【第4章: 共有民の真実】

現実世界の朝、悠真は大学への道を歩いていた。自転車の記憶を失った代償で通学手段が変わったが、不思議と気分は悪くない。むしろ歩く時間が好きになっていた。イヤホンで音楽を聴きながら、昨日の剣道サークルの練習を振り返る。キャプテンが「悠真の足さばき、プロ級だな」と褒めてくれたのは、リエルから共有された剣術の記憶のおかげだ。拓也や他のメンバーと練習後にファミレスで話した時間も楽しかった。「最近の悠真、別人みたいだよ。なんか自信ついた?」と聞かれ、悠真は笑ってごまかした。「夢のおかげかな」。本当はエコリアの冒険が自分を変えている——それを誰にも言えないのが、少し寂しい。

講義の合間に図書館でレポートを書いていると、文学部の先輩が声をかけてきた。「悠真くん、最近プレゼン上手くなったよね。来月のゼミ発表、手伝おうか?」

共有の影響で文章力や表現力が上がっている。記憶共有の心理描写が、小説分析に深みを加えているのだ。悠真は感謝しながら頷いた。「ありがとうございます。お願いします」。

友達が増え、大学生活が充実する一方で、心のどこかでリエルとセラのことが気にかかる。今日こそ、共有民の村に着くはずだ。

アパートに戻り、夕食を済ませてベッドに横たわる。「リエル、セラ、待ってて」。渦潮を呼び、意識を沈める。

──エコリア、巣窟を抜けて三日目の午後。

三人は丘を越え、ようやく共有民の村が見える場所にたどり着いた。谷間に広がる小さな集落——家屋はすべて同じ円形の白い建物で、煙突から煙が上がっていない。風が止んでいるかのように静かで、鳥のさえずりすら聞こえない。

セラが立ち止まり、首を傾げた。「着いたぜ……だけど、なんか変だな。気配が濃すぎる。記憶の渦潮が、村全体で一つになってる感じ。」

リエルは緊張した声で言った。「共有民の村だ。全員の記憶が完全に繋がってる。個の境界がない。だから、争いも孤独もないって言われてるけど……外の者が深く共有すると、戻れなくなる危険がある。」

悠真は村を見下ろしながら聞いた。「個の境界がないって、どういうこと?」

リエルは静かに説明した。「生まれた瞬間から、村人全員の記憶が共有される。喜びも悲しみも、考えも感覚も、すべてが『私たち』として一つ。『私』という意識が薄いんだ。だから、村長が話す時も、全員の声が重なる。お前が共有したら……現実世界の記憶まで溶けて、大学のこと、友達のこと、俺たちの旅のことすら、ぼやけるかもしれない。」

悠真は少し怖くなった。「それ……怖いな。でも、ヴォルドの情報が必要だろ? 少しだけ共有して、聞きたいことだけ聞いてすぐ離れよう。」

セラが肩を叩いた。「おう、悠真なら大丈夫だろ。現実の剣道で強くなったみたいに、心も強くなってるぜ。へへ、俺は記憶ないから、逆に影響受けにくいかもな。」

三人は村への道を下り始めた。村の入り口に立つと、数人の村人が同時に振り向いた。男女老若、服装はすべて同じ白いローブ。表情は穏やかだが、どこか空虚だ。

「ようこそ、旅人たち。」

声が重なる。十人以上の村人が同時に口を開き、完全に同期した言葉と声が出る。

リエルが一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。「私たちはヴォルドの情報を求めてきました。儀式について知っていることを教えてください。」

村人たちは同時に微笑み、近づいてきた。「情報は共有する。私たちと記憶を交わせば、すべてわかる。」

同時に手が差し出される。拒否する隙を与えないような、穏やかだが強い圧力。

セラが小声で囁いた。「やべえ、強制的に共有されそう。悠真、どうする?」

悠真は深呼吸した。「……少しだけ触れる。リエル、セラ、俺の記憶を支えにしていて。」

悠真は一人の村人——老人のような男性——の手を軽く触れた。

瞬間、世界が溶けた。

視界が広がり、無数の記憶が洪水のように流れ込む。村の歴史、誕生、喜び、悲しみ、食事の味、子どもの笑い声、老人の死——すべてが同時に、自分のものとして感じられる。個が薄れていく。「私」は「私たち」になる。

