第八話:孤高の埋葬

​第八話:孤高の埋葬


​執筆:町田 由美


​ 地面を掘る指先は、とうの昔に感覚を失っていた。

 木の枝を折り、鋭く尖らせた即席の道具で、私は揚州の硬い土を削り続けていた。

 

 「兄様……おじうえ、おきないの……?」

 

 傍らで、均(きん)が震える声で尋ねる。

 熱に浮かされた彼の瞳は、現実と夢の境目を彷徨っていた。

 私は答えなかった。

 答えてしまえば、私の胸の奥で辛うじて形を保っている「何か」が、一気に砕け散ってしまうような気がしたからだ。

 

 叔父上の遺体は、月光に照らされて白く浮き上がっていた。

 数日前まで、この手で筆を執り、文字を教えてくれた人。

 理不尽な世界の中で、唯一「理(ことわり)」を語り続けてくれた人。

 その人が今、物言わぬ肉の塊となって、冷たい夜気に晒されている。

 

 ガリ、と嫌な音がして、折れた枝が爪の間を裂いた。

 鮮やかな血が土を汚したが、私は手を止めなかった。

 

 (泣いてはいけない)

 

 私は自分に言い聞かせた。

 涙を流せば、その瞬間に私は「守られるべき子供」に戻ってしまう。

 けれど、今の私には、守ってくれる者は誰もいない。

 私が均を守り、私がこの運命を導かなければならないのだ。

 

 ようやく掘り終えた浅い穴に、叔父上を横たえた。

 叔父上の懐から、血と泥に汚れた「諸葛」の印綬が零れ落ちる。

 かつては権威の象徴であったその金色の紐も、今は月光を跳ね返すだけの冷たい金属に過ぎない。

 

 私はその印綬を拾い上げ、自分の懐に深く仕舞い込んだ。

 それは叔父上の遺品ではない。

 いつかこの無秩序な世界に、再び正しい「名」と「席」を取り戻すための、呪いのような約束だった。

 

 「叔父上……。私は、あなたのようにはなりません」

 

 土を被せる直前、私は誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。

 

 「あなたは、正しすぎて敗れた。……私は、正しさを『力』に変えます。誰もが跪かざるを得ない、圧倒的な理を、私はこの手で作り出します」

 

 叔父上の顔が土に消えていく。

 最後に見たその表情は、苦悶から解き放たれ、どこか諦念に満ちた平穏を湛えていた。

 

 墓標などはない。

 そこが誰の墓であるかを示すものは、私の記憶以外に何も残さなかった。

 それが、叔父上が最も望んでいた「隠逸(いんいつ)」の形だったのかもしれない。

 

 夜が明け始め、周囲の景色が白んでくる。

 均は疲れ果て、私の足元で丸くなって眠っていた。

 その呼吸は依然として苦しげだったが、死の色はまだ差し込んでいない。

 

 私は立ち上がり、服についた泥を乱暴に払った。

 目の前には、どこまでも続く荒野。

 

 (荊州へ……)

 

 叔父上が遺したあの書状。劉表という男に宛てた、最期の命綱。

 それが、私たちがこの地獄から這い出す唯一の道だ。

 

 不意に、風が吹いた。

 その風は、叔父上が死んだ夜の冷たさを消し去るような、微かな春の気配を孕んでいた。

 けれど、私の心に春が来ることはない。

 

 私は均を背負い直した。

 振り返ることなく、南へと歩き出す。

 私の足音は、昨日までのそれとは違い、重く、確かな覚悟を帯びて大地を刻んでいた。

 

 十三歳の諸葛亮。

 彼はこの日、自らの手で「過去」を埋め、見知らぬ「未来」へとその身を投じた。

 その瞳に映っているのは、もはや故郷の山河ではなく、混沌の渦巻く天下の地図だった。

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