第5話 舞い手

お風呂に入って落ち着いたところで説得再開です。

「姫様はそれを直接、厳美人にお聞きになったのですか?踊るなって。」

「そ、そんなことを厳美人が直接言うわけないじゃない。」

「では直接お聞きしなくてはいけませんね。」

「………」


劉姫の髪が乾くまでには一晩かかるだろうが私の髪は短髪である。半刻もすると乾いたので女官長の所に行くことにした。

劉姫はむうという顔をしている。


宮の建物の掃除をするのは下級宮人の仕事である。なので例え劉姫が女官を叩き出していたとしても建物の掃除をさせるのが当然ではないか。

けれども女官長は劉姫が常軌を逸した騒ぎ方をするので敢えて宮人を入れないようにしていたのだと言う。

私は軽くため息をついて「今回は私が掃除したので出てきたゴミを持っていっていただければそれで結構です」と言った。

さすがの女官長も私の剣幕に押されたのか「早急に派遣する。」と言ってくれた。


「それと」

私はそのままの勢いで女官長に詰め寄った。本題はこちらとも言える。

「劉姫を舞い手に変更していただきたいのです。」

「は?」

「来月行われる皇帝主催の後宮での宴会ですわ。」

「それは…」

「筝を奏でるのは妃嬪に限られるのでしょうか。」

「それはそういうわけではないけれど。って貴方が弾くつもりなの?」

「勿論、薄縁を被って顔は見えないようにします。」

「貴方、帝の御前なのよ。」

「劉姫様はそれがお嫌で暴れておられるのです。私が上手というわけではありませんが劉姫よりはずっとマシでしょう。背に腹は変えられません。」

女官長は「劉姫の琴はそれほどなのね。」とこめかみをずっと揉んでいた。


「ありがとう。」

やおら女官長は言った。

「えっ?」

「中原の人たちは北方部族の朝廷を侮っているのです。本当なら筝を奏でられるものなどこの後宮内の中原の人たちには少なからずいるでしょうが誰も協力しようとはしません。」

