第四話『娼婦を食らう毒婦』

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私たちにはなにが足りていなかったのか。

私にはなにができるのか。

革命を誓い合ったあの日に戻った私は、考えた。

とにかく私たちには情報が足りていなかった。

間諜が紛れ込んでいたのだろう。革命軍の行動は国軍に筒抜けだったが、対する私たちは敵の情報、例えば軍の配置や閣僚の意向などをまるでつかめていなかった。

――――情報源が必要だ。

私はエルドのような秀才ではない。エリナのように人を惹きつける魅力があるわけでも、バルディのように腕がたつわけでもない。

私にあるのは若い女の身体と、なにをしてでも革命を成功させるという気概だけだ。

私が自分の進むべき道を見つけるのに、そう長い時間はかからなかった。

三人にはなにも明かさなかった。

私が二度目であるということも、私がこれからしようとしていることも。

彼らにはなにも知らせず、一人ではじめた。

優しい彼らは、きっと反対するだろうから。

それに私は、知られたくなかった。

私がなにもできず彼らの処刑を見ていたということを。

私はなんの役にも立てなかったということを。

そして今度こそ役に立つために、身体を売ろうとしていることを、彼らには知られないままでいたかった。







公爵の葬式を終え、伯爵家に戻った私は、その足で夫人部屋へと向かった。

本来は私の部屋となるべきはずの場所だった。しかし今では、夫の愛人が我が物顔で占領している。


「失礼します」


愛人の女は、しどけない格好で寝台に横たわっていた。


「なんの用?」


「急で申し訳ないのですが、いまから公爵邸に向かってはいただけませんか?」


「公爵邸?」


どういうことよ、とぼやきながら、女は気だるげに起き上がった。

夫人である私を前にして、女は居住まいを正すこともへりくだることもしない。すっかり女主人気取りで、私を見下している。


女は元高級娼婦で、夫との付き合いは私と夫が結婚する以前からあった。熟れた豊満な肉体と甘い声色はいかにも娼婦らしく、好色家の夫が虜になるのも頷けた。

やりなおす前の世界で、私はこの女が苦手だった。

夫を篭絡されたことはどうでもよかった。もともと夫にはなんの感情も抱いていなかったから。使用人としてこき使われることにも、さほどの苦しみはなかった。女は貴族で本妻である私が自分の身の回りの世話をするだけで加虐心が満たされるらしく、私に必要以上の辱めや暴力的な折檻を与えることはなかった。

私がこの女を苦手としていたのは、彼女のまとう色香を耐え難く感じていたからだ。

むせ返るような香水のにおい。恥じらいなく男に身体を寄せる振る舞い。焦がした蜜のような嬌声。

ろくな知識もない箱入り娘だった私には、男に媚びて生きる女を毒蛇のように思っていた。目を背けたくなるほど生なましい女だ、と。

いまの私は、そんな小娘の考えは捨てていた。

むしろ女は見習うべき存在だった。私はこの女がしてきたように、この身でもって夫を篭絡しなければならない。


「公爵が、貴方に興味をお持ちなのです」


「公爵って、あんたの実家の?死んだんじゃないの?」


「新しく爵位を継いだ私の義兄、エアハード様の方です。彼は貴方にとてもに興味をもたれていて、是非屋敷に招待したい、と」


顔を合わせたこともない公爵からの誘いに、女ははじめ警戒を見せたが、私が説得を続けるうちに、次第にその顔は明るくなっていった。


「貴方の噂を以前からよく聞いていたそうですよ。伯爵お抱えの美姫。何度か舞踏会で見かけたときは、伯爵が近くにいて声をかけられなかったとか。どうしても貴方と話がしてみたいのだと、私は公爵に頼まれたんです」


