第2話 都へ

岐山の周辺では私一人が捕まったみたいだ。家を出る時に調剤の器具を持っていきたいと頼んでみたけれども、予想通り拒否された。私が持ち出すことを許されたのは何枚かの着替えのみだった。


私は傷薬の軟膏や丸薬にしていたいくつかの薬を素早く行李の中に滑り込ませるのがやっとだった。

準備が済むとそのまま家を出されて兵士たちやオババたちと共に再び山を下らされ、麓の村には寄ることなく村の外にあった荷車に乗せられた。


(ああ、村の人にお別れの挨拶を言えなかった)


その夜は更に進んだところにある守備隊の野営地で野営することになった。

野営地では私の親類縁者について聞かれたけれども、既に祖父は死んでいるし、両親は自分が赤子の時にここに預けに来た後は一度も会いに来ていないことを言うと、守備隊の幹部らしいあの高級な装いをした男は少し気の毒そうに私の顔を見た。

「乱世だったからな。蔡家の縁者が都で見つかるといいな。」


翌日も荷車に乗せられて延々と運ばれて、日も傾く頃になってやっと大きな城壁が見えてきた。初めて見る城壁に息を呑む思いだったが、段々と近づいてくると戦乱の跡だろうか、城壁はあちこちが崩れていたり焼けこげたりしている。


城壁をくぐり抜けるのはさすがに守備隊だったからか咎められることはなかった。

城壁の中は衰えたりとはいえ大都市の威厳は残しており、人通りも多かったが、あちこちに破壊されたり燃やされたりした建物が片付けられることなく残されていたのが生々しさを垣間見せていた。


私は町中の目立たない建物に連れてゆかれた。

「じゃあここまでだ。ここには他にも一緒に行く選秀女の候補者がいるから仲良くしてやってくれ。じゃあ達者でな。」

あの派手な服を着た守備隊の人はそう言うと私を建物から出てきたおばさんに引き継いだ。

「あなたが蔡灌ちゃんね。よくきてくれたわ。これでみんな揃ったから明日には都に向けて出発できるわよ。」

おばさんがそう言っていると後ろでガラガラと荷車が動く音がした。

思わず振り返ると私をここまで運んでくれた守備隊の人が出てゆくところだった。


「じゃあみんなのいるところに案内しましょう。」

おばさんはそう言うと建物の中に入るように言った。

おばさんについてゆくと、大広間があり、同じくらいの年齢の女の子が二十人ばかりテーブルに座って夕食を食べていた。

メニューは贅沢なものではなさそうだったが、まあ食べることができそうなものだった。

おばさんは隅の空いている席を指差すとあそこに座って食べなさいと言う。


女の子たちにチラチラと見られる視線を感じながら私は席に座って食事を始めた。

隣の子は緑がかった瞳をして赤茶けた髪の子だった。

彼女は食事の合間にジロジロと顔を見てくる。

食事中に喋ったら何か言われるだろうからとりあえずは相手にせずに食べることに専念する。

食事が終わる頃におばさんは「皆さん、今日で予定者は全員揃いましたから明日、都に向けて出発します。準備しておいて下さい。」とみんなに言った。

食器を片付けた後は何人かで小部屋に分かれて休むらしい。

隣だった女の子も同じ部屋のようだ。

「ねえ、あなたなんて言うの?」

「灌よ。」

「へえ。私は玲玲よ。」

「ちゃんと喋れるのね。」

「あら、私はこの長安で生まれ育ったのよ。そりゃおじいちゃんは庚国から来たのだけれど。西域の商人なの。」

「じゃあご家族はお商売を?」

「ええ。でもこの長安も戦乱で荒れちゃったから都の方に出て行きたいのよ。それで私が行くことになったの。」

「すごいのね」

「ここにいる子たちの半分くらいは長安を出て都に行きたい子達よ。でも私は読み書きソロバンができるから宮人じゃなくて官女になるつもりよ。そうすればうちの商会の取引が増えるでしょうからね。」

「へー」

私は予想もしない話を聞かされて唸るしかなかった。

そもそも私のことを「灌」なんて言ってくれたのは祖父だけである。祖父が死んでからは名前なんて呼ばれたことはなかった。麓の村に薬を売りに行った時には薬屋としか言われなかったので改めて「灌」なんて言われてもどうもしっくりこない。


部屋にはあと二人、同室の子が居たがどうやら玲玲とは距離があるようである。ひとしきり玲玲と話した後にその二人にも挨拶に行ったらいきなり「あんな目の色の緑色の異国人とは付き合わない方がいい」と言われてしまった。

