【第三話】 管理官、キサラギ・レイナの憂鬱と戦慄



地上、ダンジョン管理庁・中央作戦指令室。

そこは今、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。


巨大なモニターには、先ほどの『赤竜の巣』の映像――神宮寺ミナトがドラゴンをデッキブラシで殴り飛ばすシーン――がループ再生されている。


部屋中を飛び交う怒号、鳴り止まない電話、キーボードを叩く音。国家防衛の要であるこの場所が、たった一人の「清掃員」によってパニックに陥っていた。


「おい、解析班! まだか! あのデッキブラシの素材は何だ!?」

「わかりません! 画像解析では『木とプラスチック』という結果しか出ません!」

「バカな! 木でドラゴンのブレスが弾けるわけがあるか!」

「ですが、熱量反応も魔力反応もゼロです! あれは……ただの掃除用具です!」

「ふざけるなッ!!」


そんな喧騒の中、部屋の後方にある一段高い席に、一人の女性が座っていた。

キサラギ・レイナ。二十三歳。

艶やかな黒髪を後ろで束ね、銀縁の眼鏡をかけた知的な美女だ。

彼女は若くしてダンジョン管理庁の「特別監査官」を務めるエリート中のエリートであり、並の探索者よりも遥かに高い戦闘能力と頭脳を持っている。


「……静かに」


レイナが低く、しかしよく通る声で呟くと、指令室の空気がピリリと凍りついた。

彼女は手元のタブレット端末を指先で操作し、映像のコマ送りを再生する。


「室長、見てください。ここです」


彼女が指し示したのは、ミナトが『頑固汚れ落とし旋風ハリケーン』を放つ直前の0.01秒。

拡大された画像には、ミナトの足元が映っていた。


「床のタイルが、踏み込みの衝撃で粉末化しています。ですが、音はしていない。これは、衝撃を一点に集中させ、余波を完全に殺している証拠です」

「なっ……」

「そして、このブラシの軌道。空気抵抗を極限まで減らすために、常にねじりを加えています。これは剣術でいう『螺旋』の理屈ですが……それを、掃除用具で、しかも無意識に行っている」


レイナは眼鏡の位置を中指で押し上げ、冷徹な瞳を光らせた。


「結論として、この男は『何らかのスキル』を使っているわけではありません。単に、身体能力と技術が、人知を超えた領域にあるだけです」

「そ、そんな馬鹿な……。スキルなしでSランクボスを?」

「はい。そして最も恐ろしいのは、彼がこれを『戦闘』ではなく『作業』として行っている点です」


レイナはタブレットを置き、立ち上がった。

彼女のタイトスカートに包まれた脚が、カツカツと床を鳴らす。


「彼を確保します」

「確保だって? 軍を動かすのか?」

「いいえ。これほどの実力者に対し、下手に武力を見せれば逆効果です。それに、彼はまだ『敵』と決まったわけではない」


レイナはジャケットを羽織り、胸元のIDカードを直した。


「私が直接行きます。彼が地上に出てくるゲートで待ち伏せします」

「キサラギ監査官、一人でか? 相手は未知の怪物だぞ」

「だからこそ、です。それに……」


レイナはモニターに映る、ドラゴンをゴミ袋詰めしているミナトの背中を見つめた。

その瞳には、恐怖よりも強い、ある種の「好奇心」と「執着」が宿っていた。


「私、整理整頓のできる男の人は嫌いじゃありませんから」


***


時刻は午後八時を回っていた。

ダンジョンゲート出口付近は、異様な熱気に包まれていた。

報道陣のカメラの放列、野次馬たちのスマートフォン、そして駆けつけた警察とギルド職員たちによる規制線。

誰もが、今か今かと「時の人」の出現を待ちわびている。


「あー……。帰りてえ」


ゲートの自動ドアの向こう側で、神宮寺ミナトは立ち尽くしていた。

ガラス越しに見えるフラッシュの嵐。

どう見ても、自分を待ち構えている集団だ。


「なんだあれ。俺、なんかやらかしたか?」


ミナトは首を傾げる。

心当たりと言えば、先ほどSランクパーティーに説教をしたことくらいだ。

もしかして、あれが「探索者への侮辱罪」とかで訴えられたのだろうか?

それとも、ドラゴンの死体を勝手に動かしたことが「死体遺棄」にあたるのか?