「はあ」

「本来なら貴方も中原の血を引くもの。青龍国の朝廷に反発しても仕方ありません。それを青龍国のために力を尽くしてくれるというのならお礼を言って当然のことなのです。」

「は、はあ」

「劉姫とあなたで厳美人のところに行って話をしてちょうだい。それでうまく話がつけば私のところで人員の変更はうまくやりましょう。」

「あ、女官長様、ありがとうございます。」


宮に戻って劉姫様に女官長との話をすると劉姫様はノリノリだった。

「うーっ、髪を乾かしているので動けないのが残念だわ。髪が乾いたら早速、厳美人のところに乗り込んでメッタメタにやっつけちゃおう。」

「劉姫様、こちらはお願いしにゆく立場ですよ。メッタメタにやっつけるんじゃなくて下手に出ましょう。」

「わ、わかったわよ。でも灌も髪を伸ばしなさい。これは命令よ。私が髪を乾かすので動けない時に何を面白いことやってくれちゃっているのよ。もう。」


♢♢♢


翌朝は早朝から起きて戦闘準備である。

髪をしっかり結い上げてお気に入りのよそ行きの服を着る。もうそれだけで昼前である。中食は食堂から配達を頼んでいるのでお弁当がすでに届いている。

劉姫も私も緊張していたためか半分くらいしか食べなかった。


昨日のうちに来訪の先触れは済ませているので(単に私が来訪を告げに行っただけである)そろそろ行かなければならない。

劉姫の舞の衣装や化粧道具は私が布に包んで持ってゆくことにした。筝は大きいので持って行かない。大体、劉姫の筝は琴柱が膠でくっついている。


準備ができたので劉姫と私の二人で宮を出た。


厳美人の宮までは歩いて数分のところである。本来はご近所さんなのである。


厳美人の宮の玄関で案内を頼むと玲玲が出てきた。

いつもは笑顔の可愛い玲玲も全く笑顔はなく緊張している。

そりゃ後宮一の問題児である劉姫が会いに来るというのだもの、どんな無理難題を押し付けられるのだろうと不安になるのは当然だろう。

実際、私たちは無理難題を押し付けに来ているのである。


「厳美人はご在宅でいらっしゃいますか?」

私は丁寧に尋ねた。

「はい。奥にいらっしゃいます。」

よし。これで半分勝ったようなものだ。

「では案内をお願いします。」

玲玲の案内で奥に進んだ。

奥の間には厳美人と数人の女官がいた。

勿論これは本来ならば劉姫様だって美人の位階なのだから数人の女官がついていて然るべきなのである。

それをみんな追い出したのは単に劉姫様のわがままと言うしかない。


厳美人はニコニコしているが周りの女官達は皆一様に眉を顰めている。まあ当然だよね。

劉姫様も厳美人に負けないくらいニコニコしている。

私は拱手して礼をすると言った。

「厳美人様、我が主人は久しぶりの訪問に際して贈り物をお渡ししたいとのことでございます。」

素早く黄金の馬のレリーフを差し出した。

いや、そりゃいきなり現金って生々しすぎるじゃない。黄金も大して変わらないかもしれないけれど、一応は美術品だからね。

厳美人は型通り「こんなものはいらない」と受け取りを辞退なさったけれどこちらが強く押したらさっと懐にしまわれた。年齢とともに皇帝の寵愛は薄れてゆくのだからそういう人を守るのは財産だけである。

少し落ち着いたところで厳美人は「それで今日お越しになった用件をお伺いしてもよいかしら。」と聞いてきた。

劉姫は「舞の手を私と交代してほしい。」と単刀直入に言った。

あ、あの劉姫様、それはあまりに直截過ぎませんか?



さすがの厳美人も口をはくはくさせて言葉が出ないようだった。

ややあってやっと声が出た。

「あの、劉美人様、舞は歌舞音曲と申しまして歌や楽器の音が必要なのです。誰が楽器をお弾きになるのですか?」

劉姫は簡単に返事をした。

「ああ、それはこの灌が弾く。」

この答えに周りの女官が思わず「は?こんな見習いに何ができる?」と怒気と共に言いかけた。

厳美人は女官達を制して言った。

「わかりました。ではここで筝を弾いてもらいましょう。私が納得したらその小娘が筝を弾くことを許しましょう。」


女官達が厳美人の筝を運んできた。

(何を弾こうか)

音程を揃えるために爪弾きながら私は考えていた。

(劉姫様のことを考えるとこれよね)

そう決めるとするすると指が自然に動き出したのである。


夢中になって演奏していたので気が付かなかったが演奏を終えると劉姫だけでなく厳美人とその女官達まで目にいっぱい涙を溜めていた。

「胡笳十八拍ね。私はこれまでこんなに胸に迫るような演奏は聞いたことがないわ。」

厳美人はそう言って涙をポロポロこぼしている。


胡笳十八拍とは蔡文姫が漢の滅亡のどさくさに匈奴に拉致されて匈奴の王様の妻になり子供を二人産んだ後、拉致されて十数年後にその才を惜しんだ曹操に買い戻されたという数奇な運命を歌ったものである。


「わかったわ。蔡灌の演奏は認めましょう。問題は劉美人、あなたね。あなたの踊りが大口でないことを示しなさい。」

涙をおさめた厳美人は劉姫を指差して言った。

「わかったわ。舞の衣装に着替えるから少し待って。」


準備ができた劉姫様は私の伴奏で舞い始めた。


最初は目を眇めて見ていた女官達もだんだん踊りに引き込まれていった。

厳美人の眉がどんどん吊り上がってくる。


しまいには「胡旋舞よ!私も着替えるわ!琵琶と胡弓を出して頂戴!」と叫んで衣装部屋に駆け込んで行った。


胡旋舞は西域から来たソグド人の踊りである。テンポが早過ぎて筝ではなく琵琶の速弾きになる。

私も一応はマスターしていたが、いきなり弾けるかどうかは心配なので琵琶のスケール練習に励んだ。

そうしたら疼きを止められないように玲玲が胡弓を手に取ると私の琵琶に合わせ始めた。

(しめた。胡弓が加わってくれれば琵琶を外しても誤魔化せる!)


舞いの衣装に身を固めた厳美人は劉姫に「さあ、踊るわよ!」と気合を入れた。劉姫様も踊りの姿勢でスタンバイをする。

私と玲玲は目を交わし合って同時に弾き始めた。

楽譜はないので全てアドリブだけれどどんどん回転する踊りなのでそのリズムを維持するのは大変である。

なんとか玲玲と二人で伴奏を維持できたので踊り手二人も最後までぐるぐると回転できたのである。


踊り終わった後も厳美人はニコニコしている。

彼女は「音楽はこの見習いどもでよさそうね。で、劉美人は銀の衣装を作りなさい。私は金の衣装にするから二人で踊るのよ。」

劉姫様はただ頷くだけである。劉姫様は踊り疲れて反応する余地がなくなっているのかもしれない。

私も疲れていたが劉姫様を連れて厳美人の宮を辞去することにした。

自分の宮に辿り着くと、劉姫様は私に縋り付くように抱きついてきて「本当にありがとうね。」と囁いた。

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