【第六話】 初仕事は「激落ち」でお願いします


探索者ギルドの「特別外部顧問(清掃担当)」としての初出勤日。

神宮寺ミナトは、ダンジョン管理庁が用意した専用車両に揺られていた。


「……なぁ、キサラギさん」

「何でしょう、神宮寺さん」


隣の席でタブレットを操作しているキサラギ・レイナが、顔を上げずに答える。

今日の彼女はスーツではなく、身体のラインにフィットした黒い戦闘用スーツに身を包んでいる。

その上から白い管理官用コートを羽織った姿は、戦場に咲く冷徹な花のようだ。


対するミナトは、いつもの作業着だ。

ただし、胸元にはギルドから支給された

『Sランク清掃員認証バッジ(仮)』が輝いている――

はずだったが、彼はそれをポケットの中にしまっていた。

「キラキラしてて作業の邪魔だから」という理由で。


「俺の初仕事の現場、ここだよな? 『大深度地下ダンジョン・アビス』第四十層」

「ええ、そうです」

「四十層って、たしか『腐食ふしょくの沼地』エリアだよな? あそこ、湿気がすごいからカビが生えやすいんだよ。嫌だなぁ」


ミナトは憂鬱そうに窓の外を見た。

一般の探索者にとって、四十層は「死の境界線」と呼ばれる難所だ。

空気中を漂う猛毒の胞子、装備を溶かす酸の沼、そして物理攻撃が効かない不定形のモンスターたち。

Aランクパーティーですら、ガスマスクと耐酸装備で身を固めてようやく通過できる危険地帯である。

それを「湿気でカビが生える」と評する人間は、世界広しといえども彼一人だろう。


「今回の依頼は、その四十層の一部エリアで発生した『異常汚染』の除去です」


レイナはタブレットの画面をミナトに見せた。

地図上の特定エリアが真っ赤に染まっている。


「数日前から、このルート上に正体不明の『粘着性物質』が大量発生し、探索者たちの進行を阻んでいます。物理攻撃は無効、魔法で焼こうとすると有毒ガスが発生する。既に三つのパーティーが撤退を余儀なくされました」

「ふうん……。粘着性物質ねぇ」


ミナトはプロの顔つきで画面を覗き込む。


「油汚れか、それともヘドロか。まあ、現場を見ないと分からんな」

「現地には、現在攻略中のAランクパーティー『鉄壁の重戦車アイアン・タンク』が待機しています。彼らと合流し、安全を確保しつつ作業を行ってください」


レイナは眼鏡の位置を直し、真剣な眼差しでミナトを見た。


「神宮寺さん。あなたの実力は理解していますが、相手は未知の現象です。くれぐれも油断せず、私の指示に従ってください」

「へいへい。分かってるよ。安全第一、だろ?」


ミナトは軽く手を振った。

彼の背中には、今日の作業のために新調した『業務用高圧洗浄機・改(タンク容量増量タイプ)』が背負われていた。


***


地下四十層、『腐食の沼地』。

視界を遮る濃い緑色の霧と、足元から湧き上がる腐敗臭。

防毒マスクなしでは一呼吸で肺が焼け爛れる地獄のような環境に、男たちの怒号が響いていた。


「クソッ! なんだこのネバネバは! 足が抜けねぇ!」

「盾を構えろ! 酸が飛んでくるぞ!」

「魔法使い! 浄化クリア魔法はまだか!」

「ダメです! 私の魔力じゃ追いつきません!」


苦戦を強いられているのは、Aランクパーティー『鉄壁の重戦車アイアン・タンク』の四人だ。

リーダーで盾職タンカーのガルドは、全身を覆うフルプレートアーマーの上からでも分かるほど焦っていた。


彼らの行く手を阻んでいるのは、通路全体を塞ぐ巨大な『壁』だった。

紫色に脈打つ、半透明のゲル状物質。

天井から床までびっしりと張り付き、触れたものを強酸で溶かし込もうとする悪夢の障害物だ。


「おいおい、聞いてねぇぞ……。こんなの、ただのスライムじゃねぇ!」


ガルドが愛用のミスリル盾でゲルを殴りつけるが、ボヨンと弾き返されるだけだ。

剣で斬れば刃が溶け、炎で焼けば毒ガスが出る。

完全な詰み状態だった。


「隊長! 後方から誰か来ます!」

「増援か!? Sランクの『閃光』か!?」


ガルドが期待を込めて振り返る。

霧の向こうから現れた人影。

しかし、そこにいたのは彼らの予想を遥かに裏切る二人組だった。


一人は、黒いスーツの美女。

もう一人は、ホームセンターで売っていそうな作業着に長靴を履いた、妙に姿勢のいい男。


「……は?」


ガルドたちの動きが止まる。

ここは四十層だぞ?

なんで「清掃業者」みたいなのがいるんだ?


「お疲れ様です。ダンジョン管理庁のキサラギです。状況確認に来ました」


レイナが冷静にIDカードを提示する。

ガルドはマスク越しに目を白黒させた。


「か、管理庁だと? あんたらか? ギルドがよこした『スペシャリスト』ってのは」

「はい。こちらが担当者の神宮寺です」


レイナに紹介され、ミナトが一歩前に出た。

彼はマスク越しにペコリと頭を下げた。


「どうも、お世話になります。清掃担当の神宮寺です。いやぁ、足元が悪くて大変ですね」


「……」


ガルドたちは絶句した。

清掃担当?

この地獄のような最前線に、掃除屋を連れてきたのか?

正気か?


「おいおい、嬢ちゃん。悪い冗談はやめてくれ。俺たちが求めたのは、このバケモノ粘液を吹き飛ばせる大魔導師だぞ。こんな兄ちゃんに何ができるんだ」


ガルドが苛立ちを露わにする。

無理もない。彼らは命懸けなのだ。


だが、ミナトはそんなガルドの態度を気にする様子もなく、テクテクと問題の「粘液の壁」に近づいていった。


「おい! 危ねぇぞ! 近づくと溶かされるッ!」

「ふむ……」


ミナトは忠告を無視し、ゴム手袋をした指先で紫色の粘液をツンツンと突いた。

ジュッ、と嫌な音がしてゴムが少し焦げるが、彼は眉一つ動かさない。


「なるほどな。こりゃ酷い」


ミナトは独り言を呟きながら、ポケットからpH試験紙(リトマス紙のようなもの)を取り出し、ペタリと貼り付けた。

紙が瞬時に真っ赤に変色する。


「やっぱり酸性か。しかも、かなり油分を含んでるな。……これ、上層階の飲食店エリアから流れてきた廃油が、下層のヘドロと混ざって変質した『オイル・スライム』の集合体ですね」


「は、はぁ? オイル・スライム?」


ガルドがポカンとする。

そんなモンスター名は図鑑に載っていない。

だが、ミナトにとっては「モンスター」ではなく「汚れの種類」こそが重要なのだ。


「原因が分かれば対処は簡単だ。油汚れには、界面活性剤入りの中性…もしくはアルカリ洗剤と熱湯が一番効く」


ミナトは背中の高圧洗浄機を下ろし、タンクのキャップを開けた。

そして、腰のポーチから取り出した『業務用超強力洗剤(オレンジの香り)』をドボドボと投入する。


「お、おい! 何をする気だ!」

「下がっててください。飛び散ると危ないんで」


ミナトは洗浄機のノズルを構え、トリガーに指をかけた。

その構えは、まるで熟練の銃士マスケティアのように隙がない。

レイナだけが、「来るわね」と悟って静かに数歩下がった。


清掃開始クリーニング・スタート


ミナトがトリガーを引く。


ブシュァァァァァァァァァァッ!!


ノズルの先端から、白濁した高温の高圧水流がレーザービームのように噴射された。

凄まじい水圧音が洞窟内に轟く。


水流が粘液の壁に直撃した瞬間――。


ギャァァァァァァァッ!!


