第三話『一度目の記憶』

■■■■




私たちは幼馴染だった。

公爵家の跡取り息子、エアハード。

その妹、エルフリーナ。

公爵家の養子で、二人と同じ屋敷に住む私、ヴェロニカ。

公爵家の庭師の息子、バルドリック。


公爵家の広い庭園の中で、私たちは幼少期、毎日のように一緒に遊び回った。

身分も性格もまるでちがうのに、私たちはとても仲が良かった。

貧しい男爵家に生まれ、養子として公爵家に引き取られた私は、本来であれば実子であるエルドとエリナには目上の相手として傅かなければならなかった。

しかし二人はそれを拒絶し、私を実の妹のように扱ってくれた。

父親の仕事の手伝いで公爵家に出入りしていたバルディも、身分は平民で、本来であれば私たちとは会話をすることさえ許されていなかった。

けれど庭園で顔を合わせるうちに、私たちは打ち解けていった。彼の飾らない態度は、お世辞や遠慮の嫌いなエルドとエリナの気に入り、やがてもう一人のきょうだいとなった。

私たちは幼馴染で、親友で、血のつながらない兄妹だった。

互いが互いにとって、なによりも大切な存在だった。


しかし十代も半ばを迎えると、私たちは袂を分かたねばならなくなった。

エルドは政務官補佐として王宮へ勤めに出るようになった。

エリナはひと回り年上の大公のもとへ嫁いでいった。

私もある伯爵家に嫁ぎ、公爵家を出なければならなかった。

バルディはそれまで父親の跡を継ぐといって庭師の見習いをしていたが、私たち三人が公爵家を離れると知ると、彼もまた親元を離れ、軍隊に入る決意をした。


「俺だけ屋敷に残るのは寂しいからな」


武骨な彼にしては珍しい、感傷的なその言葉に、私は思わず笑ってしまった。

私はバルディのことが好きだった。

バルディも私のことが好きだったんじゃないかな、と思う。

エルドとエリナには見せない弱音を、私にはこぼしてくれたから。私に向ける表情の柔らかさが、触れる手つきの優しさが、特別なものだったから。

けれど私たちはそんな互いの想いを、決して口にすることはなかった。

私と彼が結ばれることは決してないと、わかっていたから。


この国では身分が絶対だ。庶民と貴族には絶対的な隔たりがあり、結婚はおろか、表立って友人になることもできない。

私たちは、本来は目を合わせて会話することさえ許されていないのだ。

彼との関係が進展することはないとわかっていた。

別離は寂しくもあったが、これでよかったんだ、とも思っていた。

おかしな期待を抱くこともなければ、彼が誰かと結ばれるところ見ずに済むから。


公爵家を離れた後、私たちは文通のひとつ交わすことはなかった。

貴族と庶民が文通を交わすなど、あってはならなかったし、やろうと思ってもできなかった。

嫁ぎ先の伯爵家で、私にはどのような自由も与えられなかったから。







私は貧しい男爵家の生まれだった。

公爵家の養子に出されたため、一応の身分は公爵令嬢であるが、生まれの身分が低いということで、嫁ぎ先では軽んじられた。

夫である伯爵は私を使用人のように扱い、寝所を共にすることもほとんどなかった。

愛人を平然と囲い、その世話を私にさせる始末だった。

惨めだったが、耐えられないほどではなかった。

政略的な結婚だったが、私を見初めたのは伯爵の方だ。

私は齢のわりに発育がよかった。結婚を持ちかけられたとき、私はまだ十六だったが、まるで経産婦かのような体型をしていた。それでいて顔立ちは年相応に幼く、ひどくアンバランスな出で立ちをしていた。おまけに対照的な美貌の持ち主、調和のとれた容貌を持つエリナがいつも傍にいたから、私の早熟な体型は悪目立ちするばかりだった。