もちろんすべて出まかせだった。エルドはこの女に興味など無い。潔癖で生真面目な彼が他人の所有である娼婦を求めることなど絶対にない。


「仕方がないわね。そこまで言うんだったら、相手をしてあげないこともないわ」


女は揚々として身支度を始めた。


「このこと、もちろんあの人には言ってないでしょうね?」


「ええ。それに、会合が長引いて、今日は戻れそうにないとか」


「なんでそんなことアンタが知ってんのよ」


「言伝を持った従者と帰路で偶然行き合ったんです」


「ふうん。まあ、ちょうどよかったわ」


格上の貴族からの誘いに有頂天となった女は、もはやなにも疑ってはいないようだった。

熟した身体を惜しげもなく披露する、派手なドレスで着飾って、女は私が用意した馬車に乗った。

馬車の行き先は、もちろん公爵邸ではない。

女を乗せたのは人買いだった。馬車はそのまま国外へ出て、女はどこかの娼館へ売られることになる。







葬儀を終え、公爵家を出た私は、治安の悪さで知られる宿屋街に立ち寄り、人買いを雇った。

義勇軍として革命運動を行う中で、私はさまざまな人種と関りを持った。義勇軍には場末の娼婦も人買いもいた。彼らは決して善人ではなかったが、現状を変えたい、まっとうな職に就きたいという意志を強く持っていた。自堕落の末に落ちぶれた者もあったが、生まれの貧しさから仕方なく身売りを行う者も多かったのだ。彼らは革命で人生をやりなおしたいと考えていた。私たちは彼らを受け入れ、同志として共に戦った。

私は彼らからよく話を聞いた。これまでのどうやって生きてきたのか。生活から仕事の細かい内容まで。中には聞くに堪えない話も多くあったが、受け入れなければならない現実のひとつとして、私は傾聴に励んだ。

それがまさかこんな形で生きるとは、思いもよらなかったが。

私は人買いと交渉した。手持ちはなかったが、女と女を連れ出すための馬車を提供すると持ちかけると、すぐに話はまとまった。

馬車は伯爵家のものであり、紛失が知れれば伯爵は怒り狂うだろう。愛人の失踪に関わっていることまで露見すれば、私に与えられる折檻は、生半可なものではないはずだ。

しかし私には、やりなおす前の世界のように、寝込んでいる暇はない。

なんとしても折檻を避けなければならない。馬車の紛失も愛人の失踪もどうでもよくなるほど、伯爵を夢中にさせなければならない。


女を見送ったあとで、私は夫人部屋に戻った。

女の残り香が濃い、宝石とドレスと香水で溢れた夫人部屋。

私は部屋の中央に立って、深く息を吸う。思わず吐きそうになるが、どうにか堪えて、肺を甘い香りで満たす。

女を騙し、売り飛ばしたとことには、すこしの罪悪感もなかった。ざまあみろとさえも思わない。私の胸には、ただ固い決意だけがあった。

結婚して五年、ようやく自分のものとなった夫人部屋で、私はドレスに着替える。

女のドレスは私にはすこし大きかったが、メイドを呼びつけて、どうにか丈を詰めさせた。

事情を知らないメイドは、気でも触れてしまったのかと怯えながら、それでも私の指示に従ってくれた。


(ごめんね)


屋敷の使用人たちのことを思うと、胸が痛んだ。女には抱くことのなかった罪悪感に、私は怯えるメイドを見て苛まれる。


(私はもう、あなたたちの味方ではいられない)

(同じ使用人の立場に立って、苦を分かち合うことはできない。それどころか、新しい女主人として、あなたたちを使わなければならない)


胸元が大きく開いたドレスに着替えた私は、それに見合うだけの派手な化粧を施す。愛人の女の身支度を手伝っていたから、それほど手間取ることはない。手足に香油を塗りたくり、大ぶりな宝石をこれでもかと身に着け、姿見の前に立つ。

