第3話 後宮での鍛錬
扉を潜った先には女官達が待っていた。
最初に家で待ち構えていたオババ達がやったように衣服を剥ぎ取られて全身をくまなく調べられた。
念入りなチェックが終わるとやっと解放されたのである。
その部屋を出るといくつかの建物があり、その間で小さな広場みたいになっていた。
先に呼ばれていた子達はその広場で待機していた。
私もそちらに向かおうとすると、40歳くらいの女官らしき人が「あなた、どこに行くの?まずは割符を見せなさい。」と言ってきた。
私が黄色の割符を見せるとその人は「チッ」とあからさまに舌打ちをして「あなたはそちらに行きなさい。」と指差した。
そこには玲玲と長安で最初に同室だった許氏の娘がいた。
玲玲は
私に向かって笑顔を見せて手を振ろうとしたようだったが、周りにいた年嵩の女官に睨みつけられた様子でしゅんとしてしまった。
見ると少女達の周りにはベテランらしい女官が何人かいて監視しているようだった。
ややあって、ある建物から眼光の鋭い女性が出てきた。
彼女はパンパンと手を打って注目を集めると言った。
「皆さんは今日から宮廷の、後宮の宮人として働いてもらいます。仕事は先輩に教えてもらいなさい。もうこの後宮から逃げ出したら重罪になります。死ぬまでこの後宮で働く覚悟を決めなさい。常に皇帝陛下にお仕えする気持ちでどんな仕事も手を抜くことなく丁寧にやり遂げなさい。」
その迫力に少女達は一斉に拱手の礼をした。
上目遣いに見ていると、満足そうに微笑んだその人は再び建物の中に入っていった。
「さあ何をグズグズしているの?新入りはさっさと動いて!」
周りにいた年嵩の女官が黄色い割符のあなた達はあの建物に入ってと指差す。
もう片方のグループは別の大きな建物に向かうらしい。
少し不安になったが玲玲が手を握ってきた。彼女の顔をチラッと見ると彼女も不安らしい。
「大丈夫よ。さあ行きましょう。」
私は無理に笑顔を作ると玲玲の手を引いて先に進み始めた。
扉は別の人が開けてくれていたので一礼して中に入った。
既に許氏の娘さんは中に入っていたようである。
前には美人だけれど少し目が吊り上がっていてキツイ感じの女性がいた。
「私は後宮女官長の鄒梓晴よ。あなた方は今後、女官見習いとして働いてもらいます。先輩女官の言いつけをよく聞いて礼を失しないように。」
それから鄒女官長は許さんに「あなたは許徳妃の縁者と聞いているわ。水晶宮の女官達はこのお嬢さんを早く連れていってあげて。徳妃も待ちかねていらっしゃることでしょう。」と言う。
周りの多くの着飾った女官達は流れるように女官長に礼をすると許さんの手を取って「さあ徳妃様のところに参りましょう。」と言って連れ立って出ていってしまった。
その様子を見送った鄒女官長は私たちには一瞥もくれずに立ち去ってしまった。
それまでたくさんいた女官がいなくなって部屋の中は一気にがらんとしてしまった。
「えっ?ええっ!?私たちはどうすればいいのよ。」
玲玲が握ってくる手の力が少し強くなっている。
もう泣きたい気分だったけれど、泣いたところで問題は解決しないし玲玲も困ってしまうだろう。
必死に泣くまいと我慢していたら後ろから「あの、もうし。」と小さな声がするのが聞こえた。
恐る恐る振り向いてみると私たちより少し年上のお姉さんに見える女官が一人残っていて私たちに呼びかけてくれていたようだ。
「はいっ」
私の返事は力み返っていたし、場違いなほど大きかったけれど、その人は「はい、いい返事ですね。」と微笑んでくれた。
玲玲は「ふぁー、よかった。見捨てられたかと思った。」と脱力しかけたが、その人は「だめですよ。女官たるもの常に気を抜いてはいけません。さあ背筋を伸ばして。目上の人に会った時には拱手して礼をすることを忘れてはいけません。」といきなり教育的指導が入ってしまった。
私たちは慌てて拱手して礼をした。
「よろしい」
その後、その女性、李さんは建物の中を案内してくれた。
どうやら玲玲と私は完全に予定外だったらしく、李先輩は急に教育係として呼び出されたらしい。
「だからあなた方の配属先はまだ決まっていないのよ。配属先が決まるまでは私が教育係ね。」
李先輩は嬉しそうに笑った。
