第2話・こいねがい



 足音さえ吸い込む雪の石段を昇りきり、鳥居をくぐってフゥと一息。

 視界にかかる前髪を払った先。


 開けた視界の中に立ついなりは、白い肌を青く染め、怯えた様子で震えていた。


「……いなりさん?」


「よ、よつば……人つれてくるって言っても、そ、その、暴力、とかは……その人、きぜ、気絶して……っ」


「違いますから。変な誤解しないでください。本気で違いますから」


 眉間に深い皺を刻んで誠心誠意否定するも、いなりは疑いの眼差しのまま後ずさる。


「あなたには俺がそんなことをする人間に見えるんですか?」


「――目で殺す、とか?」


「バカですか?」


 思わず素で暴言が出てしまった。四葉よつばは内心で反省し、いなりから目を逸らす。


 勝手な誤解なら堂々としていればいいのだ。

 四葉はいなりを視界の外に置いたままで社に上がる。


 屋根板の外れた天井の隙間から差し込む陽光が、ところどころ継ぎはぎの床に天使の梯子を下ろしてる。


 四葉は隅に畳んだ自身の布団を引っ張り出し、その上に少女の身体を横たえる。


 いつの間にか傍らにいなりがいて、制服姿の少女を興味津々といった様子で見つめていた。

 人好きの彼女が、事態を放っておくわけがない。フンフンと周囲を嗅ぎまわっていたいなりは、胸の前で合掌したまま気を失っている少女の額に手を乗せた。


 一瞬、空気が揺らいで静止する。光の梯子の中を漂う埃の粒子が、ゆっくりと一方向に流れ始めた。


「ふむふむ。小峰こみね六花りっかちゃん。お隣の市の高校1年生だね」


「またそうやって断りもなく個人情報を」


「いなりちゃんは神様ですから。全知全能なのです!」


 誇らしげにフフン、と鼻を鳴らして宣言する。

 全知全能の使い道が、それでいいのか。


「ふむふむ。この町の子だねえ。家族は4人。お父さんとお母さんとお姉ちゃん。お姉ちゃんはもうこの町にいないのかあ……チッ」


「いま舌打ちしました?」


 いなりは分かりやすく無視をした。


「おっ、仲良しの幼馴染くんが同じく隣の市の男子校に通ってますねえ……おや。ん? んええ!? なんとお……!」


 いなりが読み取る内容は、四葉には分からない。

 ついでに、いなりの声も普通の人間には聞こえないので、声に驚いて少女――六花が起きる心配はない。


 いなりは六花の額から掌を剥がし、自身の頬を挟んでガタガタと震えだした。


「……どうしたんですか?」


 四葉は固唾を呑んでいなりに問う。いなりは四葉に視線を向け、唇を引き結んでゴクリと喉を鳴らした。

 桃色の瞳には、動揺から転じて決意の色が滲む。


「よつば……わたし、決めたよ」


 またろくでもないことを、と口走りかけた言葉を慎重に呑み込む。


「いなりちゃんは今この瞬間より――恋愛成就の神様になります!」


「……なんでまた」


 呆れ声でこぼれた言葉は堪えようがなかった。なんでまた。


「人間の本質は恋愛! 叶えたいお願いナンバーワン! 絵馬に書かれたお願いカテゴリー第1位!」


「どこ調べのなに情報ですか」


「いなりちゃんの勘です!」


「でしょうね」


 ハァと大きく溜息を吐く。視線を落とした先で、タイミングよく六花の瞼が震える。

 四葉は息をつめて六花の目覚めを待った。


 低い唸り声の後で、パチンと開く瞳。忙しく動く眼球が見慣れない天井に戸惑っている。


 四葉は正座の姿勢で身体を前に傾け、六花の視界に入った。

 六花の瞳が四葉を捉え、ピタリと静止する。


「目が覚めましたか? どこか痛いところは」


「はぅっ……天使様」


「いいえ、神主です」


 瞳を潤ませ口元を押さえる六花に、四葉は冷静に応じた。

 六花は「ですよね」と小さく呟き、自ら身体を起こす。


「ここは……」


「真祈稲荷です。自転車で突っ込んでこられた際になんとか抱きとめたんですが……なぜだか気を失われて」


「美しいものを見た時の生理反応です。いやはや、とんだご迷惑を」


 布団の上で正座の姿勢をとり、三つ指をついて頭を下げる六花。

 変わった子だが、いなりよりはマシだろう。

 背後でいなりが「くちゅん!」とくしゃみをした。神様の勘は正確だ。