同時に、悠真の記憶も村に流れ出す。現実世界の大学、講義室の匂い、拓也の笑顔、剣道の竹刀の感触、リエルとの共有、セラの冗談、妹の事故の痛み……すべてが村に吸い込まれていく。

「うっ……!」悠真は膝をついた。頭が割れそうに痛い。「俺の……大学が……友達の顔が……ぼやける……!」

リエルが慌てて悠真の肩を掴み、強制的に共有を深めた。「悠真! 俺の記憶を掴め! 市場の匂い、母親の声、俺と一緒に戦った巣窟の痛み——それを支えに!」

セラも悠真のもう片方の手に触れ、「おい、悠真! 現実の剣道サークル思い出せ! キャプテンの褒め言葉、ファミレスのラーメン! 俺の冗談も忘れるなよ!」

二人の記憶が錨になる。リエルの強さと孤独、セラの軽やかさと謎めいた過去が、悠真の個を引っ張り戻す。

村人たちの声が重なる。「なぜ抵抗する? 私たちは一つ。孤独はない。痛みは分かち合う。」

悠真は必死に叫んだ。「違う! 個があるから、仲間がいる! リエルとセラが、俺の大事な人だからこそ、守りたいんだ!」

共有の渦潮が揺らぐ。悠真は村人から手を離し、よろめきながら立ち上がった。額に汗が流れ、息が荒い。

村人たちは同時に首を傾げた。「……不思議な記憶。現実世界。大学。友達。剣道。転移者。」

声にわずかな揺らぎが生まれる。

リエルが素早く聞いた。「ヴォルドの儀式について教えてください! それだけわかれば去ります!」

村人たちは少し間を置いて、答えた。「ヴォルドは全記憶を統合する。究極の渦潮を起こし、すべての記憶を一つにし、自分だけが永遠に存在する世界を作る。儀式の場所は北の古城。必要なのは、異世界の新鮮な記憶——転移者の記憶。」

悠真は息を整えながら聞いた。「俺の……現実世界の記憶が、鍵なのか……」

村人たちは同時に手を差し出した。「残れ。私たちと一つになれ。孤独は消える。」

セラが笑って手を払った。「遠慮するぜ! 俺たちは個でいいんだよ!」

三人は後ずさりし、村を離れ始めた。村人たちは追いかけず、ただ静かに見送る。

丘の上まで逃げてきて、三人は地面に座り込んだ。

リエルが心配そうに悠真の顔を覗き込んだ。「大丈夫か? 共有の後遺症は? 現実の記憶、ちゃんと残ってる?」

悠真は目を閉じ、思い出す。大学の講義室、拓也の声、剣道の竹刀の重み、母親の子守唄……まだ薄れている部分はあるが、核心は残っている。「……大丈夫。リエルとセラのおかげだよ。君たちの記憶が、俺を引き戻してくれた。」

セラがにやりと笑った。「へへ、俺の記憶ないのに役に立ったぜ。悠真、お前の現実世界の記憶、ちょっと覗いたけど、ほんとに楽しそうだな。大学でみんなと笑ってる姿、俺もちょっと羨ましいよ。」

リエルは少し照れながら言った。「俺も……お前の大学生活、共有でいつも見てて、温かい気持ちになる。さっきの共有で、俺の記憶も村に流れたけど……お前が守ってくれた気がする。」

悠真は二人の手を握った。「ありがとう。個があるから、こうやって大事に思えるんだ。共有民の生き方もわかるけど……俺は、君たちと別々でいたい。リエル、セラ、俺の大事な仲間だから。」

リエルは頰を赤らめ、小さく頷いた。「……うん。俺もだよ、悠真。」

セラが立ち上がり、大げさに言った。「おいおい、またイチャイチャか? さあ、北の古城まであと少しだぜ。ヴォルドの儀式、止めてやる!」

夕陽が三人を照らす。村の静けさを背に、北へ向かう道が続く。

現実に戻った夜、悠真は少し頭痛がしたが、大学の記憶ははっきり残っていた。むしろ、共有民の体験が、小説分析のレポートに深みを加えそうだった。ベッドでスマホを見ると、拓也からメッセージ。「明日、ゼミの発表練習付き合ってくれよ!」

悠真は笑って返信した。「もちろん。楽しみにしてる」。

エコリアの危機が迫る中、現実世界の日常は、より輝きを増していた。個を失う恐怖を知ったからこそ、仲間との絆が、より大切に感じられる。

旅は続く。ヴォルドの古城が、待ち受けている。

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