しかしそんな私に、好色家の伯爵は目をつけた。

あの男は、私の身体だけをみて、寝屋での振る舞いを期待したのだ。

見た目通り、中身も早熟なのだろう、と。

だが実際のところ、私は早熟どころか、未熟な箱入り娘だった。由緒正しき公爵家の令嬢として育てられた私には、床の知識など無いに等しかった。

私は夫となった男の要望には応えられなかった。緊張と嫌悪感でろくに相手を務めることができなかった。

夫は私に失望し、やがて妻として扱わなくなった。

使用人と同じ服を着せ、使用と同じ仕事を押し付けるようになった。

けれどそれでも、伯爵夫人であった私の扱いは、他の使用人よりずっとマシだった。


伯爵家の使用人たちは、みな平民の出だった。屋敷に住まう夫とその親類は、使用人を同じ人間とは思っていなかった。

ささいなことで折檻を与え、暇つぶしに辱めに与えた。暴力と暴言は挨拶より頻繁に交わされた。

味が気に食わないと料理を床に叩き落とし、それを這いつくばって食べるよう料理人に命じた。髪を櫛に絡ませた罰だと、嫁入り前のメイドの髪を切り刻んだ。老いた執事を裸にして犬に追わせることもあれば、十歳の少女に性的な奉仕を強いることもあった。

怪我や病気をした使用人は一日の食費にもならない銅貨一枚を見舞い金に、屋敷を追い出された。

人としての尊厳がなにひとつ保障されない環境だった。

それでも、他に働き口のない貧しい使用人たちは、その仕打ちに耐えるしかなかった。

私は彼らに同情した。

少なくとも私は、暴力や恥辱に晒されることはなかったから。




「ここは本当に酷いところね。いつかきっと、別の勤め口を、私が探してあげるからね」


手ひどい折檻を受け寝込んでしまった、同じ年ごろのメイドを、そう言って励ましたことがあった。

もしどこかでエルドかエリナに会うことがあれば、きっと口利きをする、と。

公爵家であれば、同じ使用人でも、まっとうに扱われるはずだから、と。

けれど彼女はそれを断った。


「亡くなった私の姉がその公爵家に勤めていました。そこで姉は過酷な労働を強いられて、身も心もボロボロになって、働けなくなると追い出されました」


メイドの姉はどうにか家には帰りついたものの、その後数日で息を引き取ったという。


「どこに行っても同じです。飢えて死ぬか、こき使われて死ぬか。私たちの人生にそれ以外の選択肢はありません」


私は愕然とした。

なにも知らなかった。

屋敷で働く人々が、そんな扱いを受けているなんて。

けれど思い返してみれば、伯爵家に嫁ぎ、こうして自分が使用人と同じ立場になるまで、彼らの境遇について考えたことなどなかった。

公爵家では、私たち子どもの目につくところで折檻を与えていなかっただけで、使用人が叱責されているところや、彼らが休みなく働き続けているところは幾度も目にしてきた。

けれど私は、それを見て心を痛めることはなかった。

ごく当たり前の光景として受け入れていたのだ。


私は自分を恥じた。

自分たちの生活を支えてくれている人びとの存在に、彼らの過酷な生活に、気づこうともしなかった自分を、情けなく思った。

けれどそれに気づいたところで、私にはなにを変える力もなかった。

伯爵に立てつくこともできず、時間ばかりが過ぎていった。







伯爵家に嫁いでから五年。

私は夫人としての立場を持つことも、使用人たちの境遇を改善することもできず、ただ懊悩として日々を過ごしていた。

そしてそれは、それぞれ全く異なる道を歩んでいたエルドとエリナ、バルディも同じだった。


私たちが再会を果たしたのは、公爵の葬儀だった。

三人と会うのは、結婚して以来初めてだった。

エルドとエリナ、バルディの三人は手紙のやりとりを頻繁に行い、幾度か顔を合わせる機会もあったそうだが、伯爵家で使用人として扱われる私は、手紙のひとつやりとりすることができず、互いの近況さえ知らずにいた。