「それより、学校に行かれる途中でしたよね? 連絡しなくて大丈夫ですか?」


「はっ……! 今何時ですか!?」


「9時半ですね」


「だいじょばない……っ! スマホ、スマホは……!」


「ここにありますけど、電波はないです」


「ノォォォォォ!」


 六花は絶叫しながらスマートフォンの画面を連打する。

 叩いたところで、電波はない。


 いなりはいつの間にか六花の背後に移動していて、彼女の手元を覗き込んでいる。

 半泣きの六花は、ふとスマートフォンを叩く手を止めた。肩につかない長さのボブカットを揺らして、背後を振り返る。


「……どうかされました?」


 四葉はジッと観察する視線を据えながら問う。この娘、勘が良いのかもしれない。

 六花は首を傾げながら正面に向き直る。


「いえ……多分、ネズミかなにかです」


「いなりちゃんネズミじゃないし!」


 シャーッと抗議の威嚇をするいなり。神様が威嚇すな。

 当然、六花には聞こえていない。


「だいじょばないのでしたら、今すぐ下に降りた方がいいですね。すみません、こんなところまでお連れしてしまって」


「いえいえそんな! 勝手に気絶したのは私の方ですし。神主さんはお怪我なかったですか?」


「俺は大丈夫です。ただ、あなたの自転車が無事かどうか」


「え?」


 四葉は顎に手を当て当時の様子を思い返す。

 六花を抱きとめるために自転車を大分ぞんざいに扱った気がするが、林に突っ込んで無事な気もする。


「大丈夫でしょう……たぶん」


「はあ」


 六花は黒目が大きな瞳をぱちぱちと瞬いて、不思議そうに首を傾げた。


「立てますか?」


 先に立ち上がり、六花の前に手を差し出す。六花は肩を竦めて硬直した後で、四葉の掌に指先を重ねた。

 その手を握り込んで引き上げると、六花の頬が見る間に真っ赤になった。


「……大丈夫ですか?」


「うっ、ひゃい……!」


「よつば、待って」


 ふわっ、と。風を立てていなりが寄ってきた。足を止めた四葉の視線の先で、いなりは六花の耳に手を添え何かを囁く。


 いなりが離れると、六花はパチッと瞬きをして四葉を見上げた。


「あの、神主さん。お参りしていってもいいですか?」


「……どうぞ。むしろ、ありがとうございます」


 いなりは確信めいた笑みを浮かべている。四葉は小さく息を吐き、六花をいざない社の外へと出た。


 鳴らない鈴の前に六花を残して、先に階を降りる。

 傍らに添ういなりの三角耳を一瞥して、四葉は小声で彼女に問う。


「何を言ったんです?」


「んー? ただ『お祈りして』って言っただけだよ。――本当の願いを、ね」


「……そうですか」


 音としての声は聞こえずとも、脳に意志を響かせることはできる。神様パワーだ。


 いなりは軽く俯いて、静かに目を閉じる。視線の先にある制服の後ろ姿も、いなりと同じように目を閉じているはずだった。


 ふと満ちる静寂に、雪原を撫でる風が吹く。サァと吹き上げられる雪の粒。きらめく風になって、樹々が成す影の中へ紛れて消えていった。


 祈り終えた六花を石段の下まで送って、林の中から自転車を救出した。

 枯葉だらけになってはいたが、故障した様子はない。

 近くのコンビニで電話をかけてから行くという六花と別れて、四葉は再び石段を上った。


 鳥居をくぐり社へと戻ると、いなりが満ちたりた顔で縁側に転がっている。


「んはー、やっぱり人の祈りはいいねえ。満たされるう」


「……よかったですね」


 四葉は口元を緩めてそう言った。

 寝ころんだままの姿勢で手招くいなりの傍へと近づき、乞われるまま傍らに座る。

 いなりは四葉の袴の足へとよじのぼり、顎をのせてフゥと満足げな息を吐いた。


「ぜったい成功させるからねえ。恋愛成就の神様になって、鬼バズして、人でいっぱいの神社にするんだあ」


「そうですか」


 スゥ、と。聞こえ始める穏やかな寝息。四葉は豊かな白銀の毛並みを撫でて、三角耳をそっと倒す。


 ふわりと揺れる尻尾に柔らかく微笑んで、晴れた冬空をぼんやりと眺めた。


「本当の願い――か」


 呟いた言葉は、舌の奥に少しの苦味を滲ませた。

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