「……面倒くせえ」


ミナトは深く帽子を目深にかぶり直し、マスクを鼻の上まで引き上げた。

両手にはゴミ袋。背中には高圧洗浄機。

この格好で堂々と出て行けば、間違いなく捕まる。

だが、ここを通らなければ家に帰れないし、何よりこのゴミを捨てられない。


「強行突破するか」


ミナトが覚悟を決めて自動ドアに足をかけた、その時だった。


「――神宮寺ミナトさん、ですね?」


横合いから、凛とした声がかけられた。

ミナトが驚いて振り向くと、そこにはスーツ姿の美女が立っていた。

キサラギ・レイナだ。

彼女は職員専用の通用口から回り込み、メディアの目を盗んで接触してきたのだ。


「誰だ?」

「ダンジョン管理庁、特別監査官のキサラギです。単刀直入に申し上げます。今、正面から出るのは得策ではありません」


レイナは冷静な口調で言いながら、鋭い視線でミナトを観察した。


(隙がない……。立ち姿は自然体なのに、重心がどこにもない。いつでもあらゆる方向に動ける姿勢だわ)


彼女は内心で戦慄しながらも、表面上はポーカーフェイスを保つ。


一方、ミナトの感想はこうだった。


(うわ、管理庁の役人かよ。一番面倒なのが来たな……)


ミナトにとって、管理庁は「予算を削る敵」であり「意味不明な書類を要求してくる天敵」だ。

彼は露骨に嫌そうな顔をした。


「俺は何もしてねえぞ。ただ仕事をして帰るだけだ」

「ええ、存じています。ですが、世界はそうは受け取っていません。あなたが先ほど行った『清掃業務』は、全世界に配信されていました。今のあなたは、世界で最も有名な人間の一人です」


「……は?」


ミナトの手から、ゴミ袋が一つ滑り落ちそうになった。

彼は慌ててそれを掴み直すと、レイナの顔をまじまじと見た。


「配信? 俺が?」

「はい。Sランクパーティーの置き忘れたカメラを通じて。同接数は五千万を超えました。あなたのファンクラブが既に三つ設立されています」


「…………」


ミナトは数秒間、沈黙した。

そして、重苦しい口調で言った。


「つまり、何か? 俺が仕事中に『ここの頑固汚れ、マジで落ちねえな』とか独り言を言ってたのも、全部聞かれたってことか?」


「ええ。あと『燃えるゴミ』発言も、『説教』も全て」


「うわああああああああああ!!」


ミナトは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

世界最強のドラゴンを倒したことではなく、仕事中の独り言を聞かれたことに羞恥を感じているのだ。


(な、何という……。常人とは見ているポイントが違いすぎる……)

レイナはその反応に唖然としながらも、好機と見て畳み掛けた。


「神宮寺さん。このまま外に出れば、あなたはマスコミに揉みくちゃにされ、平穏な生活は失われます。ですが、私が協力すれば、裏口から極秘に脱出させ、事態が沈静化するまで保護することができます」


これは取引だ。

管理庁としては、彼という「未知の戦力」を管理下に置きたい。

そのための恩を売る。


ミナトは少し考えた後、立ち上がった。

そして、レイナの目を真っ直ぐに見て言った。


「条件がある」


(来たわね。金銭か、地位か、それとも名誉か……)


レイナは身構えた。相手はSランクパーティーを子供扱いする実力者だ。どれほど吹っかけられても、呑む覚悟はある。


「言ってください。可能な限り対応します」

「このゴミ、事業系廃棄物として処理してくれるか? 今日、回収業者が休みなんだよ」


「……はい?」


レイナは耳を疑った。

今、この男は何と言った?

数十億円の価値があるドラゴンの素材が入った袋を、「廃棄物」として処理してくれと?


「それと、残業代だ。今回のイレギュラー対応で二時間オーバーしてる。管理庁の方で特例申請を通してくれ。先月、お宅の部署に『申請不備』で突き返されたんだよ」


「ざ、残業代……ですか?」

「当たり前だろ! 働いた分は貰う! それが労働者の権利だ!」


ミナトは拳を握りしめて熱弁した。

世界を救った報酬でもなく、英雄としての称号でもなく、数千円の残業代を要求する男。

レイナは呆気にとられ、そして次の瞬間、堪えきれずに吹き出した。


「ふ、ふふっ……」

「あ? 何がおかしい」

「いえ……。噂以上の変人……いえ、規格外の方だと思って」


レイナは眼鏡を外し、涙が滲んだ目元を拭った。

彼女の鉄壁のポーカーフェイスが、初めて崩れた瞬間だった。


「分かりました。そのゴミ(宝の山)の処理も、残業代の申請も、全て私が責任を持って引き受けます。その代わり――」


レイナは一歩、ミナトに近づいた。

彼女の瞳には、獲物を狙う狩人のような、あるいは新しいおもちゃを見つけた子供のような光が宿っていた。


「今後のあなたの『管理』は、全て私、キサラギ・レイナに任せていただきます。異論はありませんね?」


「管理? よくわからんが、シフト調整とかやってくれるなら助かる」

「ええ、人生シフトの調整はお任せください」


こうして、最強の清掃員と、最恐の管理官の契約は成立した。

ミナトはまだ知らない。

彼女の言う「管理」が、単なる事務処理ではなく、国家レベルのトラブルシューティングと、彼への徹底的な密着マークを意味していることを。


「さあ、行きましょう神宮寺さん。専用車を用意しています」

「おう。あ、その袋、重いから気をつけて持てよ。ドラゴンの牙が突き破るかもしれん」

「……はい、肝に銘じます」


裏口へと消えていく二人。

その背中を見ながら、レイナは密かに誓っていた。


(絶対に逃がさない。この男は、私が解析し尽くしてみせるわ)


(続く)

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