第1話・真祈稲荷神社



――その、数時間前。

 山を切り拓いた道路の傍らに、鬱蒼と茂る林の中。


 囲む樹々の葉影が揺れる中、古びた長い石段があった。その先に、石造りの鳥居と木造の社がある。


 焼け跡に似た焦げた匂い。溶け落ちるように枯れた葉が折り重なり、苔の匂いが濃く香る。

 朽ちた木材は屋根を支えるに足りず、元は立派なはずの社は斜めに傾いていた。


 塗装の剥げた金の飾り。目玉を抜かれた神獣。祈りの鈴は錆びていて、時折風が揺らしても空気の抜ける音を立てるだけ。


 近所の子供たちからはもっぱら「お化け神社」と呼ばれている――真祈まき稲荷いなり神社。

 その名の通り、「真の祈り」だけを聞き叶える神社だというが、その由来を伝える者ももう残っていない。


 人の足に踏まれることのない石段。その一段一段に、昨夜降った雪が積もっていた。

 汚されない白は朽ちた社を覆い尽くして、みすぼらしい姿を澄んだ青空から隠してくれる。


 かじかむ手に温い息を吹きかけて、この社の神主――四葉よつばは、強く照り返す白銀の世界に目を細める。


 白い着物に浅葱色の袴。項の辺りでひとつに結った、艶やかな鴉羽を思わせるストレートの長い黒髪。未踏の雪を踏む高揚感を思って地面を見れば――無邪気に踏み荒らした先客の足跡。


 四葉は額に手をやりハァァと長い溜息を吐く。一面の白は雪のせいだとばかり気をとられていたのが迂闊だった。


 足跡の先を視線で辿り、途絶えた場所へと歩を進める。


 ザク、ザク。音を呑み込む雪を踏む。氷点下まで冷えた空気が鼻の奥を突いてくる。生理現象でタラリと落ちる鼻水をズッと勢いよく吸い上げた。


 そうして進んだ先で、目的の白を見つけた。


 雪と同化するほどの無垢な色。ピンと立った三角の耳。その耳がパタパと揺れるたび、耳元に挿した簪の鈴飾りが澄んだ音で鳴った。

 長い銀髪が丸まった背中を覆い隠す。腰から生えた白銀の手並みをした豊かな尻尾が、上機嫌に跳ねて雪原を打った。


 差し色のような朱色の袴にも雪が散り、美しいコントラスト浮き立たせている。


「……おはようございます、いなりさん」


 サラリと、長い銀髪が揺れる。

 振り返った笑顔は照り返しよりも眩しくて、四葉は思わずウッと低く呻いて目を瞑る。


「よつば、おはよう! ねえねえ、見て見て!」


 光を揺らして溌溂と見開く桃色の瞳。長い睫毛についた微細な雫が朝露のように輝いた。

 真雪色の肌は血色を滲ませほんのり赤く染まる。興奮気味の呼吸に合わせて生まれる白い息が、柔らかく形を成して解けていく。


 四葉は眩しさに目を細めたまま、少女――いなりが示す先を見た。


 そこにあったのは、小さな雪だるまの――大群。


 ひっ、と。思わず漏れた悲鳴に、己の肝の小ささを呪う。修業が足りない。


「なん、あ、ぅ……なん、こ……なんですかこれは」


 けなしかけて、呑み込む。息継ぎをして、行き着いたのはただの疑問で――結論、噛みすぎた。


「雪だるま!」


 答えは単純明瞭。それは分かる。


「……それは分かります。これでいったい、なにをするんですか?」


「これ写真撮ってSNSに載せて、ゾクゾク♡雪だるまがいーっぱい! あなたに似た雪だるまが必ず見つかるかも!? ミラクルラブリーな神社にウィンタートリップでGOGO! って謳い文句つけてバズらせる!」


 鼻息荒く宣言するいなりを、四葉は冷ややかな瞳で見下ろした。

 フル回転の脳内で、難解な語彙の判読が完了する。四葉はスゥと、氷点下の空気を吸い込んだ。


「それは……いけませんね。ゾクゾクという副詞はこの状況を的確に表してはいますが、あなたの意図するところとしたら全くもって沿っていません。それに雪だるまの顔などほぼほぼ判別不可能ですし、自分と似ているように見えたところでなにが起きるわけでもなく、そもそも単純に同じ形のものが並んでいる絵面が既にホラーです。あと、溶けます」


 サンサンと照る冬の太陽。光の粒を撒いたように輝く一面も、表面が溶けかけている証。


 青ざめて震えるいなりの足元で、コロンとひとつ、雪だるまの首がもげた。


「それにSNSなんて言葉どこで覚えてきたんだか知りませんが、あなたそもそもスマホ持っていないでしょう。ほしいと言っても契約も無理です。あとこの辺りをカバーしている基地局もないので、電波も死んでます」


「なにそれダメじゃん!? バズれないじゃん!」


「……バズるってなんですか?」


「覚えてよお!」


 いなりの叫びが空気と周辺の樹々を震わせる。ガァと一斉に飛び立つカラスの群れ。

 樹々の葉に厚く積もった雪がドサッと落ちてきて、憐れ雪だるまは下敷きとなり


――全滅した。


「うぇぇん……ゆきこーゆきおーゆきみーゆきえーゆきすけーゆきたろうーゆきむらーさおりー」


「……戦国武将のあとに苗字じゃない方の名前言いませんでした?」


 「ゆき」繋がり、ということなんだろうが。

 その歌手の代表曲は傷心のいなりに似合いすぎた。吹き抜ける風もルルルと鳴いている気がする。


 ぐずぐずと情けない声を上げながら、いなりは雪に埋もれた雪だるまたちの救出に励んでいた。

 しかし不器用なせいで、雪だるまたちは落ちてきた雪と一緒くたにされている。


「朝早くから頑張ったのは分かりますけど、その……頑張る方向性と言うか、なんていうか、その」


 四葉は晴れた青空を見上げて言葉を探した。すっかりへこたれている耳と尻尾。項垂れ地面に散る銀髪は美しいが、痛々しい。


「だってえ……人来てほしいんだもん……」


 彼女の努力を否定したいわけではないし、意図も真っ当だ。とはいえ。


 神社の裾野にある町も過疎化が進み、住民の流出が深刻だと聞く(町内在住・カラス談)。

 神社に馴染のある人でも、この長い階段を上がるのを億劫がって、足が遠のいているとも聞いた(町内在住・ネコ談)。


 時代の変化と、それに伴う心の変化。

 祈りは尽きぬものだとはいえ、どう見ても神様の影が見えないこの神社にわざわざ祈りに来る者はいない。


(神は――いるんですけどね)


 ハァ、と。曖昧な白を結ぶ息を吐いて。消えていくその向こうにいなりの姿を見た。

 白い指先を真っ赤に染めて、いなりは掌に息を吹きかけている。


 彼女は――稲荷の神様である。


 項垂れてリィンと鳴る鈴の音が、四葉の世話焼き心にそっと火を灯す。


「……ひとりくらいなら、連れてこられるかもしれません」


「え!」


 長い毛先が雪原をなで、きらめく粒子が風に舞う。

 星を湛える桃眼が眩しくて、四葉はまた目を細めた。


「下に降りてみます――朝ごはんのあとで」


 タイミングよく、グゥゥと腹の虫が鳴く。いなりは照れたようにふにゃりと微笑む。


 彼女が頭を傾けると、鈴飾りがリィンと澄んだ音を立てた。


 いなりの尽きないおしゃべりを聞きながら――思ったよりも、長い朝ごはんになった。

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