第三十七話:陣形の理
第三十七話:陣形の理
執筆:町田 由美
新野の練兵場に、巨大な「円」と「方」の図面が描かれた。
私は、その中心に立ち、羽扇(うせん)をタクトのように振るいながら、将軍たちに「法」という名の陣立てを説いていた。
「……関将軍。あなたの『青龍』の旗は、この陣の『生門(せいもん)』を司る。……敵が死地に狂い込んできた時、あなたはただ斬るのではなく、敵を『導く』壁となっていただきたい」
関羽は、腕を組み、地面に描かれた複雑な線を見つめていた。
「……導くだと。軍師殿、私は敵を正面から砕くことしか知らぬ。……私の兵に、盾を並べて耐えろと言うのか」
「いいえ、雲長殿。耐えるのではありません。……あなたが『静』を保つことで、敵は焦り、自ら均衡を崩すのです。……あなたが動かぬことこそが、最強の攻撃となる。……それが、この『八門金鎖』の理です」
私は、次に趙雲(子龍)を呼び寄せた。
「子龍殿。あなたは『景門(けいもん)』。……この陣の心臓です。……関将軍が壁となり、張将軍が嵐となったその隙間を、あなたは一筋の光となって射貫く。……陣形とは、全員が同時に戦うことではありません。……一人が休み、一人が守り、一人が刺す。……その呼吸を、あなたの槍で統率していただきたい」
趙雲は、銀の槍を静かに構え、私の瞳を凝視した。
「……呼吸、ですか。……軍師、あなたは私たちを、一つの巨大な生き物にしようとしているのですね」
「その通りです。……数万の個ではなく、一つの巨大な意思。……それだけが、曹操という巨人を倒す唯一の手段なのです」
そこへ、大きな足音と共に張飛(翼徳)がやってきた。彼は、自分の兵たちが慣れぬ隊列移動で混乱しているのを見て、苛立っていた。
「おい軍師! 俺の連中に、右だ左だ、一歩だ二歩だと、細けえ指示を出すのはよしてくれ! あいつらは、俺が『行け!』と言えば、地獄まで突っ込む奴らだ。……こんな窮屈な箱の中に閉じ込めて、戦ができるか!」
私は、張飛の前に歩み寄り、彼の巨大な拳を、羽扇で軽く叩いた。
「……張将軍。……地獄まで突っ込むのは勝手ですが、私はあなたを地獄から『連れ戻す』ためにこの陣を敷いているのです。……無秩序な突撃は、ただの自殺です。……ですが、この陣を覚えれば、あなたは十万の敵の真ん中で踊り、そして傷一つ負わずに劉備将軍の元へ帰ってこられる。……あなたは、死にたいのですか。それとも、勝ちたいのですか」
張飛は、一瞬、毒気を抜かれたように呆然とした。
そして、ふんと鼻を鳴らすと、地面の図面を足でなぞった。
「……チッ、勝ちてえに決まってんだろ。……分かったよ、軍師。……俺の兵どもには、俺が体を張って教え込んでやる。……その代わり、この陣が破れた時は、あんたの羽扇を真っ二つにしてやるからな!」
「ふふ。……その時は、私の首も一緒にお持ちください」
訓練が始まった。
旗が振られ、銅鑼(どら)が鳴る。
関羽の重厚な防陣。張飛の猛烈な旋回。趙雲の電光石火の刺突。
最初はバラバラだった兵たちの動きが、将軍たちが孔明の「理」を理解し始めるにつれ、一つの巨大な潮流へと変わっていく。
夕闇が迫る頃、練兵場には、それまで新野にはなかった「静かなる威圧感」が漂っていた。
劉備将軍は、城壁の上からその光景を眺め、深く感嘆していた。
「……孔明殿。……彼らは今、ただの武人から、時代の『歯車』になった。……あなたが吹き込んだのは、知恵ではない。……彼らが生き延びるための、冷徹な『愛』だ」
私は劉備将軍の隣に並び、遠く北の地平線を見据えた。
(……愛、ですか。……もしそうなら、その愛が、いつか彼らを縛る鎖にならぬことを祈るばかりです)
青年・孔明。二十七歳。
将軍たちが陣形を「体」で覚え始めた。
それは、新野という名の小舟が、嵐の海を渡るための唯一の「帆」となった。
しかし、その帆が、どれほどの強風に耐えられるのか。
曹操の五十万という名の「暴風」は、すぐそこまで、音もなく迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます