第5話・チョコレート大作戦



 いなりに告げた言葉には嘘があった。

 祈りは人のものだ。神は、それを聞く側にいる。


(その区別がいまいちついてないんだよな、あの人は)


 それでも、いなりが人のために祈ることを止めたくはない。


 階段を駆け下りた四葉よつばは、抜き取ったいなりの髪を風に舞わせて式神を作る。

 式神はキョロキョロと左右を見回した後で、方向を定めて飛び始めた。四葉は迷いなく、その後を追う。


 いなりは、人が好きだ。だから、聞いた祈りを叶えようと動いてしまう。

 本来それは神様の範疇を越えた禁忌であるらしく、上手くいった試しがない。


 それでも彼女は懲りることなく、また人の祈りを叶えようとする。

 これまでも、そしてたぶん、これからも。


 そのたびに尻拭いをするのか、と考えると気が遠くなりはするものの、苦痛ではない。


 四葉もまた、自身の信念のもとで、いなりに献身している。


(俺自身も、いなりさんに救われたから)


 かつて、ずっと繋いだまま離さなかった小さな掌。その感触と隣にいた温もりを思い出して、四葉はフッと口角を緩める。


 そして、同時に喉の奥に感じる、苦味。


――いなりと出会ったことで、四葉は一生を懸ける覚悟を背負うことになった。


 記憶に耽る頭をブルッと振って、四葉は式神の行方を見据えた。


 走り続けるのが困難な距離。しかも走りにくいことこの上ない袴姿。

 ポツポツとすれ違う周囲の視線は痛く、信号待ちの間に複数の老人に合掌された。


 そんなこんなで、四葉はようやく隣の市にある女子高の前にたどり着いた。


 ちょうど下校時間らしく、校門から制服姿の生徒たちが出てくる。

 四葉の姿を見た女子高生たちは一様に色めき立ち、興奮気味のヒソヒソ声で囁き合いながら通り過ぎていく。


「――神主さん?」


 カラカラと車輪の音。振り返ると、六花りっかがいた。式神は彼女の傍に飛んでいき、その肩にペタリと貼りつく。

 式神は当然、普通の人間の目には見えない。


「こんなところでどうしたんですか? 誰かと待ち合わせとか」


「あなたです」


 式神が示したのだから間違いない。

 まっすぐ目を見て告げると、一瞬硬直した六花の顔が見る間に赤くなる。


「あなたを探してきました。一緒に来てください」


「ひゃ……ひゃい……!」


 噛み気味の返事をして頷く六花。四葉は六花の自転車を借り、彼女を荷台に乗せて爆速で漕ぎ出す。


「んんんっ、速い! 速いです神主さん! おおおお落ち……っ」


「すみません、急ぎなんです。ちゃんと捕まっててください」


「んおお、もう、なんか全然甘い感じじゃないぃぃ」


 キッ、と。鋭い音を立てて急ブレーキ。背中に不意打ちの頭突きを食らって一瞬息が詰まる。


「うぅっ……急にどうしたんですか?」


 打ち付けた額を擦りながら、六花は四葉を見上げた。四葉の視線は、行く手にあるスーパーマーケットに向いている。


「なにかお買い物ですか?」


「……チョコレート」


「え?」


「その、チョコレートを買う気はありませんか……?」


 ここにきていなりの作戦に乗るのもどうかと思ったが、他に上手い手が考えつかない。

 六花は黒目がちの瞳を大きく見開いて、真っ赤に染まった顔をマフラーに深く埋める。


 行く手の信号が、チカチカと点滅を始める。六花は小さく唇を噛んで、柔らかな白を結ぶ息を吐いた。


「……神主さんに、ってわけじゃないですよね」


「え? ああ、はい。まあ……」


 四葉が応えると、六花は力のない声を出して笑う。


「あはは。まあ、そうですよね……私、神主さんの言いたいこと、なんとなくわかります」


 彼女の口元から、スゥと笑みが消える。

 四葉をジッと見上げる瞳には、困惑と焦燥が揺れていた。


「……翔ちゃんに、何かあったんですか?」



 周囲を田んぼに囲まれた土地に、ポツンと一軒だけ建つライトグレーの壁の建物。

 丸みを帯びた優しいフォントで書かれた文字は――河西かさいこどもクリニック。


 表には「臨時休診」の文字と、緊急時の案内が書かれたカードが貼られ、ガラスドアの内側はカーテンが閉まっている。


 六花はインターフォンを押して、対応した女性の声に向かって訴える。


「翔ちゃんママ! 六花です! 翔ちゃんが大変だって聞いて来ました。開けてもらえませんか?」


 女性の声は翔太しょうたの母親だったらしい。数秒後にクリーム色のカーテンが開き、中から青白い顔をした女性が出てきた。明らかに狼狽していて、縋るように六花の腕を掴む。


