【第四話】 ギルド本部呼び出し、就業規則を巡る攻防



翌朝。

神宮寺ミナトの朝は早い。

午前五時起床。朝食は白米、味噌汁、そして納豆。

築四十年の木造アパート『ひだまり荘』の一室で、彼はニュース番組を流し見しながら箸を動かしていた。


テレビ画面には、昨日の『謎の清掃員』の話題が大々的に映し出されている。


『――依然として正体不明のこの男性、ネット上では「掃除神」と呼ばれており……』

『専門家の分析によると、彼のデッキブラシさばきは古武術の奥義に酷似しており……』


「……平和だなぁ」


ミナトは他人事のように呟いた。

画面の中の男は、マスクと帽子で顔が隠れているし、映像もブレている。

何より、自分のような底辺清掃員がテレビに出るわけがないという強固な思い込みが、彼自身の認識を曇らせていた。

彼が気にしているのは、ニュースの横に表示されている天気予報だ。


「今日は晴れか。洗濯物がよく乾きそうだ」


ピンポーン。

その時、玄関のチャイムが鳴った。

こんな早朝に誰だ?

新聞の勧誘か?

ミナトが不審に思いながらドアを開けると――。


「おはようございます、神宮寺さん。お迎えに上がりました」


そこには、ビシッとスーツを着こなしたキサラギ・レイナが立っていた。

背後には、窓ガラスが防弾仕様になっている黒塗りの高級セダンが待機している。


「……えーと、誰だっけ?」

「昨日、あなたの管理担当になったキサラギです。記憶力まで綺麗さっぱり掃除するのはやめていただけますか?」


レイナは呆れたように溜息をつくと、腕時計を見た。


「急いでください。八時から探索者ギルド本部で『緊急査問会』が開かれます。あなたに出頭命令が出ています」

「はあ? 査問会?」


ミナトの顔が曇る。

査問会。

それは、何か不祥事を起こした職員が呼び出され、減給や解雇を言い渡される恐怖の場だ(と、ミナトは認識している)。


「やっぱりか……。昨日の件だな」

「ええ、昨日の件です(世界を救った件ですが)」

「あの金髪野郎(アルヴィス)に説教したのがマズかったか……。あいつ、客だったもんな……クレーム入れたのか」

「(……相変わらず、認識がズレまくっているわね)」


レイナは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

ミナトは、自分が「英雄」として招かれていることに微塵も気づいていない。

彼は「客に失礼な態度を取った清掃員」として、怒られると思っているのだ。


「分かりました。とりあえず行きます。あ、作業着に着替えていいですか?」

「なぜですか?」

謝罪・・に行くなら正装(作業着)じゃないと失礼だろ」

「……もう、お好きになさってください」


***


東京・新宿にある探索者ギルド本部。

その最上階にある『グランド・マスター室』は、重苦しい空気に包まれていた。


中央のソファには、歴戦の猛者オーラを漂わせる巨漢の老人が座っている。

ギルド・グランドマスター、剛田鉄山ごうだてつざん

かつて「拳聖」と呼ばれた伝説の元Sランク探索者だ。

その周囲を、ギルドの幹部たちが緊張した面持ちで囲んでいる。


「……して、連れてきたのか。その『掃除神』とやらを」

「はい。現在、キサラギ管理官と共にこちらへ向かっています」


剛田は太い葉巻を噛み締めながら、手元の資料に目を落とした。


『神宮寺ミナト。二十四歳。登録データなし。保有スキル不明』


経歴は真っ白。

だが、昨日の映像を見る限り、その実力は自分すら凌駕している可能性がある。


「国家戦力級の逸材だ。何としてもギルドに取り込まねばならん。金か? 女か? 名誉か? 奴は何を望む?」

「それが……事前情報では『残業代』に固執していると……」

「は?」


剛田が眉をひそめた瞬間、重厚な扉がノックされた。


「どうぞ」


扉が開き、レイナに先導されてミナトが入ってきた。

使い古された灰色の作業着。

腰には相棒のデッキブラシ(今日は新品)。

そして、なぜか彼は部屋に入るなり、深々と頭を下げた。


「この度は! 当社の業務において不適切な対応をしてしまい、大変申し訳ありませんでしたぁッ!!」


「「「……は?」」」


剛田を含む、その場にいた全員が凍りついた。

Sランクの魔竜を屠った男が、入室三秒で土下座の勢いで謝罪している。


「あ、あの……神宮寺殿? 何を謝っておられる?」

「へ? いや、昨日のお客さん……『閃光の勇者』さんへの接客態度についてですよね? あと、勝手にドラゴンの死体を動かした件とか……」


ミナトが恐る恐る顔を上げる。

剛田は目を丸くし、そしてレイナの方を見た。

レイナは「説明するのが面倒なので任せます」という顔で視線を逸らした。


「ふ、ふはははは!」


剛田が突然、豪快に笑い出した。

腹を抱えて笑う元・拳聖に、ミナトは「怒りすぎて壊れたか?」と怯える。


