第4話 奴隷市場へ

 書斎は静かだった。

 窓から入る朝の光が、木の机の傷を柔らかく照らしている。棚には帳簿。机にはインク壺と羽ペン。封蝋の道具。椅子に座ると心が落ち着いた。普段、ここで多くの時間を過ごしていたことがわかる。


 机の上に、紙が1枚。

 エルドに頼んだものだ。

 俺はそれを開き、目で追った。

 ……読める。

 見慣れない字の形なのに、意味が頭に入ってくる。ペンを握れば、たぶん書ける。ケイトとして生きてきた経験が、当たり前に支えてくる。

 紙の内容は、護衛についての選択肢と大まかな金額を含めた情報だ。

 

 考え得る選択肢は大きく2つ。

 1つ、冒険者護衛。即効性はあるが、資金面で長期間は無理。目に見える効果が期待できるが、長くは続けられない。

 2つ、常設の守り。長期間の効果を発揮するが、初期投資が重い。

 プロコン、つまり、メリットとデメリットも考えよう。

 冒険者護衛のメリットは、今日から効果を発揮すること。外に出る時の安全が買えること。

 デメリットは、資金が続かないこと。良い護衛ほど高く、面倒な依頼は断られやすいこと。

 常設の守りのメリットは、いつでも守りがいる状態を作れること。護衛を近くに置ければ、俺も身の守り方を見て学べること。

 デメリットは、最初にまとまった資金が必要なこと。人選を間違えると、逆に内部の危険になること。


 合理的に考えて、護衛を雇う金がないなら奴隷と契約するしかないな……


 俺はここにもある呼び鈴らしきものを押した。音は小さい。それでも、しばらくしてノックが返ってくる。

 どんな仕組みなんだ?