その後すぐに歩き方のチェックをされた。私は合格だったけれど玲玲は無遠慮に歩くものだから見事にバッテンを喰らってしまった。
「歩き方は基本だからね。」と李先輩は笑顔で言う。
玲玲はいつもの快活さを失ってしゅんとしている。
「次はこっちね。」
李先輩に案内された部屋には書類が山ほど積んであり、帳面が置いてある。
「じゃあこの帳簿をつけてちょうだい。」
見ると玲玲は目を爛々と輝かせてもの凄い速さで帳簿を付けていっている。私はそもそも物々交換で暮らしていたようなものだったからお金の計算は得意ではない。それでも必死で帳簿を付けたが、玲玲に比べるとカタツムリが這う速さでしかなかった。
李先輩は出来栄えを見て玲玲を誉めた。
「女官でも帳簿をつけるのが得意な人は少ないわ。あなたはスピードも正確さも合格よ。」
玲玲は初めて誉められたので嬉しそうである。
次に私の方を向いた李先輩は言った。
「スピードが遅かったことについては何も言わないわ。あなたの字は綺麗だしできた分の計算も間違っていない。でも数字を書き入れる欄を間違えているわけだからそれ以前の問題ね。」
李先輩は軽くため息をつくと言った。
「あんた達は見事に半人前ね。玲玲は灌に歩き方を教わりなさい。灌は玲玲に帳簿の付け方を教えてもらうのよ。明日も朝食の後に来ますからそれまでに上達しておいてちょうだい。」
帰り支度をした李先輩は「何かあれば太陰宮にいるからそこに遣いをよこしてちょうだいね。」と言って部屋を出ていったのである。
太陰宮即ち月宮は皇帝陛下の居所である太陽宮と対をなしている。つまり皇后陛下の居所である。当代の皇后陛下は賢夫人の呼び声も高い呼延氏である。
そこの女官ということは李先輩は皇后陛下のお眼鏡にかなったいわばスーパー女官だということだろう。
「これはすぐに修練を始めましょう。」
「多分寝ていられる暇はないと思うわ。」
私は小さい頃、祖父に教わった時の歩き方の特訓法を思い出して玲玲に教えた。これは特別な方法ではなく頭に本を載せて落とさないように歩くとか紐をピンと貼ってそこからずれないようにまっすぐ歩くというような訓練である。
多分私が3〜4歳の時にできた訓練法だから玲玲にわからないはずないと思う。
玲玲も必死で訓練した。
夕食の頃までには玲玲の姿勢もまっすぐになり、歩き方も完全とまではいかないが、最初のどすどすという感じの無遠慮な歩き方は影を潜めて随分とマシになってきた。
夕食後には私は玲玲から帳簿の付け方を習うことにした。
帳簿の付け方は簡単に理解できたのだが、いかんせん計算が遅いのはどうしようもない。
玲玲から貸してもらった帳簿の練習ノートをもとにどうやったら計算を速くミスなくできるかを考え始めたのである。
玲玲は無言で練習用ノートに取り組んでいる私に手持ち無沙汰になったのかもしれない。いつのまにか歩き方の練習を再開していた。
いつの間にか私は机に突っ伏して眠っていたみたいだ。
気がつくと部屋の窓からは朝日が差し込んでいて鳥の囀る声が聞こえる。肩には毛布が掛けられていた。
おそらくその毛布をかけてくれたであろう玲玲はベッドですやすや寝ていたけれど。
玲玲を起こして朝食を取りに行き、玲玲と部屋で食べた後、身だしなみを整えて待っていると宦官の人が部屋をノックして李先輩が来たことを教えてくれた。
李先輩は象牙色のお仕着せを持ってきてくれており、それに着替えるように言った。
そのお仕着せは柔らかくてふんわりした着心地だった。
玲玲は「あら、木綿かしら」という。
李先輩は「浮屠の僧が西域から持ってきたものだ。今は試験的に栽培したものを女官に来てもらっている。」というが、こんなに柔らかい布を手放す選択はない。
ビシッとお仕着せに着替えた後は昨日の歩き方と帳簿付けの復習である。
私と玲玲がやった後、李先輩はやや無言だったが、「昨日からの進歩は認めよう。でも不十分だ。さらなる研鑽が必要だよ。」と言った。
え?今日も歩き方と帳簿付けなのかと一瞬ドギマギしたが李先輩は「時間もないから次の課題に行くよ。」と言ってくれたので胸を撫で下ろしたのである。
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