【第七話】 土足厳禁はマナーの基本です


腐食ふしょくの沼地』エリアを、さわやかなオレンジの香りに変えた神宮寺ミナト一行は、さらにダンジョンの奥深くへと進んでいた。


先ほどのスライム殲滅劇を目の当たりにしたAランクパーティー『鉄壁の重戦車アイアン・タンク』の面々は、今や完全にミナトの「信者」と化していた。


「神宮寺さん! 前方の瓦礫がれき、俺たちがどかしますんで!」

「いやいや、俺の仕事だからいいって。俺がやるよ」

「滅相もございません! 師匠(勝手に呼んでいる)の手を煩わせるわけには!」


リーダーのガルドが、巨大な岩を必死に押し退ける。

彼らの態度は、数十分前の「なんだこの掃除屋は」という侮蔑から、「一生ついていきます」という崇拝へと180度転換していた。

探索者の世界では、強さこそが正義。

そして、物理無効のバケモノを「洗剤」で消し去ったミナトは、彼らにとって規格外の強者カイブツとして認識されたのだ。


「……やりづらいなぁ」


ミナトはデッキブラシを肩に担ぎ、困ったように頭をかいた。

隣を歩くキサラギ・レイナは、周囲の気配を探りながら、険しい表情を崩さない。


「神宮寺さん、油断しないでください。先ほどのスライムが逃げてきたということは、この先に『スライムですら逃げ出す何か』がいるということです」

「何か、ねぇ。……まあ、何がいようと散らかってたら片付けるだけだけど」


ミナトはあくまでマイペースだ。

一行は、第四十層の未踏破エリア、『腐敗の寝床』と呼ばれる回廊に差し掛かった。

ここからは地図にも載っていない未知の領域だ。


その時だった。


「――ッ!? なんだ、これ……」


先頭を歩いていたガルドが、声を震わせて立ち止まった。

彼が掲げた魔法ランタンの明かりが、床の一部分を照らし出す。


そこにあったのは、穴だった。

いや、ただの穴ではない。

硬い岩盤が、凄まじい質量で踏み抜かれ、めり込んでいるのだ。

その形は、明らかに「人の足」の形をしていた。

ただし、サイズがおかしい。

全長、およそ五メートル。


足跡トラック……!? バカな、こんなデカさの人間がいるわけが……!」

「いえ、人間ではありません」


レイナが足跡のふちに膝をつき、焦げ付いた岩の匂いを嗅ぐ。


「この焦げ跡、そして残留する圧倒的な熱量……。間違いないわ。神話級ミソロジー・クラスの魔物、炎の巨神『ギガント・ジョロキア』の痕跡です」


「ギ、ギガント・ジョロキアだって!?」


ガルドたちが悲鳴に近い声を上げる。

それは、探索者の教科書に「遭遇したら即座に遺書を書け」と記されている伝説のモンスターだ。

太古の昔、一晩で一つの国を焼き尽くしたという厄災そのもの。


「ウソだろ……。封印されていたはずの巨神が、こんなところで目覚めている筈が!?……いや、しかし…」

「引き返すべきです! これは我々の手に負える相手じゃない!」


パーティーメンバーが恐慌状態に陥る。

伝説が本当であれば、Sランクパーティーが総出で挑んでも、勝率は数パーセントという絶望的な相手だ。

今すぐ逃げなければ、全員消し炭になる。


だが、そんな絶望的な空気の中。

一人だけ、全く別の理由で震えている男がいた。


「…………おい」


神宮寺ミナトだ。

彼は五メートルの巨大な足跡の前に仁王立ちし、わなわなと肩を震わせていた。

恐怖で?

いいや、違う。


「誰だ……仕上がり後の床に、泥足で上がり込んだバカは。ここだって清掃員の誰かが綺麗にしただろうに…」


ミナトの声は、地獄の底から響くように低く、ドスが効いていた。

彼の目には、伝説の巨神の痕跡など映っていない。

映っているのは、「ピカピカに磨いた廊下に付けられた、泥だらけの靴跡」という事実だけだ。


「み、ミナトさん? 相手はギガント・ジョロキアですよ!? 泥足とか言ってる場合じゃ……」

「関係あるかッ!!」


ミナトが一喝する。

その剣幕に、ガルドたちがビクッと縮こまる。


「いいかお前ら! ここは屋内だぞ!? ダンジョンとはいえ、屋根がある以上は屋内なんだ! 外から帰ってきたら、入り口で泥を落とす! それが社会人の、いや生き物としての最低限のマナーだろうが!」


ミナトは怒りのあまり、足跡の縁をデッキブラシでバンバンと叩いた。


「見てみろこの惨状を! 岩盤が割れて粉塵ほこりが舞ってるじゃないか! しかもなんか焦げ臭いし! 床が焦げたら張り替え工事が必要なんだぞ!? 誰が金出すと思ってんだ!」


「(そ、そこ……!?)」


レイナはあまりの論点のズレっぷりに、ツッコミを入れる気力すら失った。

この男にとって、国家存亡の危機をもたらす破壊神も、「床を汚すマナー違反者」でしかないのだ。


「許せねえ……。俺の任された管理区域で、こんな舐めた真似をする奴は」


ミナトは懐から『業務用粘着ローラー(通称:コロコロ)』の巨大版を取り出すと、親の仇のように足跡の上を転がし始めた。


「ほら見ろ! こんなに砂利が取れる! 掃除する身にもなれってんだ!」

「あ、あの……師匠? その辺にして、逃げませんか……?」

「逃げる? バカ言ってんじゃねえ。犯人を見つけて、反省文を書かせるまでは帰れねえよ!」


ミナトはコロコロを放り投げ、再び高圧洗浄機を背負い直した。

その背中からは、伝説の巨神をも上回るかもしれない、ドス黒い「職業人の怒り《プロフェッショナル・ラース》」が立ち昇っている。


「行くぞ。足跡は奥まで続いてる。……突き止めて、掃除シメてやる」


スタスタと歩き出すミナト。

ガルドたちは顔を見合わせ、そして泣きそうな顔でレイナを見た。

レイナは静かに眼鏡を押し上げ、覚悟を決めたように頷いた。


「行きましょう。……彼を止めるのは、巨神を倒すより難しそうですから」


一行は、さらに深く、暗い闇の中へと足を踏み入れた。

進むにつれて、気温が急激に上昇していく。

岩肌は赤熱し、空気は陽炎かげろうのように揺らめいている。

まるで火山の火口に近づいているかのようだ。


そして、最深部の大空洞。

サッカー場がすっぽりと入るほどの巨大な空間に、その「汚れの元凶」はいた。


ゴォォォォォォォォ……。


地響きのような寝息と共に、赤熱したマグマの海に浸かっている、山のような巨体。

全身から炎を噴き上げ、触れるもの全てを灰に変える灼熱の覇王。


『炎の巨神 ギガント・ジョロキア』。


その圧倒的な威容に、ガルドたちは腰を抜かし、レイナですら呼吸を忘れた。

生物としての格が違う。

ここにいるだけで、魂が焼かれるようなプレッシャー。


だが。

カツ、カツ、カツ。

静寂な空間に、場違いな足音が響く。


ミナトだ。

彼は灼熱の熱波を「ちょっと暖房効きすぎだな」程度に受け流し、巨神の目の前まで歩み寄った。

そして、あろうことか、眠っている巨神の鼻先(巨大な岩のような鼻)を、デッキブラシの柄でコツコツと叩いた。


「おい、起きろ」


『……?』


巨神のまぶたが、ゆっくりと持ち上がる。

その瞳は、溶岩のように赤く輝き、人間など虫ケラにしか見えない傲慢さに満ちていた。

目覚めた厄災が、目の前の小さな生物を見下ろす。

通常なら、その視線だけで心臓が止まる場面だ。


しかし、ミナトは腰に手を当て、町内会長のような顔つきで言い放った。


「入り口の足跡、お前だろ?」


『…………ゴ?』


「『ゴ』じゃねえよ。聞こえてんだろ。あの泥汚れ、お前がやったのかと聞いてるんだ」


ミナトは巨神の顔の前に、汚れたコロコロのテープを突きつけた。


「証拠は挙がってんだよ。……さあ、どう落とし前つけてくれるんだ? ああん?」


世界を滅ぼす巨神と、床の汚れにキレる清掃員。

歴史に残る大喧嘩大掃除の火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。


(続く)

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