五年ぶりに会う三人は、すっかり別人になっていた。

エルドは優秀な政務官となり、次期宰相候補の筆頭として将来を嘱望されている。

エリナは子宝に恵まれず苦労していたようだったが、貧しい子どもたちに教育の機会を与えるなど、慈善活動家として高く評価されている。

バルディは軍に入って間もなく国王軍主催の剣技大会で優勝し、その腕を買われ、今では中隊の指揮を任されている。平民の出身としては異例の出世だという。

三人は華々しく活躍する一方で、その胸に多くの不満や葛藤を抱えていた。


「この国は民からの搾取で成り立っている。このままでは痩せ細る一方だ」


エルドは固く撫でつけた髪の毛が乱れるのも気にせず、頭を抱えた。


「過去の記録と照らし合わせれば行き詰まることは明らかなのに、国王も大臣連中も認めようとしない。やつらの豪華な晩餐のために、数百人の農民が飢え死にしているような現状だというのに。きっと自分が飢える側になるまで気づかないんだろうな。そしてやつらが飢える頃には、この国の民はみな飢えて死んでいるだろう」


エリナは嘆く兄の肩を支えながら、自身もまた嘆き悲しんだ。


「奉仕活動なんてつけ焼き刃よ。たった一食分のパンとスープを与えてどうなるの?命を繋ぎとめるだけじゃ根本的解決には至らない。いくら教育を与えたって、大人になる前に死ぬんじゃ意味ないわ。貧困から子どもたちを救い出すためには、結局いまを生きてる大人が変わるしかないのよ。馬鹿みたいな重税をやめて、貴族から特権をはぎ取って、なにもかもを平等にしなくちゃ。悲劇はいつまでも続くわ!」


続くバルディの吐露は、屈強な相貌とは相反する、弱弱しいものだった。


「軍人とは名ばかりだ。俺たちが倒すのは敵国の兵じゃない。貧しい民衆だ。税を滞納した農民をしめあげて、なけなしの金を搾り取ること。ときには担保にされていた家に火をつけることも、娘を連行することもあった。俺はそれを指揮した。胸糞悪いその命令に、逆らいはしなかった。俺が逆らえば部下も同罪になる。食い扶持を無くすか、最悪死罪だ。俺はあいつらを巻き込むことはしたくなかった。一人で戦っても、勝ち目のない戦だとわかっていたから……」


三人と比べると、私の置かれた状況はむしろ恵まれたものに思えた。それどころか恥ずかしいくらいだった。私は夫の不貞をただ受け入れ、抗いもせず使用人同然の扱いを受け入れていただけだったから。

