辺境の薬師が蛮族の後宮に行ってみれば
藤川蓮
第1話 岐山の少女
漢の朝廷が滅んだ後、天下は分裂した。
華北を制した魏の丞相は蜀の劉家を降し、その後を襲った司馬氏は江東の孫家を併合することで再び天下は一つになったのである。けれども数代を経ぬ間に司馬一族の内訌に乗じて万里の長城を超えて侵入してきた北狄達によって中原は再び乱れに乱れたのである。
中原の繊細な文化を柔弱と馬鹿にした騎馬の戦士達は暴力による支配を是とした。
多くの人が殺され、司馬一族は江南へと逃れた。それに従って多くの知識人階級、すなわち士大夫も大河を超えて南方へと避難したのである。
この急激な避難においては多くの書物が焼かれ、あるいは打ち捨てられて消えていったし、逃げ遅れて取り残されたものも大勢いた。そういうもの達の多くは戦乱に倒れ、あるいは飢えに耐えかねて歴史の闇へと消えていったのである。
♢♢♢
少女は何かを探しながら山の斜面を彷徨っていた。
勝手知ったる場所とは言え、彼女以外の人が来ることは絶えてなく、獣道すらはっきりしない木々や茂みの中からお目当ての薬草を見つけると背負っていた籐の籠にぽいぽいと入れてゆく。時々はキノコを見つけると「夕食のおかずになりそう。」なんて言いながらやはり同じ籠に入れてゆく。
ひとしきり採取が済むと、薬草やキノコが六分くらい入った籠を担いで家に戻ってゆく。
家には亡くなった祖父譲りの古い薬研などがある。彼女はその器具を使って薬草を煎じ、あるいは傷薬の軟膏を作るのである。
一通りの薬が出来上がると彼女はそれを再び籠に入れると山を降りてゆく。
半刻程すると麓の村が見えてくる。
そこには祖父が生きていた時からの患者がいてその患者の家々を回って薬を置いてゆくのである。傷薬はよく効くという評判があるので時々は近隣の村からも求めに来るものがいたりする。
お代は野菜や穀物である。
ほぼ物々交換であるが辺境の地ではお金を持つものは少ないし、お金があったとしても使う場所もないのである。
薬と交換した穀物や野菜を籠に入れると少女はそれを背負って再び山を登って自宅に戻るのである。
祖父が亡くなってもう二年になる。それからは山中の庵で一人きりの生活である。
両親は自分が赤子の頃にここに預けにきたそうだが、それ以来、一度も会ったことがないので顔もわからない。死んだ祖父によると父親はさる王家に侍医として仕えていたそうなのだけれど、この戦乱の世では最早生きているのかどうかすらわからなかった。
少女は薬の代わりにせしめてきた野菜や穀物を使って一人分の食事を作るのだった。
♢♢♢
少女が住む山は岐山と言い習わされている。
そこはもともと羌族の住む土地で殷を討ち滅ぼした周の文王、武王の出身地とされている。かつては中原の主人の故地ということで神聖視されていた場所だが、北狄の異民族にとっては何の意味もない山でしかないので永らく放置されているらしい。
東には古都長安があるが、長安は既に何度も戦乱に遭い略奪を受けて廃墟となっている。
それでも長安周辺には守備隊が置かれており、他の地域に比べると比較的治安は保たれている。
けれども岐山の向こうはもういわゆる西域である。
西域の騎馬民族には誘拐婚という風習がある。男性が無理やり女性を攫って連れて帰り、無理やり結婚するという風習である。麓の村々では時に騎馬の男が村の年頃の娘を攫って連れて行って無理矢理結婚させる事件が起こることがある。
例えそのことで村人が長安の守備隊に救出を願いでても、守備隊の隊長自身が騎馬民族なのである。彼ら自身が誘拐婚の風習を受け入れているので、よほど高官の娘が攫われたのでない限り「仕方ないよね。諦めて。」と握りつぶされることがほとんどだった。
それで少女も自衛のために化粧っ気一つなく、着るものもそこらの少年が着るような使い古しのヨレヨレの着物を着ているのである。
