第3話【灯火の家、歪な再会】
和樹は、夜の森を弾丸のように突き進んでいた。 覚醒した肉体はもはや、重力すら無視しているかのようだった。倒木を飛び越え、立ち塞がる茂みを、全身から発せられる不可視の衝撃波でなぎ倒していく。枝が顔を打ち、皮膚が裂ける感触はある。だが、その傷は次の瞬間には熱を持って塞がっていた。 (……なんだよ、この身体。俺は、壊れちまったのか?)
内側から湧き上がる全能感と、それ以上に強烈な「自分という存在が変質していく」ことへの吐き気が交互に押し寄せる。 「……あそこだ」 崖の上から見えたオレンジ色の灯りが、木々の隙間からはっきりと捉えられた。 そこは周囲を簡素な柵で囲まれた、小さな石造りの一軒家だった。庭には洗濯物が干され、軒先には干し肉が吊るされている。 和樹は家の前で足を止め、荒い息を整えた。全身を包んでいた青白い光が、スウッと肌に吸い込まれるように消えていく。その直後、極限まで張り詰めていた筋肉が悲鳴を上げ、和樹は膝を突きそうになった。
「……連。そこに、いるのか」
震える手で、木製のドアをノックしようとしたその時。 「……ダ、レ……ダ?」
背後から、透き通った、しかし鋭く警戒の混じった声が響いた。 和樹は心臓が口から飛び出しそうになるのを抑えて振り返った。 そこには、バケツを抱えた一人の女性が立っていた。年の頃は三十手前。使い込まれたエプロンを締め、緩く編んだ髪を肩に垂らしている。その隣には、彼女の服の裾をギュッと掴んだ少女。和樹の異様な身なり――泥と血にまみれたビジネススーツ姿を、化け物でも見るかのように見上げていた。
「あ、あの! 怪しい者じゃありません。俺は、息子を探していて……」 和樹は必死に声を絞り出した。女性は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに眉をひそめて首を傾げた。 「……ムスコ? ……サガス? ヌシ、コトバ、オカシイ」
和樹の背筋に冷たいものが走った。通じている。だが、決定的に「違う」。 彼女の話す言葉は、日本語の母音を残しながらも、アクセントが極端に後ろに寄り、古い方言をさらに歪ませたような奇妙な響きを持っていた。 「オレ、コドモ、ココ……イマセンカ?」 和樹が単語をぶつ切りにして問いかける。女性は和樹の「目」を凝視した。その瞳に宿る必死な父親の光を感じ取ったのか、彼女はゆっくりと口を開こうとした。
その時だ。
「……パパぁ? パパなの……?」
家の中から、聞き慣れた、泣きじゃくるような掠れた声が響いた。 和樹の心臓が爆発せんばかりに跳ねた。 バタン、と勢いよくドアが開き、パジャマ代わりの大きなシャツを着た小さな影が飛び出してきた。
「連!!」 「パパぁーーー!!」
和樹は泥だらけの地面に膝をつき、飛び込んできた愛息を、壊れるほど強く抱きしめた。 柔らかい髪の匂い、温かい体温、そして自分を呼ぶ声。夢じゃない。連は生きている。無傷で、今、腕の中にいる。 「よかった……本当によかった……っ!」 和樹の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。連もまた、和樹の首にしがみついて、喉を枯らして泣きじゃくった。
その様子を、女性――エレーナは、安堵と、それ以上に深い「戸惑い」を浮かべて見ていた。彼女はバケツを置くと、和樹の「右足」を凝視した。 そこには、数刻前に和樹が崖から滑り落ち、骨が突き出るほどの重傷を負った際に流れた血が、どす黒く固まって付着している。それなのに、破れたズボンの隙間から見える肌には、傷跡一つない。
「……マホォ? ……キズ、ナイ。ヌシ……バケモノ、カ?」 彼女が呟いた「マホォ」という言葉が、「魔法」を指していることは容易に想像がついた。彼女の瞳に宿ったのは、感銘ではなく、本能的な「恐怖」だった。
和樹たちは家に招き入れられた。 温かいスープが、和樹の冷え切った内臓を、そして凍りついた心を解かしていく。 連は和樹の膝の上で、片時も離れようとせず、和樹の服を握りしめていた。エレーナの娘、ミーシャは、見たこともない黒い服(スーツ)を着た奇妙な男を、部屋の隅から不思議そうに眺めていた。
和樹は自分の名を名乗ろうとしたが、喉が引き攣ってうまく音が出ない。 「……カズ、キ。……オレ、カズキ。コドモ、レン」 「……カズ、キ。レン。……ワタシ、エレーナ。ムスメ、ミーシャ」 エレーナはたどたどしく繰り返し、それから机の上に一枚の羊皮紙を広げた。
「ココ、ベルドン。……ニシガ、ゼノス。イクサ、シテル」 彼女の言葉は、日本語の古語に近い部分があった。「イクサ」は戦、「ニシ」は西。断片的な意味が脳に突き刺さる。 エレーナは和樹の足を指差し、それから窓の外の暗闇を指した。 「ヌシ、マホォ、ツカッタ。……ダメダ。ミツカレバ、コロサレル」
彼女は、自分の首を撥ねるような仕草をした。 和樹は背筋が凍るのを感じた。 「コロサレル……殺される、のか? なんでだよ、」 「マホォ……トクベツ。……カミ、ノ、チ。…ジュウ、マンニ、ヒトリ。……ココノツ、ノ、オウサマ、奪イアウ。ヌシ、ドレイ、ニ、ナル」
彼女の必死な表情から、和樹は理解した。 魔法が、十万人に一人しか持たない極めて希少な力であること。 それが知られれば、国同士が自分を奪い合い利用しようとすること。 この世界では、強すぎる力は幸福ではなく、破滅の招待状なのだ。
(俺は……ただの父親でいたいだけなんだ。連と一緒に、帰るんだ)
和樹は沈黙し、眠る連を抱き締め直した。 その時、連が寝言で小さく呟いた。 「パパ……お手て、光ってるよ……」
和樹が慌てて自分の右手を見ると、そこには制御しきれない膨大な魔力が、青白い脈動となって渦巻いていた。 外からは、風に乗って微かに金属の擦れる音が聞こえてくる。村の自警団か、あるいは国境を警備する兵士か。
魔法が極めてレアなこの世界。 ただ息子と日本へ帰りたいだけのサラリーマンは、まだ知らなかった。 自分の手の内にあるこの光が、やがて九つの国の均衡を粉砕し、最愛の息子を「血塗られた王道」へと突き動かすことになることを。
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異世界転移!!魔法がレアな世界で無双したい!! 利根川 @cccccrs
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