「りっちゃん、久しぶりね。来てくれてありがとう」


「ううん、ずっと来れてなくてごめんなさい……翔ちゃんは?」


 翔太の母は細い喉を鳴らして泣きそうな顔になった。中に案内する、と言うので、四葉も立場を名乗り同行させてもらう。


「翔太ね、今朝いつもの時間に起きて来なくて……息はあるけど、意識がずっと戻らないの。脈も弱くなってるって、お父さんが」


 六花の背中に緊張が走る。薄暗い廊下を進み、一番奥にある「処置室」と書かれた部屋のドアを開ける。


「翔ちゃん……」


 翔太はベッドに寝かされていた。腕には点滴が繋がれ、心電図のモニターが鼓動を伝えている。彼の前に立っていた白衣の男性が振り返り、六花と四葉に頭を下げる。


 ところどころ白髪が混じるきっちりと切りそろえた短髪。太いフレームの黒ぶち眼鏡が、受付で見た手作りのぬいぐるみにそっくりだった。

 おそらく彼はこのクリニックの院長で、翔太の父親だろう。


「りっちゃん、久しぶりだね。中学生以来かな」


「お久しぶりです。先生、翔ちゃんは」


「ああ……いくら調べても原因が分からなくて。高熱が出ているんだが、喉も腫れていないし、感染症の検査もどれも陰性だった。今大きな病院に連絡をとって、診てらえないか相談したところなんだ」


 医師らしい明晰な口調に、隠しきれない焦燥が滲む。

 四葉はそっと手を挙げて、翔太の父の言葉を止めた。


「あなたは……?」


真祈まき稲荷の神主です。翔太さんの症状に心当たりがあって……申し訳ないのですが、翔太さんと六花さんの2人だけにしてもらえませんか?」


 翔太の両親は不信感を隠さずに、息を呑んで顔を見合わせる。


「10分で構いません。その間に何かあれば、すぐに呼びますので。お願いします」


 そう言って四葉は深々と頭を下げる。戸惑っていた両親も「10分だけなら」と言って了承してくれた。


 翔太の両親が出て行って、部屋の中には翔太と六花、そして四葉だけになった。


 四葉は不安げな目を向けてくる六花に頷いて、翔太の傍へ行くように促す。


 六花が翔太の傍に置かれた椅子に座るのを見届けて、四葉は式神を呼んだ。

 いなりの髪から生成した式神には、いなりの力が宿っている。四葉は十字架に似た形の人型を掌に乗せて、フゥと息を吹きかけた。


 式神はハラリと解けて白い花びらに変わり、舞う花弁は翔太の頭の上まで飛んで行く。そして、細かい粒となって消えた。


 ピタリと閉じていた唇が、微かに開く。


「りっ……ちゃん」


 聞こえた声に、六花は椅子を引いて立ち上がる。


「翔ちゃん! 意識が戻ったの?」


 六花の呼びかけに、翔太は応えない。六花は途方に暮れた目を四葉に向ける。


「意識が戻るのはまだです。彼の意識はたぶん今、飽和しています。あなたが解放するんです」


「解、放……?」


「頭の中に、引き出された想いが溜まってしまっているんです――あなたへの、想いが」


「私……?」


 六花は微かに喉を鳴らし、再び椅子に座った。キィと床を擦る音を立てて、翔太の顔を正面から覗き込む。


「翔ちゃん。私ちゃんと聞くよ。誤魔化さないし、逃げない。翔ちゃんの気持ち聞いたら、私もちゃんと答えるから」


 翔太の唇が、再び動く。ポツポツと漏れ出る彼の想いを、六花は頷きながら聞いていた。


 本来なら、踏み込むべきではない領域だ。


 翔太の言葉が六花の心を動かせるかどうかも分からないし、いなりの望む「恋愛成就」に至れるかなんてことは、本人たちにしか決められない。


――でも、と。

 四葉はここに来る前に立ち寄ったスーパーで、六花が買ったものを思い出していた。


 それは大容量の袋に入った個包装のチョコレート。


 本命の想い人にあげるにしてはどう見ても雑なチョイス。それでも六花は「これでいいんです」と強い瞳で言っていた。


 彼らの間にある物語を、四葉は知らない。


 けれどもちょうど10分が経とうとするとき、翔太が目を覚ました。


 ぼんやりとした様子の翔太に六花が抱き着いて泣き出し、困惑した様子の翔太は四葉を見てさらに怪訝そうな顔になった。


 完全に、場違い。部外者であり、お邪魔虫。


 四葉はひとり苦虫を噛んだ顔になって、翔太にぺこりと頭を下げて処置室を出る。


 部屋の前で待っていた翔太の両親にも事情を告げて、四葉はクリニックを後にした。

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