無力で無知な小娘は、もうどこにもいなかった。

鏡に映るのはしたたかで卑しい、恥知らずの娼婦。男を手玉に取り、骨抜きにする毒婦だった。







伯爵の帰りが遅い、というのも嘘だった。

その日、伯爵は夕刻には屋敷に戻った。


「おかえりなさい」


出迎えた私が誰なのか、伯爵はすぐにはわからないようだった。


「あら、妻の顔を忘れてしまったの?」


私の豹変に、伯爵がただ唖然とするばかりだった。

私は伯爵を寝室に連れ込み、強い酒を飲ませ、蛇のようにすり寄った。

貴方が愛おしくてたまらない、と。

愛人だった女の真似をして、心にもない言葉で彼を求めた。


「悪魔にでも憑かれたか?」


伯爵は私の豹変に驚いていたが、もともとは私の身体が目当てだった男だ。

すぐに誘いに乗り、私を抱いた。

私はその日から、自身の夫を篭絡するために死力を尽くした。


伯爵は欲深くふしだらな男だった。

そして伯爵の好みもまた、自分と同じように金とセックスがなによりも好きな女だった。

私は伯爵に媚を売った。甘い言葉を囁きながら惜しげもなく身体を開いた。

頭がおかしくなりそうだった。恥辱のあまり何度も舌を嚙みちぎりたくなった。

正気を保つために、自分を押し倒す男をバルディだと思いこもうとしたこともあった。けれどできなかった。バルディと伯爵とではなにもかもが違った。バルディの大きな手は、硬く節ばっているが、決して私の髪を乱暴につかんだりしない。バルディは一人よがりな欲望を私にぶつけたりはしない。

私は想像で自分を守ることを諦めた。代わりに思い出した。前回の記憶を。処刑台に立たされた三人の顔を。見る影もなく痛めつけられて、なにもかも失った末の絶望的な死を前に、それでも私に笑いかけた三人の顔を。

あのときの三人に比べれば、いま私が与えられている苦痛なんて、虫に刺された程度のものだ。


伯爵は私に夢中になった。それまで貞淑だった妻の突然の豹変を楽しんでいた。けれどこれもいつまでも続くわけではない。伯爵が私に夢中になっているうちに、私は次の一手を打たなければならない。

私は伯爵夫人だが、それは名ばかりのもので、私が自由にできる金と資産はひとつもなかった。私がお飾りであることは社交界中に知られているから、伯爵夫人としての権威というものもない。

私はそれらを手に入れるために、夫を地獄に落とさなければならなかった。

夫だけではない。今度こそ革命を果たすために、私は国中の貴族を地獄へ誘わなければならなかった。







「ねえ、イイコトをしない?」


寝台の上に夫を押し倒し、私は囁いた。

夫は鼻息を荒くし、私の腰をつかんだ。


「毎日してるだろ」


「それよりさらにイイコトよ」


私はサイドテーブルに置かれた灰色の茶を口に含み、にっこりと笑う。

口移しされた茶を、夫は吐き出しこそしなかったものの、飲み込んだあとでひどく顔を歪めた。


「なにを飲ませた?」


「『天使の涙』」


やり直す前の世界で、『悪魔の血』と呼ばれていた茶葉に、私は新しい名をつける。


「なんだそれは?」


「すぐにわかるわ」


私は夫を安心させるため、自分でも茶を一口飲む。

香りは甘いが、味はひどく苦い。舌先が痺れる。次第に頭がぼんやりとしていく。綿毛の海に飛び込んだような心地がする。多幸感に包まれ、あらゆる不安が消えていく。


(もう全部どうでもいい……)


そんな思いが頭をよぎる。


(……そんなはずはない)


私はなけなしの理性で思考の放棄をおしとどめる。


(忘れるな。私がここに戻った理由を)


私が溺れるわけにはいかないのだ。

私は思い出す。処刑台の上で揺れる三人の躯を。教会で一人鞭打たれるやるせなさを。

私は目を開く。寝台では夫が顔を真っ赤にして痙攣している。


「ヴェロニカ……」


夫は恍惚に浸りながら私の名を呼ぶ。


「なんだこれは……。ああ……もっと欲しい。もっとくれ……」


私はにっこりと笑って答える。


「よかった。お気に召していただけましたようで」


私は地獄の蓋を開けた。

革命を成功させるためには、多くの血と涙が必要なのだ。

やり直す前の世界より、ずっと多くの。

それがあの三人のものでないならば、私はどんな犠牲も厭わない覚悟だった。

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