【第五話】 休日の商店街、不法投棄は許しません 



ギルド本部でのドタバタから数日後。

神宮寺ミナトは、久しぶりの休日を謳歌していた。


彼が住むのは、東京のダンジョン区画から電車で数駅離れた下町エリア。

ここは、煌びやかな探索者シーカーたちの拠点とは違い、地に足のついた生活者の街だ。


「えーと、今日の特売は……卵1パック98円か。これは見逃せないな」


ミナトは愛用のエコバッグ(スーパーのポイント交換品)を片手に、賑わう商店街を歩いていた。

一見すると普通の商店街だが、よく見るとこの時代の特徴が随所に現れている。


軒先には、ダンジョン産の低級スライムのゼリーを使った『ぷるぷるクッション』が並び、肉屋の店頭では『オーク肉の特大串焼き』が香ばしい煙を上げている。

街灯の動力は電線ではなく、ダンジョン深層で採掘される魔石マナストーンだ。淡い青色の光が、夕暮れの街を幻想的に照らし始めている。


「お、神宮寺さん! 今日は休みかい?」

「ええ、八百屋さん。大根一本ください」


顔馴染みの店主たちと挨拶を交わす。

彼らはミナトが、今話題の『掃除神』だとは夢にも思っていない。

テレビの映像はブレブレだったし、何より目の前の冴えない青年が、あのドラゴンを倒した男と同一人物だとは誰も想像がつかないのだ。

ミナトにとっても、この「ただの清掃員」として扱われる時間は心地よかった。


「さて、卵も買ったし、そろそろ帰って夕飯の支度を……」


ミナトが商店街のアーケードを抜けようとした、その時だった。


ウゥゥゥゥゥン!!


突如、街中にけたたましい警報音が鳴り響いた。

設置されたスピーカーから、緊迫したアナウンスが流れる。


『緊急警報! 緊急警報! 商店街地区のマンホールから、小型モンスターが複数出現しました! 市民の皆様は直ちに屋内に避難してください! 繰り返します――』


「キャァァァァ!」

「モンスターだ! 逃げろ!」


平和だった商店街は一瞬でパニックに陥った。

人々が我先にと走り出す。

ミナトの目の前のマンホールがガタンと跳ね上がり、そこから這い出してきたのは――。


「ギィィィッ!」

「プヨォン!」


子供の背丈ほどもある緑色の小鬼ゴブリンと、酸性の粘液を垂れ流すスライムたちだった。

ダンジョンの浅い階層に生息する低級モンスターだが、武器を持たない一般市民にとっては十分な脅威だ。


「……ったく」


ミナトは眉をひそめた。

恐怖はない。あるのは「迷惑だ」という感情だけだ。


「誰だよ、こんな所に生ゴミを不法投棄したのは。分別がなってねえな」


彼はエコバッグの中から、特売で買った卵パックを取り出し、割れないようにそっと路肩に置いた。

そして、代わりに別の「袋」を取り出した。

スーパーのレジ袋(Lサイズ・有料5円)だ。


***


「いやぁぁぁ! こないでぇ!」


路地裏で、一人の少女が腰を抜かしていた。

年の頃は十四、五歳だろうか。探索者養成学校の制服を着ているが、まだあどけなさが残る。

彼女の名前は、アイリ。

探索者に憧れて学校に入ったものの、才能がなく、いつも落ちこぼれている少女だった。


彼女の目の前に、三匹のゴブリンが涎を垂らしながら迫っていた。

錆びたナイフを振り回し、獲物をいたぶるような目をしている。


(もうだめ……。私なんかじゃ、何もできない……)


アイリが絶望して目を閉じた、その瞬間。


「はい、ちょっと通りますよー」


気の抜けた声と共に、一人の男がゴブリンたちの間に割り込んだ。

神宮寺ミナトだ。

彼は武器を構えるわけでもなく、ただの通行人のように自然体で立っている。


「ギィッ!?」(なんだコイツ?)


ゴブリンたちが動きを止める。

ミナトはゴブリンたちを一瞥すらしなかった。彼の視線は、ゴブリンの足元に落ちている空き缶に向けられていた。


「ポイ捨て禁止って書いてあるだろうが」


ミナトは空き缶を拾うついでに、流れるような動作で右手に持ったレジ袋を広げた。


バサァッ!


「ギェッ!?」(視界が!?)


先頭のゴブリンの頭に、レジ袋が見事に被さる。

ミナトはそのままゴブリンの首根っこを掴むと、レジ袋ごと持ち上げた。


「はい、燃えるゴミ一丁」


「ギィィィ!」


残りの二匹が怒り狂って飛びかかってくる。

だが、ミナトの動きは「戦闘」のそれではない。

彼はまるで、散らかった部屋を片付けるかのように、最小限の動きでゴブリンの突撃をかわした。


そして、左手にはめていた厚手のゴム手袋(清掃用)で、すれ違いざまにゴブリンの顔面をひっぱたいた。


パァンッ!


乾いた音が響き、ゴブリンが独楽コマのように回転しながら吹っ飛んでいく。

壁に激突し、ピクリとも動かなくなる。


「……え?」


アイリは唖然としてその光景を見ていた。

探索者の教科書には「ゴブリンは集団で囲んで確実に仕留めること」と書いてあったはずだ。

それを、レジ袋とゴム手袋で?

しかも、この人は一歩も動いていないように見えた。


「よし、これで全部か」


ミナトはレジ袋の中で暴れるゴブリンの口をキュッと縛ると、気絶した他のゴブリンたちを一箇所にまとめた。

手際の良さは、完全に「ゴミ集積所の整理」だ。


「……あの」


アイリが震える声で話しかける。


「助けてくれて……ありがとうございます。あなたは、探索者シーカーの方ですか?」


ミナトは振り返り、マスク越しに少し困ったような顔をした。


「いや、俺はただの清掃員だ。ちょっと通りかかっただけだよ」


そう言って、彼は路肩に置いていた卵パックを拾い上げると、卵が無事であることを確認して安堵の息をついた。


「よかった、割れてない。……お嬢さん、ここはもう大丈夫だけど、念のため早く帰った方がいいよ。あと、ゴミはちゃんと分別して捨てるように頼むぞ。こうやって魔物モンスターが湧かないように」


ミナトはそう言い残すと、駆けつけた警察やギルド職員たちが到着する前に、人混みに紛れて姿を消してしまった。


後に残されたアイリは、呆然と彼が去っていった方向を見つめていた。

彼女の脳裏には、レジ袋を構えた男の、あまりにも自然で、無駄のない動きが焼き付いていた。


(かっこいい……)


Sランク探索者の派手な魔法よりも、どんな剣豪の技よりも、彼女の心に深く刺さった「掃除クリーニング」の技。


(私……あんな風になりたい!)


落ちこぼれの少女アイリの心に、強烈な憧れの火が灯った瞬間だった。

これが後に、最強の清掃員に弟子入りを志願し、彼の胃痛の種を増やすことになる「押しかけ弟子」の誕生である。


(続く)

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