さすがに近寄ってまじまじと見れば13歳の少女らしく子供から大人に移り変わる刹那の美を見出すことができたかもしれないが、傍目には小柄な少年と言われても何の違和感をも感じさせない。
恐らく麓の村の人も彼女のことは少年だと思っている人がほとんどだろう。
そんなある日、いつものように麓の村に降りてゆくと、村中が物々しい雰囲気である。
いつもは長安にいるはずの守備隊が村の中を歩き回っている。
村の中には人通りもなく、多くの村人は家の中からそっと守備隊の人たちを見守っている様子である。
それでもいつものように薬を配るために「こんにちは」と言って扉を開けるといつもは朗らかなおばさんが慌ててこちらに来ると少女を門の中に引っ張りこむとピシャリと扉を閉めてしまった。
「一体何があったんですか?」
「ああ、あんたは男の子だから知らないんだね。今日は選秀女の日だよ。国中で若い未婚の女を捕まえて皇帝陛下に献上するんだよ。」
「え…」
「一度捕まってしまえば都に連れて行かれて後宮に放り込まれて出て来られなくなるからね。万が一にも娘を連れて行かれないようにしないと。」
「でもこんな田舎の娘が皇帝陛下の妃なんておかしいでしょう。」
「当たり前じゃないか。ここの女なんて下働きの女としてこき使われるだけに決まっているじゃないか。」
少女はそこのおかみさんに礼をすると素早く門を出ていつも薬を配っている家々を急いで回って薬を置いていった。
今日は悠長に野菜や穀物をもらっている余裕はなさそうだ。
兵士たちに見咎められないように薬を配り終わると急いで村を出た。
今日は傷薬を欲しがる人もいないに違いない。
誰とも目を合わせないように村を出て山への道を歩いているといつもと変わらない長閑な光景である。
(捕まらなくてよかったあ)
見たことのない都がどんなところなんだろうという興味はないではなかったが、それよりも住み慣れた山の庵や麓の村から離れる方が不安に決まっている。
(今日は米や野菜をもらえなかったけれどまだ倉庫には残っているから大丈夫よね。)
今日は食べられるキノコや野草を取りに行こうと思いながら家に入ろうとすると、いきなり両側から走り出てきた男たちに腕を掴まれてしまった。
「何するんだよ。はなせ!」
叫んで暴れようとしてみたものの大人の男二人に抑えられては敵うはずもない。
見るとその二人のいで立ちはさっき麓の村で選秀女のために来ていた兵士たちと同じだった。
(村で捕まらなかったのはここで捕まえるつもりだったからなのね)
無駄と知りつつも虚しくもがいていると、家の中から兵士よりも少し派手な格好をした男が出てきた。
「蔡灌だな。喜べ。貴様はもったいなくも皇帝陛下のお慈悲によって都で保護されることになった。もうこんな山奥で身寄りもなく暮らさなくても良いぞ。」
その男はこちらに紙を見せた。確かにそのおふれの紙には身寄りのない少女を都に送って後宮で働かせるということが書いてあった。ということはこれは「選秀女」とは別なんだろう。だから村では捨て置かれていたのか。
「ぼ、僕は男だよ。後宮で働けるわけないでしょう。」
「おや?俺は後宮のことは言っていなかった筈だがな。まあいい。家の中にはオババがいるからきちんと調べるよ。安心しろ。」
兵士たちに連れられて家の中に入るとなるほど、中年の女性が三人待っている。
オババと言うにはちょっと若いのではないかと思ったが、兵士たちはその女性たちに私を渡すと逃げるように部屋を出ていった。
「いやあああ!ぎゃああああ!」と全力で騒ぐのをものともせずに全ての着物を剥ぎ取ったオババは私の体を見てちょっと呆れたように「よく化けていたねえ。でも健康間違いなし。合格!」と大きな声で言った。
その瞬間、私の都行きが確定した。
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