第4話・鬼つよ神主さん



 その日は朝からずっと、嫌な予感がしていた。


 昨日の晴天もあり、日陰以外の雪が溶けた境内。それでも雪に埋もれていた土は冷たく、立っているだけで冷気がせりあがってくるよう。


 神主装束の下に化学繊維のインナーを着こみ、さらに貼るカイロで寒さに抗いながら。四葉よつばはひたすら庭を掃き続けていた――掃くほど踏まれてもいないのに。


 嫌な予感の原因は「作戦決行!」と言い、早朝から出かけているいなりのせいだ。


 一晩中、分身を使って六花りっかと幼馴染の少年――翔太しょうたというらしい――の夢に出入りして、なにかしらの作戦を思いついたという。


 作戦の中身は「内緒」と言って語らないまま意気揚々と出て行った姿を思い出し、四葉は何度目か分からない溜息を吐いた。


 彼女のやる気とやらかしは、比例する。

 それは四葉が彼女と過ごした年月の中で得た、揺るぎない確証。


 今すぐ追いかけたいところだが、神が不在のこの神社を留守にしてしまうわけにはいかなかった。


 腐っても神社――と言うと自虐のように聞こえるが、真実、そう。


 背後の林から聴こえる物音。複数の気配に、獲物を狙う息遣い。

 四葉は箒を手に身構える。膝を軽く曲げ、姿勢を低くして、狙う者の襲撃に備えた。


「こりない奴らですね……」


 シャアッと空気を裂く威嚇音。同時に飛び出してくる複数の影目掛けて、四葉は箒の柄を一閃する。

 低くくぐもった悲鳴が上がり、四葉の周囲にボトボトと影が落ちた――黒、白、ブチ、ハチワレ……近所の野良猫だ。


 うにゃあと情けない声を上げて伸びている猫たちには同情を覚えるが、本命はそこではない。


 力なく横たわる肉体からヌラッと沸き立つ黒い影。それらは低く地を這い、ひとところに集まって、より濃さを増す。


 四葉は息を詰めて、周囲を取り巻く影の気配を探る。


 この神社に元からいた神が消えた時から幾度となく現れている、社を狙う悪霊たちだ。


 四葉は竹箒の柄を強く握りしめる。手の甲にボコボコと浮き立つ血管の線。青いそれは沸くように蠢き、やがて動きを止める。


 その瞬間、全身の血液が入れ替わったような感覚が訪れた。


 フーッ、と。剥き出しにした歯列の隙間から漏れだす低い吐息。唇の端から覗く白い影――牙だ。


 四葉は首筋に浮いた3点の黒子に指を添える。グッと深く皮膚に沈ませ、そのまま喉の方に向けて指先を弾く。


 パッ、と散る赤。その瞬間、四葉の髪を留めていた紐が解け、長い黒髪がハラリと舞う。


 カラン、と落ちる竹箒。掲げた指先の鋭い爪。黄金に光る瞳。襲い掛かる影を、彼が纏ったオーラが弾き、霧散させた。


 姿を持たない影が怯むのが分かる。振り返った四葉の額には、2本の角が生えていた。その姿は明らかに――鬼だった。


「我が主の留守は、俺が守らせていただく」


 四葉は鋭い牙の覗く口角を、静かに持ち上げた。



 片づけを終え、解けた髪を結び直す。取りこぼしたものはないかと周囲を見れば、小さな雪玉の欠片がひとつ、土に還るところだった。


 すっかり人の姿に戻った四葉は、消えようとするする雪玉に微笑みを向ける。


「手を貸してくれてありがとう――ゆきむら」


――さおりだよ


 雪玉は消えゆく余韻でそう主張した。だから見分けなどつかないと言ったんだ。


 曲がりなりにも神様の手で作られた雪だるまたちは、覆っていた雪の下から這いだし、孤軍奮闘する四葉に加勢してくれた。

 武将並みの活躍を見せ、最後まで溶け残ったひとつは絶対にゆきむら(byいなり)だろうと確信していたのに――思い込みは良くない。四葉は一人静かに反省を胸にしまう。


「――よつばぁ!」


 声と共に、ピンッと境内の空気が整う気配が満ちる。

 主の帰還だ。

 たっぷり「やらかしました」という表情の土産付きで。


 石段を駆け上がり肩で息をするいなりに駆け寄り、社の縁側に座らせて水を呑ませる。プファと盛大な息を吐いたいなりは、改めて青ざめた顔を四葉に向けた。


「よつば、大変なの!」


「……今度は何をやらかしたんですか」


 いなりの傍らに跪いて、呆れ顔で問う四葉。いなりは三角耳をぺたんと伏せ、人差し指をくっつけたり離したりしながら口を開く。


「あの2人ね。お互いのこと好きだって思ってるし、くっつけばいいなって思って。しょーたくんはこの町のお医者さん家の子で、大学で勉強したあと、お父さんの跡継ぐつもりなんだって。そしたら、この町にずっといるってことでしょ?」


「はあ、そうですね」


「りっかちゃんの方は、この町から出たがってた。理由はそんなにはっきりしてなくて、ただ不便だから嫌とか、そんな感じ。でもしょーたくんと付き合ったら、この町に未練ができるでしょ? しょーたくんがいるから残りたいって思うようになるかもって」


「まあ、分かります」


「でしょ!? だからね、バレンタインがチャンスじゃんって思って。りっかちゃんにしょーたくんにチョコ渡しなよって何度も暗示かけたの。それでも、りっかちゃんバレンタインにいい思い出がないみたいで、なかなか効かなくて」


「難しい問題ですね」


「うん。だから、しょーたくんの方から告白させちゃえって思って……何度も言い続けてたら、やりすぎちゃったみたいで……」


「……で?」


「意識不明に……」


「……あなたは、もうっ! 神様の自覚持ってくださいっていつも言ってるでしょう!?」


「ひゃあああ、ごめんなさいいぃ! でもおうちに人にはなんとか伝えたよ! お父さんがすっ飛んできて、しょーたくんのこと診てくれてる」


「現代医学でなんとかなると思うんですか!? 余計に困らせるだけでしょうが」


「よつばあ……どうしよう……」


 いなりの桃色の瞳がフルッと大きく揺れる。盛り上がる涙の膜はすぐに限界点に達して決壊し、眦から零れ落ちる。いなりはそのまましゃっくりを上げて泣き出した。


 凍てつく空気を震わせる泣き声に、囲む樹々も共鳴するように不穏な音を立てる。


 地面についた指先が、熱い。怒りすら呑み込むお世話心が、限界点マックスで滾っている。


 四葉は立ち上がり、いなりの頭に手を置いた。

 ピクン、と。三角耳がわずかに反応して震える。


「大体のことは把握しました。……俺がいきます」


「よつば……わたしも」


「あなたはここを離れたらダメです。ここで祈っていてください。神様のあなたにしかできないことです」


「……分かった」


 グズグズと洟をすする音を立てながら、いなりは何度も頷いた。

 四葉はいなりの頭に置いた掌をポンポンと弾ませて、彼女に背を向け石段へと向かう。


「よつば!」


 縁側から立ち上がったのだろう。いなりの簪がリィンと澄んだ鈴の音を立てる。


「いってらっしゃい」


 風が抜け、心を撫でていく――それは、帰る場所を示す言葉。


 喉の入口までせり上がってくる熱い塊を溶かして、四葉はいなりに微笑みを向けた。


「――いってきます」

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