第15話|月は誰のものでもない



 変化は、静かに始まった。


「……すごい」


 訓練場の端で、誰かが息を呑む声を上げる。


 ルナの詠唱は短く、正確だった。

 淡い月光が地面に魔法陣を描き、空気が澄む。


「月魔法をここまで安定させるなんて……」


「特待生って聞いてたけど、本物だな」


 囁きが、増える。


 以前とは違う。

 侮蔑じゃない。

 評価と、好奇の視線。


 ルナは気づいていないのか、

 いつも通り控えめに立っていた。


「……すごすぎますか?」


 訓練後、

 隣に来て小さく尋ねてくる。


「少し、目立ってしまいましたね……」


 困ったように笑うその顔に、

 胸の奥がざわつく。


「気にするな」


 俺は短く言う。


 才能があるのは、事実だ。

 誇るべきことだ。


 ——でも。


 視線が、集まりすぎている。


 貴族の生徒が近づいてくる。

 以前、俺が睨んで追い払ったのとは別の顔だ。


「ルナ=ルミエールだったな」


 丁寧な口調。

 下心を隠した声。


「今度、魔法研究会の——」


「用があるなら、俺を通せ」


 気づけば、

 身体が前に出ていた。


 貴族の生徒が一瞬、言葉に詰まる。


「……いや、ただの誘いだ」


「不要だ」


 被せる。


 空気が冷える。


 ルナが慌てて、

 俺の袖を引いた。


「レオンくん……」


 小さな声。


 制止。


「大丈夫です。少し話を——」


「必要ない」


 即答だった。


 ——触れるな。

 ——近づくな。


 喉元まで出かかった言葉を、

 なんとか飲み込む。


 貴族の生徒は気まずそうに去っていった。


 静寂。


 ルナが、不安そうに俺を見る。


「……怒って、いますか?」


 違う。


 怒っているんじゃない。


 奪われる未来を、

 勝手に想像しただけだ。


「……いや」


 息を整える。


「ただ……」


 言葉にすれば、

 決定的になる。


「君が、注目されすぎている」


 正直に言う。


「それは……だめ、ですか?」


 ルナの声は、

 怯えてはいない。


 ただ、確かめている。


 ——僕は、輝いてはいけないのか。


 その問いに、

 胸が締めつけられた。


「……違う」


 否定する。


「君がすごいのは、誇らしい」


 本音だ。


「でも……」


 続きが、重い。


「俺の知らない場所で、

 誰かに見られるのが、嫌だ」


 沈黙。


 ルナはしばらく黙ってから、

 小さく微笑んだ。


「……独占欲、ですね」


 責める調子じゃない。


 むしろ、

 受け入れるみたいな声。


「……迷惑、ですか?」


 その問いが、

 致命的だった。


「いいえ」


 即答。


「守ってくれるのは……

 嬉しい、です」


 ——ああ。


 ダメだ。


 この言葉は。


 俺の中の理性を、

 簡単に溶かす。


「……なら」


 低く、言う。


「俺のそばにいろ」


 以前よりも、

 強い言葉。


「注目されるなら、

 俺の視界の中でだ」


 一瞬、ルナの瞳が揺れる。


 それでも。


「……はい」


 頷く。


 選んだのは、

 俺だった。


 その事実に、

 安堵と同時に、

 歪んだ満足が広がる。


 ——月は、誰のものでもない。


 それなのに。


 俺は、

 彼を自分の光だと思っている。


 そして、

 ルナもそれを、

 拒まなかった。


 それが、

 この恋のいちばん危ういところだと、

 分かっていながら。

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