 気になるな。


「旦那様。エルドでございます」


「入ってくれ」


 エルドが入ってきて、机の紙を見る。俺が読み終えたのを察し、黙って待つ。

 俺は紙を軽く指で叩いた。


「まとめ、助かった。ありがとう。確認させてくれ」


 エルドの目が引き締まる。


「安全が最優先。冒険者護衛は短期なら使える。でも、金が続かない。だから奴隷による常設の守りも必要。そういうことだよな」


「はい、旦那様」


「なら、現物を見に行く」


 喉の奥が少しだけ痛む。言葉が重いからだ。


「買うかどうかは別として、相場と、人の目と、雰囲気。実際にこの目で見ないと判断できない」


 エルドが深く頷いた。


「準備いたします」


 生き残る。

 そのために、まず守りを作る。


「行こう、エルド」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 支度は早かった。

 エルドは言葉少なに指示を飛ばし、屋敷の中が静かに動き出す。

 俺は上着を羽織り、鏡の前で一度だけ顔を確かめた。額の傷は髪で隠れる。頭痛は残っているが、歩ける。

 歩けるなら、動かなくては。

 ただし、今の俺は狙われている。

 昨日の誘拐未遂は未遂で終わっただけだ。次も同じ場所、同じ手口とは限らない。だから、出るなら細心の注意を払う。

 玄関を出る前に、エルドが短く言った。


「旦那様。こちらに」


 俺は装飾の少ない外套を選びなおし、首元を少しだけ立てる。

 外に出ると、待っていた馬車が控えていた。派手さのない荷馬車風の箱型。だが車輪も軸も手入れが良い。

 御者台には、見慣れた体格の男がいる。

 ゴドーだ。無骨な肩。大きな手。腰の工具袋が揺れる。


「坊ちゃん。……歩けるか」


 ゴドーの声は低い。愛想は薄いが、心配が滲み出ている。


「大丈夫だ。頼む」


 俺が言うと、ゴドーは短く頷いた。

 エルドが小さく言う。


「人の多い道を通ります。帰りも同じく。寄り道はいたしません」


「それでいい」


 馬車の扉が閉まる。がたん、と小さく揺れて、走り出した。

 窓は小さい。外は覗けるが、こちらの顔は見えにくい。良い。

 エルドは向かいに座り、膝の上に小さな革鞄を置いた。中身はたぶん現金と書類。

 俺は馬車の揺れに合わせて呼吸を整えながら、心の中で考える。


 エルドが付いてきてくれるのは心強い。

 でも、当然だが、エルドには本来の仕事がある。支店の実務、取引、帳簿、使用人の采配。俺の付き添いを毎回させるのは、負担が大きい。

 常設の守りが必要って話は、俺の身の安全のためだけじゃない。

 エルドのマンパワーを奪わないためでもある。

 馬車が石畳を踏む音が、規則正しく続く。

 俺はエルドに視線を向けた。


「奴隷商店について、教えてくれ。俺は細部が抜けてる」


 エルドは頷いた。


「はい、旦那様。商店で取り扱う奴隷は合法です。ギルドのような統一組織ではなく、街の許可を受けた商人が場を開きます」


「許可制か」


「はい。帳簿と契約書が残ります。売買の記録は、税のためでもあります」


 税。どの世界でも追いかけてくる。


「奴隷の扱いは?」


「基本は財産です。売買され、所有者が変わる。住まい、食事、仕事、移動――多くは所有者の裁量です」


 俺は息を吐く。重い言葉を、淡々と当たり前として語る世界。


「何か規制はあるのか」


 俺が聞くと、エルドは頷いた。今までよりも、少しだけ慎重な声になる。


「ございます。合法の奴隷は、魔法で契約します」


「魔法で契約……」


「はい。紙の契約だけではなく、魔法で縛ります。だから、売買契約を結んだ瞬間に関係が成立います。主人は奴隷に命令できる……だけではありません」


 エルドはきっぱり言った。


「主人には、奴隷を守る義務が発生します。住まい、食事、最低限の医療。生活の保証。これらは契約魔法で定められ、破れば主人側に不利益が返る仕組みです」


 俺は息を吐いた。

 なるほど。所有権と保護がセット。契約社会なら、理屈としては筋が通っている。


「契約には種類もあるのか」


「はい。用途によって契約の形が異なります」


 エルドは言葉を選びながら、淡々と続けた。


「例えば、性奴隷であればそういう行為も契約に含まれます。対して、労働奴隷は労働が中心で、契約外の行為は禁じられます。本人の同意なく踏み込めません。魔法で縛られ、同時に守られるのです」


 同意なく踏み込めない。そこが魔法で担保される。少なくとも、制度上は。

 だが、俺はそこで止まらない。


「制度上、ってことだよな」


 エルドの目がわずかに細くなる。俺の問いの意図を理解した合図。


「はい。抜け道は多くあります」


 短い答えが重い。


「たとえば、生活は最低限で済ませる者もいます。言葉や状況で追い込み、同意を引き出した形にする者もおります。主人側が圧倒的に優位です。監督する側も、常に見ているわけではありません。魔法も本人たちの腹の中までのぞけるわけでありません。」


 現代で言うところのグレーな契約。

 俺は頷いた。

 結局、制度がどうであれ、運用は人だ。強いほうが都合よく使う。


「今回必要なのは護衛。なら、見るべきは戦闘奴隷だな」


「はい、旦那様」


 エルドの声が少しだけ締まる。ここからが本題だ。


「戦闘奴隷は、契約の中心が戦うことです。主人を守る、命令に従う、危険に対処する。そういった契約が入ります」


「戦闘奴隷にも、種類があるのか?」


「ございます。純粋に護衛向けの者。闘技用に売られる者。狩りや討伐の補助に使われる者。奴隷が自由に動ける範囲が違います」


 俺は頷き、護衛目的ならどこを見るべきか、頭の中で整理をしていく。

 思考を重ねていくと、馬車の外の喧騒が濃くなってきたのを感じた。

 市場の匂いが、窓の隙間から入り込む。人の声。売り声。笑い声。金属音。

 エルドが言う。


「旦那様。もうすぐです」


 生き残るための、最初の一歩。

 馬車が止まり、扉の向こうに奴隷市場の熱気が待っていた。

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