壁だと思われていた粘液全体が、断末魔のような悲鳴を上げた。

これはただの物質ではない。無数の微小なスライムが集まった集合生命体だったのだ。

だが、ミナトの高圧洗浄は容赦がない。


「そこだ! こびりついた汚れは、根こそぎ剥がす!」


ミナトはノズルを巧みに操作し、正確無比な手つきで「壁」を削り取っていく。

洗剤の成分がスライムの細胞膜(油分)を瞬時に分解し、高圧の熱湯が核を破壊する。

剣も魔法も効かなかった無敵の障害物が、まるで濡れたトイレットペーパーのようにボロボロと崩れ落ちていく。


「な、なんだあれは……!?」

「水魔法……? いや、あれはただのお湯だぞ!?」

「なんでお湯でモンスターが死ぬんだよ!?」


ガルドたちは開いた口が塞がらない。

彼らの常識では理解不能な光景だ。

だが、目の前で起きている事実は一つ。

Aランクパーティーを撤退させた脅威が、「オレンジの香り」と共に綺麗さっぱり消滅していくということだけだ。


「よし、表面の汚れは落ちたな。次は仕上げだ」


ミナトはノズルの先端アタッチメントを『拡散』から『一点集中』に切り替えた。

その視線の先には、崩れ落ちた粘液の中から姿を現した、巨大なコアがあった。

直径一メートルはある、赤黒く脈打つ心臓のような物体。

この異常汚染の発生源である変異種、『キング・グリス・スライム』の本体だ。


「あいつが親玉か! 全員、戦闘準備……!」


ガルドが叫び、武器を構えようとする。

だが、それより早く、ミナトが溜息をついた。


「ったく、排水溝のヌメリの親玉みたいなのが居座りやがって。お前が詰まりの原因か」


ミナトは一歩も引かず、むしろ核に向かって歩き出した。


「そこをどけ。俺は奥の通路まで清掃しなきゃいけないんだ」

「ギョエェェェェ!!」


核が触手を伸ばし、ミナトに襲いかかる。

触れるだけで肉を溶かす溶解液の鞭だ。

ガルドが「危ない!」と叫ぶ暇もなかった。


ミナトは、飛来する触手を、左手のデッキブラシで「パパンッ!」と軽く叩き落とした。

まるでハエでも払うかのように。


「作業の邪魔だっつってんだろ!」


そして、右手の高圧洗浄機のノズルを、核のど真ん中に突きつけた。

ゼロ距離射撃。


「必殺・高圧洗浄ジェット・ウォッシャー・零距離噴射」


ズドドドドドドドドドッ!!


圧倒的な水圧が、核の内部に直接注入される。

内部から洗剤と熱湯をぶち込まれたスライムの王は、膨張し、痙攣し――。


ポンッ!


間の抜けた音と共に、弾け飛んだ。

四散した粘液は、洗浄液と混ざって白い泡となり、虚しく地面に広がるだけだった。


「……ふぅ。頑固な汚れだったな」


ミナトはノズルの先から垂れる水滴を払い、額の汗をぬぐった。

周囲には、さわやかなオレンジの香りが漂っている。

あの腐敗臭は完全に消え失せていた。


「よし、これで通れるな。……ん? どうしました、皆さん? そんなに口を開けてると、汚い空気が入りますよ?」


ミナトが振り返ると、ガルドたちは石像のように固まっていた。

レイナだけが、手帳に何かを書き込みながら、小さく溜息をついている。


『報告:神宮寺ミナト、業務遂行。

使用機材:高圧洗浄機(市販品)。

結果:Aランク変異種を「汚れ」として完全消去。

備考:彼にとって「洗剤」は戦略級兵器に等しい』


「あ、あの……」


ガルドが震える声で尋ねた。


「あんた……一体、何者なんだ……?」


ミナトは不思議そうに首を傾げ、そして誇らしげに胸を張って答えた。


「何って……ただの清掃員ですよ。ギルド直属のね」


その日。

探索者たちの間で、また一つの伝説が生まれた。


『深層で出会っても、絶対に喧嘩を売ってはいけない存在がいる。それはドラゴンでも死神でもなく――オレンジの香りを纏った清掃員だ』と。


(続く)

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