「面白い! 実に面白い男だ! 謙虚にも程があるわ!」

「はあ……」

「謝罪など不要だ。むしろ礼を言いたい。お主のおかげで、我が国の探索者の面子が保たれたのだからな」


剛田は立ち上がり、ミナトの前に歩み寄った。

身長二メートル近い巨躯の威圧感。だが、ミナトは「現場監督のおっちゃんみたいだな」としか思っていない。


「神宮寺ミナト。単刀直入に言おう。お主に『Sランク探索者』のライセンスを授与したい」

「……はい?」


ミナトがきょとんとする。

Sランク。

それは全探索者の頂点。

富、名声、権力のすべてが約束されたパスポートだ。

通常なら、泣いて喜ぶオファーである。


だが、ミナトの返答は違った。


「えっと……それは、結構です」

「なっ!?」


幹部たちが騒めく。

Sランクの打診を即答で断る人間など、歴史上前代未聞だ。


「な、なぜだ!? 年収は今の百倍……いや、桁が変わるぞ!?」

「いや、お金は欲しいですけど……探索者って『歩合制』ですよね?」


ミナトは真剣な顔で説明を始めた。


「俺、安定志向なんで。固定給がないと不安で眠れないんです。それに、探索者って社会保険とか完備されてないじゃないですか。有給休暇も取りにくそうだし」

「そ、そこか!?」

「はい。今の清掃会社は、安月給ですけど福利厚生はしっかりしてるんで。あと、もうすぐ勤続三年でボーナスが出るんです。今辞めるのは損なんで」


静寂。

ギルド本部の最上階が、完全な静寂に包まれた。

「ボーナス」という単語が、これほど重く響いたことがかつてあっただろうか。


剛田は額に青筋を浮かべ、しかし必死に笑顔を作った。


「わ、わかった。待遇については相談に乗ろう。だが、まずは実力を測らせてくれ。形式上、測定が必要なのだ」


剛田は部下に目配せし、部屋の隅にある台座を指差した。

そこには、巨大な水晶玉が置かれている。


「これは『真理の水晶』。手をかざすだけで、対象の魔力総量と潜在能力を数値化する国宝級の魔道具だ」

「へえ、ハイテクですね」


ミナトは興味なさそうに近づく。


「壊さないようにな。これは十億円は下らん代物だ」

「うわっ、高っ! 触りたくねえ……」

「いいから触れ! 軽くでいい!」


促され、ミナトは恐る恐る右手を水晶にかざした。

頼むから光って終わりにしてくれ、と願いながら。


ブォン……。


水晶が淡く発光する。

お、意外と地味だな、とミナトが思った瞬間。


ピキッ。


不穏な音がした。

次の瞬間、水晶の内部に黒い亀裂が走り――。


パァァァァァァァンッ!!


爆発音と共に、十億円の国宝が粉々に砕け散った。

キラキラと舞い散る水晶の粉末が、朝日を浴びて美しく輝く。


「あ」


ミナトの手が空中で止まる。

全員の口が開きっぱなしになる。


「……えーと」


ミナトは顔を引きつらせながら、ポケットからハンカチを取り出した。

そして、床に散らばった粉末をササッと拭き始めた。


「こ、これはアレです。経年劣化です。俺が触る前からヒビが入ってた気がします。はい」

「嘘をつけぇぇぇぇぇ!!」


剛田の叫びが響き渡る。

レイナは深く、深く溜息をつき、手帳に『損害賠償請求先:国家予算(要・裏工作)』と書き込んだ。


「ご、剛田さん……。測定結果は……?」


震える声で幹部が尋ねる。

剛田は粉々になった台座の、測定値を表示するパネルを見た。

そこには、エラーコードと共に、焼け焦げた文字でこう表示されていた。


『測定不能(ERROR):対象ハ、測定上限ヲ超エテイマス。』


「……どうやら、この男の魔力は、次元そのものが我々とは違うらしい」


剛田は冷や汗を拭い、ミナトを見た。

この男は、本気で自分が「普通」だと思っている。

その無自覚さこそが、最大の脅威だ。


「……分かった。神宮寺殿、Sランク登用の件は諦めよう。それにその水晶玉の件も不問だ」

「本当ですか! じゃあ、弁償しなくていいですか!?」

「ああ、いい。その代わり、一つだけ条件を飲んでくれ」


剛田はニヤリと笑った。


「ギルドの『特別外部顧問(清掃担当)』として契約してくれ。基本給、ボーナス、社会保険完備。有給消化率100%を保証しよう」

「やります!!」


ミナトが即答した。

こうして、神宮寺ミナトは史上初の「清掃員枠」でのギルド入りを果たしてしまった。

Sランク探索者たちを顎で使える権限を持つとも知らずに、彼は「これで来月の家賃も安心だ」と胸を撫で下ろすのだった。


だが、物語はまだまだ終わらない。

彼の元には、昨日の配信を見た世界中の国々から、

『我が国のダンジョンも掃除してくれ!』

『報酬は油田一つでどうだ!』

というオファーが殺到し始めていたからだ。


(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る