第十二話 脱走

☆五月十七日 午後十時 天保山軍病院病室

 

〈パリに怪獣出現 凱旋門倒壊〉

〈怪楽会の猛威 謎のボスの正体に迫る〉

〈怪獣災害難民 合計二十億人突破〉


「……何やっているんだ、俺は」


 独り言が、消灯時間を迎えた病室に響く。今、こうしてベッドの上でネットニュースを見ている間も世界は脅威に晒されている。多くの罪無き人々は、理不尽にも故郷を追われ、家族を失い、悲鳴をあげていた。


(僕は友達として、寄り添うことはできると思うんだ)

「何で俺が生き延びてしまったんだろうな」


 恥ずかしい。こんな怪我一つで、何もできなくなるなんて。薫なら、こんな時どうするのだろう。あいつは、戦えないなりに精一杯俺を思いやり、手を差し伸べてくれた。それなのに、戦える俺は……


「……違う、違うよな」


 ゆっくりと起き上がり、片腕に力を込める。包帯の下で激痛が走り、俺は顔を顰めた。だが、妥協はできない。明日、早速リハビリを開始するようお願いしてみよう。


 不意に、聞き慣れぬ足音が聞こえた。夜の見回りにしてはやけに無遠慮……というよりは、何処か幼い感じがした。


 痛みに耐え、廊下に出る。静かな暗闇が広がっていた。


(……見回りさんじゃないのか?)


 ラウンジから、物音が聞こえてくる。


「まさか、な」

(安い葬儀屋、後で家族さんに紹介しとくわ)


 一週間前が脳裏によぎる。目を付けられていない筈がない。なら、人を呼ぶか? いや駄目だ。刺客なら銃は持っている。下手に人を呼べばどうなる? また犠牲を出すつもりか?


「……行くしかないか」


 バクバクという鼓動に、物音が重なる。極限の緊張の中、俺はラウンジの暗闇の中で自販機を物色する人影を見た。


「そこで、何をしてるんだ?」

 

 瞬間、白と黒のオッドアイと目が合った。何処までも静かで、平然とした視線が俺を貫く。忘れる筈が無かった。

 

 物音の正体─津上暦は静かにこちらを見つめていた。

 

「……あなたは」


 固まる俺に、暦は平然とした声を掛ける。口が開かなかった。どうしてここに、一体何を。疑問同士がぶつかり合い、言葉にならない。


 直後、思い出したかのように激痛が迸った。


「あっ、うげっ……!!」


 バランスを崩し、壁にもたれ掛かる。暦の表情は動かない。無表情で歩み寄る。


「痛いの?」

「え?」


 俺の片腕を、暦の右掌が優しく包み込む。瞬間、『光』が包帯を明るく、優しく染め上げる。理解出来ない。あり得ない。だが実際、目の前で起こっていた。


「……治った?」


 恐る恐る力を込める。痛い、だが、動く。半年は動かないと言われたのに。


(オレの足が急に治ったんだ)


 ロビーの会話が脳裏によぎる。暦なのか? あれは、暦だったのか? 困惑と衝撃の中、暦の表情は変わらない。さもそれが『当たり前』のように背を向け、沈黙のまま歩き出す。

 

 刹那、彼女は激しく咳き込み、糸の切れた操り人形のように倒れ伏した。


「お、おい!?」


 抱き止めた片腕に赤黒い血がこびり付く。苦しげな呼吸の中、口からは血が垂れる。


「……いかなきゃ」


 心配を尻目に、立ち上がる暦。次の瞬間、突然走り出し、開いた窓から飛び降りる。


「あっ、おいっ!!」


 咄嗟に窓へ駆け寄る。高さ五メートルの風が頬を撫でた。暦はどうなった? 無事なのか? そして、これがみんなに知られたらどうなる? 


「……やるしかないか」


 痛みに顔を歪め、包帯を剥ぎ取る。深呼吸を三回。覚悟を決め、床を蹴って窓から飛び降りた。


 ☆午後十時二五分 港区市街地


 血が止まらない。走る度に胸がズキズキする。視界がクラクラと揺れる。力を使いすぎたわたしは苦しみながらも夜の街を走り続ける。


(お前にはやる事があるだろう)


 また声が聞こえる。どこからだろう? 誰なんだろう? そんな疑問も直ぐに消えた。


 そう言う物だ。きっとわたしはそういう存在なのだ……


〈石ノイシノヤ公園〉

 

 いつも通り、わたしはよろめきながらも茂みに入っていく。


 三匹の子猫は鳴きながらわたしの足に縋り付く。とても嬉しそうだった。何故だろう。当たり前の事をしているだけなのに。そっと引き離し、ミルクを片手に注ぐ。三匹はお尻を揃えて群がった。


「お腹、空いてたの?」


 その時、わたしは一匹の足が赤く濡れていることに気付く。そっと持ち上げ、右掌をかざす。光と共に、視界がさらにぼやけた。息苦しさと共によろめく。


 瞬間、わたしは誰かの腕に支えられた。


「大丈夫か?」


 振り返ったわたしの目に映ったのは、さっきの男の人だった。



 

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