それでも私は三人に自分の結婚生活について打ち明けた。結婚生活は順調だ、なにもない、と嘯いて、ますます三人との間に溝ができてしまうのを恐れた。

後ろめたさをかんじながらも、誇張はせずに、私は私の置かれた境遇を語った。

結婚とは名ばかりであるということ。夫に愛されたことは一度もないということ。使用人同然に扱われて、はじめて彼らの苦しみに気づいたということ。

三人と同じように、庶民の現状を耐え難く感じていることを。

彼らは憤慨してくれた。私と連絡がつかないことを、ずっと心配してくれていたらしい。夫が私にした仕打ちを、決して許せないと、怒ってくれた。

いまにも伯爵家に殴り込みそうな勢いの彼らを、私は制した。

私のために、三人が怒ってくれた。悲しんでくれた。

それだけで十分だった。今日までの苦難が、報われた気がした。

私はそれでいい。

でも、屋敷の使用人たちは、今もなお屋敷で虐げられる彼らは別だ。


「助けてあげたい。貴族だったら平民になにをしてもいいなんて、間違ってる」


私たちの思いはひとつだった。

五年という時は、私たちを大きく変えてしまった。

公爵家という箱庭の外で、私たちは荒波に揉まれた。それぞれ身分のおかげで溺れ死ぬようなことはなかったが、その分全身は濡れそぼり、芯まで冷え切ってしまった。

たくさん傷ついた。力及ばず、救えなかったものがあった。意に反した仕事をこなさなければならなかった。無力に苛まれる日々が続いた。

私たちはそれぞれ別の場所で、同じ思いを抱いていた。

いまの社会は間違っている。

変えなければ、この国に未来はない。

震えているだけでは、憂いているだけでは、なにも変わらない。


そうして、私たちは革命を決意した。

四人でこの国を変えようと。







革命は簡単なことではなかった。

エルドは公爵が病死したため爵位を継いだが、領地の経営など雑務に追われ、政務官としての仕事が疎かになってしまった。そのため早期出世の道から外れ、政務官という立場は変わらなかったが、嘱望されていた宰相への出世は遠ざかってしまった。

バルディも軍の中で百人ほど部下を抱えていたが、平民出身ということで、軍上層部への発言権は持っていなかった。

エリナは慈善家として平民に対し同情的な貴族に顔がきいたが、そのごく一部の貴族たちに対する働きかけだけではなんの解決にも至らないことは、エリナ自身がこの五年をかけて証明していた。

私たちは当初、暴力的な革命はまったく考えていなかった。

政権内部からのゆるやかな改革、税の低減、平民の地位向上を考えていた。

長期戦を覚悟で、平和的に国を変えようという理想を持っていた。

けれど私たちが革命を誓い合った翌年に、税の大幅な引き上げが宣言された。

疲弊した国民に追い打ちをかける失策だった。

気が触れているとしか思えない愚行だった。

しかし王侯貴族たちは自分たちの生活を維持するため、これを強行した。

彼らは理解していなかった。

交易の拡充や新たな農法の開発など、周辺諸国はそれぞれ国をあげて事業に取り組むことで、国庫を確保しているということに。

同じ環境で、同程度の面積と人口を抱えながら、なぜ自分たちは周辺諸国に後れをとっているのか。彼らとの国力に差が出ているのか、私たちの国の貴族たちは、それをひとえに税制の違いにあると考えていた。

