第4話 配属先

十日程、李先輩は毎日来てくれて色々なことを教えてくれた。

そんなある日、李先輩は「あなた方の配属先が決まったらしいわ。鄒女官長のところに行きましょう。」という。

木綿のお仕着せを着た私と玲玲が鄒女官長の元に行くと、相変わらず愛想のない顔をした女官長は「あなた方二人の配属先が決まりました。宦官に案内させますからついて行きなさい。」とそっけなく言うだけである。

女官長が引っ込んだ後、二人の宦官が待っているのだけれどまず李先輩にお礼を言いにいった。

李先輩は「まあ。そんなに謙遜しなくてもいいわ。私の指導に十日も耐え抜いたなんて新記録よ。今まで半分以上の子は初日で脱落しているのだから。」と笑いながら言う。

私たちが言葉を失っている間に李先輩は「じゃあ私も女官長に挨拶したら宮に戻るから、何かあれば遠慮なく連絡しなさい。」と言って部屋を出ていった。

拱手して李先輩を見送ると、宦官の二人が声をかけてきた。

「いやあの李明倫様が見習い女官を見送りに来るなんて初めて見ましたよ。よほど気に入られたのですね。御出世の時には冉高、冉低の兄弟も忘れずにご贔屓をお願いしますね。」

玲玲が笑って言う。

「取らぬ狸の皮算用だけれど私たちの出世を願っていてね。」

「それはもう毎日お願いしておきますから。」

どうやらこの調子では一日中冗談のやり取りを続けてしまいそうである。


「そろそろ出ないとね。随分時間が過ぎているのではありませんか?」

私がそう言うと、冉高が「これはいけない。遅くなったらお昼を食べ損なってしまう。」と言ってそそくさと「じゃあ行きましょう。」と案内を始めようとした。

私は思わず吹き出しそうになったが、やっとのことで「じゃあお願いしますね。」とまじめ腐って答えたのだった。


案内される道は太陰宮に向かうものではなかった。四貴妃の宮も過ぎ、中級妃か下級妃の宮かなと思っていたら厳美人の宮で止まった。

「玲玲様お願いいたします。」そう言って冉高が玲玲を案内していった。

厳美人は今の朱雀帝が即位した頃に入内した妃で舞の名手とされる。お年も召してきておられるのでもうずいぶんお渡りはないという話だけれど舞という特技で生き残っておられる妃である。


「蔡灌様はこちらですよ。」と冉低が言う。

ちょっと待って、ここって?

「こちらは劉美人の宮でございます。」

やっぱり?

劉美人は劉家といっても漢の皇室とは関係がない。元は匈奴の族長、単于の家系である。北狄として万里の長城を巡って漢と戦ったり和したりを繰り返すうちに漢室と同じ劉姓を名乗るようになったのだという。

この匈奴の劉氏は西晋が内乱で滅亡した後に漢という国を建てた。

すでに漢は滅び、その裔がこの青龍国の家臣となって残っている。

その姫が入内しているのである。まだ16の若い娘だけれどわがまま放題で有名であり、もう何人もの女官が虐められあるいは愛想を尽かして去っており、今はお付きのものもおらずに一人で暮らしているはずである。


これって事故物件よね。そんなのを担当させられるって私は何か嫌われるようなことでもしたのかしら。


外から見ても宮の庭が手入れされていないことは丸わかりでもうあばら屋である。

そんな中を冉低はスタスタと歩いていって建物の入り口までやって来ると「劉美人様、新しい女官の蔡灌殿をお連れしましたよ!」と叫んだ。

反射のように「何よ!どうせお説教ばかりするようなやつでしょ!そんな奴いらない!」って声が飛んできた。

灌としても苦笑するより他ない。こんな荒れ果てた家を見れば普通にお説教するのは当たり前であろう。

冉低がその後も何度か呼びかけるが反応はない。

出てこないならば仕方がないな。

灌が冉低に一旦引き返して姫様の機嫌のいい時に出直しましょうと言いかけた時にトテトテと足音が聞こえてきた。

「ちょっと待って!蔡灌というのは蔡文姫様の縁者なの?」

そう言って現れた女性はおそらく慌てて一人で服を着たのだろう、だらんとひもが垂れ下がっていてちょっと見ていられないレベルである。

「そうですね。私の亡くなったお祖父様のお祖父様が蔡文姫様のお父様の従兄弟ですね。」と曖昧なことを言って、冉低に「お前は下がりなさい。この格好はたとえ宦官だと言っても男の人に見せていい格好ではないわ。」という。

