしてあの日助けてくれたのかも、そして、どうしてこんな目に合ってしまったのかも─


「絶対に、幸せになって」


++++++++++++


 ☆午後三時二五分 パイレーツ・ベース 医務室


 脂汗の中、ぼくは目を開く。身動きの一つも取れないほどに弱り切った体に、顔を覆う酸素マスク、そして、アルコール消毒の嫌な匂い。それらの事実が、ぼくに残酷な現実を告げていた。


「ぼくは、負けたのか」


 ぼくの手を握る暦、そして、今戻ってきたであろう木野飛彩の姿。ぼくは無様にも敗れ、勝者の手により助けられていたらしかった。


「……悔しいけど、今回はありがとうとしか言いようがないね」


 その言葉が癪に障ったのか、飛彩は不機嫌そうな顔を浮かべ、視線を反らす。それとは対照的に、暦はまるで探るような眼差しをぼくに向けていた。


「あの人、誰なの?」


 ぼくとシスしか知らない筈の夢が、暦の口から出てきた。その事実に一瞬固まり、そして一瞬で納得する。


「まさか、超能力を使ったのか?」


 咎めるような飛彩の言葉に、暦は首を横に振る。


「手を握ったら、勝手に記憶が流れ込んできた。わざとじゃないと思う」


 買ってきたであろうコーヒー缶を開け、嘆息する飛彩。暦は気にすることなく続けた。


「あの人を、裏切りたくないの?」


 デリカシーのない言葉に、ぼくの心に怒りが沸々と沸き上がる。内心を脅かそうとした相手に怒鳴り付けようすれば、肺からの激痛が咎める。ゲホゲホと咳き込み、赤く染まる酸素マスク。飛彩は舌打ちし、取り換え用の酸素マスクを取りに走り去った。


「……ごめん」


 無表情に、申し訳無いという感情が浮かんでいる。咎められ、宥められたぼくは落ち着いてしまったらしい。気付けば、ぼくはぼくらしくない、『本音』を語っていた。


「どうでも良いよ。ぼくは、ただ気持ち良く生きたいだけだ」


 乱れた息を整え、続ける。


「あの人が誰なのか、ぼくには分からない。けれど、最期の最期に、ぼくが幸せになって欲しいと言ってくれたのは確かなんだ」


 意外そうな表情の暦。その手は、相変わらずぼくの掌を優しく握り続けていた。


「ぼくは、普通が欲しい。あの人が誰か、思い出したい。死ぬ時は、悔いなく死にたい。……これで、満足?」


 焦れったい暦の手をそっと払い、ぼくはもう一度瞼を閉じた。

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