【第八話】 ボヤ騒ぎにしては火力が強すぎます 



『ゴォオオオオオ』


世界が震えた。

比喩ではない。実際に、地下四十層の広大な空間そのものが、物理的な振動を起こして悲鳴を上げたのだ。


炎の巨神『ギガント・ジョロキア』。

その咆哮ほうこうは、ただの音波ではない。

大気中の魔素マナを強制的に励起させ、空間そのものを灼熱の地獄へと書き換える「領域展開」の合図だった。


「ぐ、あぁぁ……ッ!!」


Aランクパーティー『鉄壁の重戦車アイアン・タンク』のリーダー、ガルドが膝をつく。

彼の全身を守るミスリルの鎧が、赤熱し、ジュウジュウと音を立てて皮膚を焼き始めていた。

ただそこに存在するだけで、生物としての生存権を剥奪される。

それが神話級ミソロジー・クラス威圧感プレッシャーだ。


「ダメ……! 私の防御結界じゃ、熱量を遮断しきれない……!」


キサラギ・レイナが展開した青白い魔法障壁も、巨神が放つ輻射熱ふくしゃねつの前では薄氷のように頼りなかった。

障壁の表面に亀裂が走り、硝子のように砕け散っていく。


『人間風情ガ……。ヤット、封印ガ解ケ、本来ノ魔力ヲ取リ戻サント言ウトキニ……我ガ眠リヲ妨ゲシ罪、万死ニ値スル』


巨神がマグマの海からゆっくりと立ち上がる。

その全長は優に五十メートルを超えていた。

全身から噴き出す炎は太陽のプロミネンスのように渦巻き、天井の岩盤をドロドロに溶かして雨のように降らせる。


「終わりだ……。こんなの、勝てるわけがない……」


ガルドが絶望に染まった瞳で呟く。

彼らの目の前にいるのは、生物ではない。「災害」だ。

台風や地震に剣で挑む人間がいないように、この圧倒的なエネルギーの塊に対して、人はあまりにも無力だった。


巨神が、ゆっくりと右腕を振り上げた。

その拳には、周囲の溶岩が渦を巻いて吸い寄せられ、直径二十メートルほどの巨大な「人工太陽」を作り出していた。


『灰トナレ』


巨神が拳を振り下ろす。

単純な物理攻撃ではない。

超高密度の熱量と質量が、音速を超えて叩きつけられる「滅びの一撃」。

直撃すれば、この階層ごと消滅し、地上の街すらも揺るがすだろう。


死。

確定的な死が、スローモーションのように迫る。


誰もが目を閉じ、最期の時を覚悟した――その時。


カツン。


軽い足音が響いた。

灼熱の暴風を突っ切って、一人の男が前に出たのだ。


神宮寺ミナト。

彼は、降り注ぐ太陽のような拳を見上げ、あろうことか「やれやれ」と首を振った。


「ったく。これだから現場を知らない管理職みたいな奴は困るんだよ」


ミナトは、恐怖に顔を歪めるどころか、呆れ果てていた。

彼の目には、迫り来る神の一撃が「世界の終わり」には見えていない。

では何に見えているのか?

それは――


「火気厳禁エリアで、そんなデカい焚き火を振り回すな。場所が場所なら、スプリンクラーが作動しちまうだろ」


ただの「労働安全衛生規則違反」だった。


ゴォォォォォォォォッ!!


巨神の拳がミナトの頭上数メートルまで迫る。

熱波だけで鋼鉄が蒸発する距離。

誰もが思ったはずだ。

『さすがのミナトも、これは消し炭になる!』と。


だが。

ミナトは動じない。

彼は背負った高圧洗浄機のダイヤルを『HOT(温水)』から『COOL(冷水)』へ、そして水圧を『MAX(災害級)』へとカチリと回した。


「業務連絡。初期消火を開始する」


ミナトがトリガーを引くのと、巨神の拳が着弾するのは同時だった。


業務用冷却放水インダストリアル・クーリング・ショット!!」


ドォォォォォォォォォォン!!


