2 ルドヴィック、潰される 

「はぁー、マジで無駄に力を使わせんなよ。おい、そこのお前。化け物とは失礼だぞ。悪の頂、と呼んでくれよ」


 そう言いながら、俺は門の奥へ進んだ。加減はしておいた。あの騎士は殺すほどの悪でもない。

 今夜の本命は――この屋敷の中にいるのだから。



 屋敷に踏み込んだ瞬間、嫌な音が響いた。

 乾いた音だ。人の頬を殴る音。音に導かれて向かった先は大食堂だった。大理石のテーブルには、銀の皿に積まれた大量の肉とマッシュポテト、空になった酒瓶がテーブルを埋めている。


 腹の出た体を揺らしながら、ルドヴィックがメイドの髪を掴み、壁に押し付けていた。

 女の頬は腫れ上がり、片目は涙で濡れている。


「逃げるなと言っただろう。平民風情がこの俺に逆らうな!」


 メイドは震える指で胸元を押さえ、必死に身を丸めていた。

 肩口の布は裂け、紫色の痣が浮いている。


「もう少し大人しくしていろ。お前の親がどうなってもいいのか?」


 ルドヴィックからは、大量の酒と肉を食らった不快な口臭が漂ってくる。


(まるで、排水溝のニオイだろ。しかし、怠惰な体つきだな……野菜食えよ、ほんと。悪は美しくなきゃ価値がないんだぞ。しかも、女に暴力? 悪としては低レベルすぎるぞ)


 俺はスタスタとルドヴィックの元に向かうと、思いっきりその顔に拳を入れた。鈍い音とともに、鼻梁が不自然な角度に曲がった。ルドヴィックはぐらりと揺れながら、その場に膝をつく。


「見苦しいなぁー。“正しい悪”から外れてんだよ。根本的に美しくない。そんなベタな悪人じゃ、俺は超えられないぞ?」


「ふがっ……痛っ! 鼻が折れたぞ!? お前……って、王弟!? ラーニョ公爵閣下!? なんでこんなところに!」


「悪として半人前のお前を粛正しに来ただけだ。中途半端な悪さが多すぎて不愉快なんだよ」


「へっ? 中途半端な悪さ? ……恐れながら、私ほど善人はいないはずですよ」


 ルドヴィックは膝をついたまま喚く。脂ぎった顔に汗を滲ませた。


「行方不明の部下はどうした? 罪を押し付けてあの世に送って、自分だけ美食三昧。そのうえ、メイドに無理強いかよ? 腹も浮き輪みたいになってんぞ?」


「どこまで……調べたのですか? 平民の文官なんてどうなっても同じでしょう? 家畜です。踏み潰しても誰も困りません。それに、金ならあります。兄上も社交界で影響力がある。協力し合いましょう、閣下。うまくすれば……あなた様を王位に就かせることもできますよ?」


 その瞬間、俺は完全にぶち切れた。


「くだらない。王位に就いたら悪が極められないだろ! そんなもの、俺にはクソほどの価値もない」


 ルドヴィックはきょとんと目を見開く。


「ただの寄生虫にはわからないよな? “美しい悪の美学”は」


 俺はゆっくり手をかざす。


(退屈だ……この程度の悪人じゃ、つまらなすぎる。さっさと片づけるか)


「この世界に――お前はいらない」


 赤い瞳で静かに見つめると、ルドヴィックは膝をつき胸を押さえた。右手をかざして、ゆっくりと手を握りしめる。途端に、あいつの胸のあたりで心臓がおかしなリズムで暴れ始めた。まるで俺が直接、心臓を掴んでいるような感覚だ。


「――っ、が……っ!」


 息を吸うたびに、変な音が漏れた。肺が押し潰されてるんだろうな。

 肩や腕が勝手に痙攣して、骨が軋む音まで聞こえてくる。外側から見ると地味だが、中は相当エグいはずさ。


「や、やめ……っ! 苦しい……っ!」


 心臓を圧迫されて苦しくないわけがない。肋骨も内側から押されて、嫌な音を立てている。

 こういう“派手じゃない壊れ方”って、見てる側は静かでつまらないが、やられてる側は地獄だろうな。


「お前が殺めた部下たちが、向こうで待ってるよ。せいぜい、あっちで可愛がってもらうんだな」


「い、嫌だ……死にたくない……お願いだ、助けてくれ……」


「うるさいなぁ。他人を殺しておいて、よく言うよ」


(……本当に、みっともない)


 悪人のくせに、死を恐れるとは。

 こんな軟弱なやつが、俺より上に立てるわけがない。


 悪を極め切ったその先で、俺より上の悪に殺されるなら本望だ。つまり、悪を極める者にとって――死は、ご褒美なんだよ。


 悪の頂点争い、その甘美な戦いで敗れるのなら、それは運命。

 最高の命の散らし方!


(はぁーー、これぞ男の美学だろ)


 こときれたルドヴィックを残し、俺はさっさとその不愉快な場所を去ろうと思った。



 使用人たちは逃げ惑い、門番たちもとっくにどこかに消え失せていた。しかし、先ほどのメイドが何を思ったのか、俺の前に跪き、うるうるとした目を瞬きながら見つめてきた。


「助けていただいてありがとうございます! 何とお礼を言っていいものやら……」


「勘違いするな。俺はお前を助けたわけじゃない」


 そのまま去ろうとしたが、なぜかその女は「恩返しをさせてください」と言い張る。


(……うざいなぁ。ああ、金でも渡しておけば黙るか)


 俺は懐から金貨を五枚ほど取り出すと、その女に投げてやった。


「ほら。これで当分暮らせるだろ。じゃあな!」


 メイドは金を握りしめ、深々と頭を下げてから、どこかへ去っていった。


(うん、うん。やはり言うことを利かすには、金に限るな)




 

 




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