自国の生産力が弱いのは、民衆は怠け者ばかりだから、と。

税率をあげれば尻叩きになって、民衆も本腰をいれて労働に取り組むだろう、と。

王国貴族たちは本気でそう思っていた。

エルドは宰相や王に直訴した。

エリナは夫である大公に農民の窮状を訴え、交流のあった貴婦人たちにも働きかけた。

バルディも軍の上層部にかけあってくれた。

けれどなんの成果もなかった。それどころか三人はそれぞれ立場を追われてしまった。

エルドは左遷され、政務官としての将来は絶望的となった。

エリナは煙たがられ、社交界の鼻つまみ者となってしまった。

バルディは中隊長の役を解かれ、最下級の兵士に降格させられてしまった。

私だけは、なにも変わらなかった。

訴えかける相手も、伝手も持たない私は、伯爵夫人とは名ばかりの使用人として、なにもできずにいた。







「こうなったらもう、戦うしかない」


なにもできずにいたからこそ、一番最初にそれを口にしたのは、私だった。


「のんびりしてたら、本当にみんな死んでしまう。もうこれしかない。戦って、革命を起こすしか、みんなが生き延びる道はない」


意志のある民衆を集めて、徒党を組み、武装蜂起する。

そうなれば、もう立場や境遇は関係ない。

私でもあの家を飛び出して、みんなと同じところで、戦うことができる。

そんな浅はかな思いからの提案だった。

けれど三人はこれに乗った。

金と権力に固執する王侯貴族に、彼らは見切りをつけていた。

彼らを打ち倒すしか、この国に未来はないと考えていた。


「不当な搾取を撲滅しよう。みんなで幸せになれる、新しい国を作ろう」


私たちの呼びかけに応えた民衆は多かった。

革命のための義勇軍が組織され、私たちはそのリーダーになった。

貴族である私たちに、はじめは白い目を向ける人も多かったが、エルドは実直で、エリナは優しく分け隔てなかった。

なにより二人は気さくで、偉ぶることがなかった。

人びとは次第に彼らを受け入れていった。

私に至っては、義勇軍に入った屋敷の人間が広めた噂のおかげで、忌避されるどころか同情された。

貴族でありながら使用人同然に扱われる私を、人びとは労わってくれた。

平民出身のバルディはもちろん厚い信頼と尊敬を受けていた。朴訥としているが腕の立つ彼は、特に若い青年たちに兄貴分として慕われていた。


滑り出しは順調だった。

私たちは王侯貴族に対して声明文を発表し、正面から打って出た。

税の保管庫を襲い、食糧を強奪した。

軍の詰所を襲い、武器を確保した。

交通の要所を占領し、王都への物流を滞らせた。

義勇軍の発足当初は、私たちの存在に懐疑的な民衆も多かったが、私たちが本格的な行動に出ると支持者は増えていき、協力を申し出る村落や参加させてくれと遠方から訪ねてくる若者も現れるようになった。

義勇軍は次第に大きくなり、気づけば正規軍と変わらない人数になっていた。

武器や装備では劣るが、闘志では大きく勝る。

正義は自分たちにある。神は必ず自分たちに味方する。

私たちはそう思い込み、王都へ攻め込んだ。


尚早だった。

慢心があった。

けれど勢いを止めることはできなかった。

ろくな策もないまま、力で押し切ろうとした私たちは、入念に守りを固めていた国軍の前になすすべもなく敗走した。


それから風向きが変わり、私たちは追い詰められていった。

占拠していた街道は突破され、革命軍の本拠地であった公爵邸も破壊されてしまった。

革命軍は分断され、ひとつまたひとつと潰されていった。

名ばかりのリーダーだった私は、三人のいる最前線からは遠く離れた後方で、負傷者の看護にあたっていた。

しかし私たちが救護所としていた民家も国軍に見つかってしまい、襲撃を受けた。

部隊の指揮をとっていたのは、私の夫だった。

動けない患者も、私と同じく看護にあたっていたまだ十代の少女たちも、国軍の兵士は一人残らず殺してしまった。

私だけは殺されず、伯爵邸に連れ戻された。

夫は私が革命軍の一員であることを隠そうとしていたのだ。

エルドたち三人と違い、目立つ役回りのない私は、革命軍内でも影が薄く、世間には存在さえ知られていなかった。

伯爵家の方でも必死に隠していたのだろう。当然だ。自分の妻が革命軍に参加していると知られれば、彼も糾弾を免れない。

夫は私に口もきけなくなるほどの折檻を与え、修道院に押し込んだ。

殺さなかったのは、彼なりの温情なのか。

それとも、莫大な結納金の返還を渋ったためか。

おそらく理由は後者だろうが、返す先の公爵はもはや柱の一本も残っていないというのに、いったい誰に催促されると思ったのだろう。

寝台から起き上がれずにいたひと月あまりの間、私はただ己の無力を呪うことしかできなかった。

肝心なときに、戦線を離脱させられてしまった。

また私はなにもできなかった。

このままなにもできないでいるのだろうかと考えると、気が狂ってしまいそうだった。


そして実際に、私はなにもすることができなかった。

私が修道院から動けないでいる間に、エルドたち三人は捕えられてしまった。

革命は、完全に頓挫してしまった。







「――――みんなはヴェラがここに入ってくれて安心しているわ」


最後に会ったとき、エリナは私にそう言った。


「いま私たちは血で血を洗う戦いをしている。人間のやることじゃないわ。それにあなたを巻き込まないですんだから、ほっとしているの」


私が修道院に入ったあとも、革命のための戦いは続いていた。

エリナは戦場で行方不明となった私の居場所を突きとめ、人目をかいくぐって会いにきてくれたのだ。


「人がずいぶん減っちゃったからね。ゲリラ戦を繰り返してるわ。奇襲して、殺して、奪って、また奇襲して――――なんだか革命軍というより、野盗になってしまったみたい」


そう笑うエリナの姿は満身創痍だった。もとあった気品も、陽だまりのような明るさも、失われてしまっていた。目つきは鋭くなり、自慢の金髪はもう何日も洗えていないようだった。