閃光が走る。

そして、鼓膜をつんざくような水蒸気爆発の音が轟いた。


視界が真っ白な蒸気で覆われる。

ガルドたちは爆風に吹き飛ばされそうになりながら、必死に地面にしがみついた。


(やられたか……!? あの兄ちゃん、跡形もなく……!)


数秒の静寂。

やがて、もうもうと立ち込める蒸気が晴れていく。


そこで彼らが目にしたのは、信じがたい光景だった。


「……は?」


ミナトは、立っていた。

作業着の袖が少々焦げ、髪が爆発したかのようにチリチリになってはいるが、五体満足で。

そして、彼が構えた高圧洗浄機のノズルの先には――。


カチコチに黒く固まった、巨神の右腕があった。


『ナ……ッ!? 我ガホムラガ……凍リツイタダト……!?』


巨神が驚愕の声を上げる。

自慢の超高熱マグマパンチが、ミナトの放った「水」によって瞬時に冷却され、ただの「巨大な黒曜石の塊」に変えられていたのだ。


「水……? バカな、ただの水で、神の炎が消えるわけが……!」


レイナが震える声で呟く。

そうだ。普通の水なら、触れた瞬間に蒸発して終わりだ。

だが、ミナトが使ったのは、彼が長年の業務で独自に調合した『絶対冷却液(成分:ドライアイスと液体窒素とハッカ油を混ぜたもの)』だった。

家庭用ではない。プロ仕様だ。


「お前、体温高すぎだぞ。ちょっと頭冷やせ」


ミナトはニヤリと笑うと、固まった巨神の腕を足場にして、驚異的な跳躍を見せた。

タタタッ!と黒曜石の腕を駆け上がり、一瞬で巨神の顔の高さまで到達する。


『貴様ァァァッ!! 人間風情ガァァァ!!』


巨神が逆上し、口から極大のブレスを吐こうとする。

だが、遅い。

ミナトは空中で、懐からある「道具」を取り出していた。

それは、どこの家庭にでもある、赤くて硬い筒状のもの。


「消火器アタック!」


ガゴォッ!!


ミナトが振り下ろした業務用消火器の底が、巨神の脳天にめり込んだ。

物理攻撃無効?

関係ない。これは攻撃ではない。「消火活動」だ。


『ガァァッ!?』


巨神がたたらを踏む。

その隙を見逃すミナトではない。

彼は空中で消火器のピンを抜き、ノズルを巨神の口の中に突っ込んだ。


「火元に直接噴射! これ、消火の基本な!」


プシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!


ピンク色の消火剤の粉末が、巨神の体内に大量に送り込まれる。

酸素を奪われた炎は、物理法則に従って消えるしかない。

神だろうが何だろうが、燃焼の三要素(可燃物・酸素・熱源)を絶たれれば、火は消えるのだ。


『ゴ、ボ……ッ!? 火ガ……消エ……』


巨神の赤い瞳から、光が失われていく。

体表を覆っていたマグマが急速に冷え固まり、黒い岩肌へと変わっていく。

断末魔を上げる間もなく、炎の巨神は、その場に崩れ落ちるようにして――。


ズズズズズ……ン。


完全に沈黙した。

そこにはもう、世界を滅ぼす魔神はいない。

ただの、巨大な「燃えカス」の山があるだけだった。


ミナトは軽やかに地面に着地すると、空になった消火器をポンと投げ捨てた。

そして、すすで汚れた顔をタオルで拭いながら、呆然とするレイナたちに振り返った。


「ふぅ。ボヤ騒ぎで済んでよかったな。……おい、消火活動は掃除屋の仕事じゃないぜ。手当はちゃんと出るんだろうな?」


「え…あ……はい」


静寂。

完全なる静寂。

ガルドも、レイナも、言葉が出なかった。

神話の怪物を相手に、「ボヤ騒ぎ」と言い放ち、消火器一本で鎮火してしまった男。


(((コイツが一番のバケモノだ……)))


全員の心が一つになった瞬間だった。

しかし、当のミナトは、固まった巨神(黒曜石の山)を見上げて、新たな悩みを抱えていた。


「参ったな……。こんなデカい産業廃棄物、どこの処分場に持っていけばいいんだ? リサイクル料も、高そうだなぁ。……ちゃんと払ってくれるよな、会社?」


(続く)

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