冉低は承知しましたと言って建物の外に出ていった。

蔡灌はあちこちに落ちているゴミやガラクタをできるだけ意識から追い出すようにしながら劉姫を奥の居室に連れていった。

「まずはお髪とお着物を整えましょう。蔡文姫様は匈奴の地にいる時には身だしなみはどうされていましたか?」

「それはきちんとされていたはずよ。」

「ではお髪を整えましょう。」

灌の拙い技術でも髪の毛を綺麗に結い上げるだけで妃らしくなるし、普段着の部屋着であってもしっかり着付けることで落ち着いて来るものである。

「お姫様はそこに座っていてくださいませね。まずはこの辺りのお片付けを致しましょう。」

おそらく姫が手伝いもないまま手当たり次第長押から取り出した着物類を綺麗にしまい直し、散乱している食器類を片付けるだけで部屋の中は見違えるようになった。

部屋の隅や天井には少し蜘蛛の巣が掛かっていたので取り払った。

奥の物置のようになっている部屋を覗くと琴が乱雑にひっくり返って積み上げられている。

その琴は結構いい琴であることがわかったので丁寧におろして弾いてみようとすると奇妙なことに気がついた。琴の音程を調節する琴柱(ことじ)が動かないのである。「えっ?」と思わず声を上げてよく見ると琴柱が膠でくっつけてあることがわかった。

「ことわざで『琴柱に膠す』なんていうのはよく聞くけれど本当にくっつけちゃったのは初めて見るわね。」

「やっぱり私ってバカでしょう」

いつの間にか後ろに立っていた劉姫がやさぐれた感じで言う。

「そんなことはありませんよ。そりゃ琴柱を固めちゃったら他の曲が弾けなくなりますからしないほうがいいと思いますけれど、姫様にはそうしなきゃならない理由がおありになったんじゃないですかね。」

「わ、私は琴が絶望的に下手なの。それなのにお前は琴を弾けと言われて。もう十人以上の先生に匙を投げられたわ。」

「姫様は自分ならこれができるというものはございますか?」

「舞なら舞える。踊るのは大好き。でもここでは踊るのは厳美人の役目だって言われるの。」

「それでかんしゃくを起こされていたのですか?」

「大人気ないってことはわかっていたわよ。でも限界だったの。」

「わかりました。では踊りましょう。」

「は、話を聞いてなかったの?踊るのは厳美人の役目よ。」

「まず踊ってみましょう」

固定された琴柱でも弾けるのは「鳳翔舞」という曲目である。

私は近くにあった琴爪を付けると舞の曲を弾き始めた。

「え、いきなり?」

劉姫はビビっている。

「ええ、いきなりです。さあどうぞ。」

劉姫はぎこちなく踊り始めた。

が、ぎこちないと見えたのは始めだけですぐにのびのびと踊り始めた劉姫は伴奏の琴とリズムの取り合いをしている。

(それなら)

「じゃあ姫様、早弾きについてこられますか?」

そう言って弾くテンポをグンと上げた。

途端に劉姫の肢体が速いリズムに合わせて跳ねるように魅力的に動き出した。

「これは本物かな。」


すごいテンポで踊り終わった劉姫は汗びっしょりになって肩で息をしている。

「劉姫さま。まず湯浴みなされますか。」


上級妃の宮には内湯があるが、中級、下級妃は共同浴場である。一応24時間いつでも入れる贅沢仕様である。

とにかく姫さんを風呂に入れて洗ってしまおう。

風呂といってもどちらかというとサウナのような感じである。

少量のお湯で汗を流してぬか袋で擦って汚れを落とすのである。


劉姫を綺麗に洗ってホッとしていたらぬか袋を持った劉姫が「仕返しよ」と言って私の顔を袋で擦り始めた。


「あー」

「なんだか灌の顔が白いんですけど。」

「あの、祖父が亡くなってからは天涯孤独だったもので、身を守るために少年に変装していたんです。」

「色粉をつけていたのね。」

「さすがに真っ白だと変な男を惹きつけかねないので。」

「ここは後宮ですからそんなことは気にしなくていいわ。私もお付きの女官が『少年?』って言われるよりも美少女の方がいいし」

「はあ」


風呂から上がった時には劉姫も私も真っ白の生まれたての肌になっていた。私の肌は二年間、変装用の色粉の下で紫外線から防御されていたらしかった。

劉姫は何故だか上機嫌だった。

長い髪を乾かすには時間がかかるので私と劉姫は一度、宮に帰ることにした。

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