その子たちの一人は許氏で一人は馬氏らしい。私が蔡氏であることを知ると、彼女たちは中原の民の誇りについて語り、異国人などとは付き合わないようにと熱心に勧めてくれた。

少しして玲玲が部屋に戻ってきた時、私たち三人が話しているのを見て、玲玲は少し伏目がちになって少し離れた椅子に座った。


私は玲玲のそばに行くと、「今日は疲れたわ。明日も早いみたいだから先にやすむわ。おやすみなさい。」と挨拶してからベッドに潜り込むことにした。だって本当に疲れていたのだから。


翌朝、目が覚めると隣のベッドでは既に玲玲は起き上がっていて、ちょっとくすぐったそうに「おはよう」って挨拶してくれた。

私も「おはよう」って挨拶を返していると廊下の方から「朝食の準備ができたよ!」と呼ぶ声が聞こえてきた。


朝食を終えると程なく出発である。

ここまで来たものよりは一回り大きな荷車に、行李を持ったり布で荷物を包んで抱えたりした子たちが次々に乗り込んでゆく。

私を含めて全員が乗り込むと馬に引かれた荷車はゆっくりと動き出した。


荷車の中では特にすることもないので他の少女たちと話をして情報を収集することに努めた。


数日の荷車の旅でみんなと仲良くなれた頃には私はこの国は青龍国と呼ばれる国で都は洛邑であることを知っていた。後宮の主である皇帝は朱雀帝であり、その息子の皇太子である旋はその冷たい美貌から「氷の皇太子」と呼ばれているらしい。


そうして私たちは都である洛邑の門を潜った。さすがは首都である。城壁は完全に補修されており、ヒビ一つ入っていない。門の中でも壊れたり焼けたりした建物は見当たらなかっだ。荷車は大通りを進み、王宮をぐるりと回って大きな門(玄武門)から王宮内に入って行った。

荷車はある建物の前で止まり、少女達は次々と降ろされた。

一行は広間に通され、少しすると次々と名を呼ばれた。

呼ばれたものは扉から奥に入って行って帰ってこない。しまいには玲玲と私だけになってしまった。

玲玲の名が呼ばれ、扉の向こうに消えて行った。

しばらくして「蔡灌」という甲高い声が聞こえた。

「はい」

私は返事をして扉を開けた。


扉の向こうには数人の男がいた。

中央にでっぷり太った男がおり、その横には豪華な衣を着た無表情の男がいた。

(あら、いい男っぷりだけれど目つきの悪さが損しているわね)

反対側には針金みたいな痩せた男がいた。

あとは衛士らしい筋骨隆々とした男である。

(これは礼したほうがいいわね)

私は拱手して頭を下げた。


「その方、蔡灌で間違いないか」

甲高い声で多分針金みたいな男が言った。

私は拱手したまま「左様にございます。」と返事をした。

すると真ん中の男がやはり高い声で「前に来てその木簡に名を記せ。礼はもう良いぞ。」と言う。

「はい」


礼をしたまま前を見ると成程、小さな机に硯と筆が置いてあり、その横には小さな木片がある。

私は拱手したまま前に進み出て机の前の座布団に座った。

筆を持ってみたが結構高級なものである。

私は筆に墨を含ませると木簡に「蔡灌」という自分の名前を書き、中央の男に差し出した。


目の前では息を呑む雰囲気が感じられる。

「殿下、二人続けて字が書ける女とは今回は当たりですな。」と真ん中の男が言っている。

(うん?殿下?)

最初に喋った二人の男は宦官だろう。殿下というからにはその他に皇子がいるらしい。


「その方、蔡氏ということだが何処の蔡氏か。」

おもむろに豪華な服の男が聞いてきた。他の二人と違ってこの男の声は低い。ということは宦官ではないのだろう。豪華な衣服を着ていることを考えるとこいつが皇子なのだろうと見当がつく。


「二年前に育ててくれた祖父が亡くなりましたのでその後は天涯孤独になりました。」

「祖父の名は?」

「蔡文祥にございます。」

「何と。文祥先生の孫娘だったか。」


この皇子は祖父のことを知っているのだろうか。田舎に隠棲していたはずの祖父の名が思いもよらず都の皇族に知られていたことは驚きだった。


「殿下、この娘は所作も受け答えも良いようですので女官として採用しましょう。」と真ん中の男がやはり甲高い声で言う。

「殿下」が頷くと反対側にいた細い宦官が黄色い割符を渡して奥の扉の方を指し示したのである。そちらに行けと言うことなのだろう。

私はもう一度拱手して頭を下げるとその扉を開けて奥に進むことにした。

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