「立ち回りが悪かったのね、たぶん。もう少し慎重に動いていたら――――情報を集めて、入念に準備をして挑んでいたら、結果は随分変わっていたように思うわ」


今さら言っても仕方がないけど、とエリナは諦観した笑みを浮かべた。

そして目を閉じ、耳を澄ませた。

風のせせらぎや、鳥のさえずり。遠くから聞こえてくる、あどけない子どもたちの笑い声に。


「なにも知りたくなかったな。飢えた子どもの顔も、死んだ子を抱える母親の姿も、人を殺してあっけらかんとしている兵士も。死んだ人間の重さも、血の熱さも、肉の焼ける臭いも――――なにも知らずにいられたらよかったのに」


エリナは泣かなかった。

私は彼女を抱きしめたいと思った。

けれどできなかった。

床に伏したまま動けずにいる私は、彼女の手を握ってやることさえできなかった。


「身勝手よね。はじめたのは私たちなのに」


エリナは立ち上がった。


「もしすべてが終わって、そのときまだ私が生きていたら、きっと私はここにくるわ。ヴェラと一緒に、修道女として一生を終える。毎日お祈りを捧げて、孤児の面倒を見て、畑や家畜の世話をして――――静かに、穏やかに暮らすの」


私は堪えきれず、泣いてしまった。

叶うのなら、今すぐ彼女と代わりたいと思った。

けれどそれは叶わない願いだった。

エリナの願いもまた、奇跡でも起こらない限り、叶うことのない願いだったから。


「いやだ、どうしてあなたが泣くの?」


馬鹿なこと考えちゃだめよ、とエリナは私の涙を拭った。


「うまく義勇軍から離れられたんだから、戻ってこようなんて、考えちゃだめよ。私たち、いよいよというときはあなたを頼りにしてるんだから」


エリナは子どもに言い聞かせるように言った。


「私たちは勝てない。……いえ、本当はもう負けているの。でもむざむざと死ぬつもりはない。きっとここに逃げてくるから、そのときはうまく匿ってちょうだい。司祭の信頼を勝ち取って、模範的な修道女になるのよ。そうすれば私たちを匿うとき、いろいろ融通を利かせられるでしょうから」


それが方便であることはわかっていた。

エリナたちは逃げる気などない。命尽きる最後まで、民衆のために戦うだろう。

彼女がいま口にしたのは、すべて私の心を軽くするための口実だった。私に罪悪感を抱かせないための方便だった。


「――――わかった」


彼女のついた優しい嘘に、私は騙されたふりをした。


「待ってる。私がみんなを、絶対に守ってあげるから――――」


果たされることのない約束だった。

けれど、こんな約束でもなければ、彼らとの繋がりが完全に断たれてしまう気がして、口にせずには言われなかった。


「ありがとう。これで心おきなく戦える」


エリナは優しく笑ってくれたが、それが今生の別れになった。

三人が私のもとに逃げてくることも、私が彼らを守ってあげられることもなく、革命は終わってしまった。







エリナの言ったとおりだった。

私たちは未熟で、軽率だった。

私たちはもっとずる賢く、強かでなければならなかった。

その手を血で汚す前に、舌を何枚にも増やし、顔の皮を厚くし、腹の底を腐らせなければならなかった。

なぜなら私たちが倒すべき王侯貴族がそうであったからだ。

彼らを下すためには、彼らと同じところまで堕ちなければならなかった。


私たちはそれを理解していなかったし、理解していたとしても、あのときの私たちでは覚悟を持つことはできなかっただろう。

民衆の味方という正義の像を捨てることはできなかっただろう。

けれど私はもう、知っている。

それを選ばなかった先にある、地獄を。

だから次の私は、選び取った。


彼らが前回そうしてくれたように、彼らを安全地帯に置いて、たった一人で、地獄を歩んでいくことを。

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