第1話 澤村春花と初めて喋った日

夏が嫌いな俺にも、まだ夏が嫌いじゃなかった時期がある。


中学2年生の6月──


今でも、あの時のことを鮮明に覚えている。



俺は紺野真尋。自分が平凡なのかどうかは知らんけど、まあ普通の男子中学生だと思う。和泉第三中学校(通称三中)の2年生で、柔道部員だ。

放課後は体力トレに始まり、基礎練習をやってから打ち込み、投げ込み、乱取り……それなりに充実した日々を過ごしている。


柔道はいい。技術を身につければ自分より大きな相手ともやり合えるし、日々の稽古が積み重なって自分の血肉になっていく感覚が好きだ。


ただ、俺が好きなのは柔道であって、部活仲間との関係はあまりうまくいっていない。体育会系のノリとか、無駄に厳しい上下関係が好きじゃないからだ。そういう空気に馴染めない自分が、部内で浮いているのもわかっている。


それでも部活を続けられるのは、やはり相手と直接やり合えるからだろう。偉そうな先輩が気に食わなくても、乱取りで容赦なく叩きつければ溜飲が下がるというものだ。それでも集団に属している以上、人間関係のストレスは切り離せない。


そんな俺のストレス解消法は、部活終わりに近所のショッピングセンターの本屋に立ち寄ることだ。


部活が終わると、俺はさっさと着替えを済ませ、一礼してから武道場を出た。同期や先輩後輩はまだ駄弁ったりしているが、そんなもんは知らん。


目当てのショッピングセンターは三中から徒歩5分。この時間には俺と同じように部活帰りの三中生をチラホラ見かける。特に1階のフードコートなんか、放課後の溜まり場にうってつけの場所だ。


まあ俺の目当ては3階にある本屋だからフードコートはスルーして、エスカレーターを使わずに階段を一気に駆け上がって3階へ。これも足腰の鍛錬だ。日々の生活に鍛錬を組み込むのが習慣になっている。


特に今日は、うきうきしながら階段を駆け上がった。普段はウロウロしたり立ち読みする程度だが、俺の大好きな小説家・有川浩先生の新刊を買うのだ。なにせ昨日お小遣いを貰ったからな。

柔道部というと武骨で汗臭いイメージかもしれないが、俺の趣味は読書である。


3階に上がると本屋はすぐ目の前だ。わき目も振らず小説の新刊コーナーを目指すところだが………

今日は先客がいた。


同じクラスの澤村春花が、よりによって新刊コーナーで立ち読みしていた。


いやー、嫌なんだよな、こういうの。

男子ならともかく、女子だぞ女子。

しかも澤村なんて顔と名前を知ってるくらいで、一度も喋ったことがない。というかクラス替えしてから女子と一度も喋ってない。

お察しの通り、俺は女子と関わるのが苦手だ。もちろん、穴があったら入れたい年頃の男子中学生だから女子には興味津々だし、喋れるもんなら喋りたい。けど、俺はそんな器用な人間じゃないんだ。変に意識してるとか思われたくねえし。


とりあえず俺は、しばらく漫画コーナーや雑誌コーナーで時間を潰すことにした。テキトーに時間を潰せば澤村も帰るだろう。


ところがどっこい、30分経っても澤村の立ち読みは続いた。どんだけ夢中になってんだよこいつ。


いやー、嫌だけど仕方ない。ささっと新刊を取って退散しよう。俺だってそんなに暇じゃないんだ。帰ったら庭で一人打ち込みを500本やるのが日課になっている。


まあ俺のことはいいや。とにかく有川先生の新刊である。俺は恐る恐る新刊コーナーに近づき、仕方なく挨拶程度に声をかけた。


「あの……ちょっといい?」


すると、黙々と立ち読みしていた澤村の背筋が猫みたいに跳ねた。


「わっ!びっくりしたぁ………紺野くんじゃん」


「よ、よぉ」


名前は覚えられていたようだ。澤村はいつも女子たちと楽しそうにやっている印象なので、こういうタイプの子が俺の名前を覚えているとは思わなかった。

素っ気ない挨拶を返し、新刊を手に取ってさっさと立ち去ろうとすると、澤村が声をかけてきた。


「えと……もしかして紺野くんも有川浩、好きなの?」


耳を疑った。紺野くん「も」?

も、ってことは澤村も?


「ん……まあ、ぼちぼち……いや、かなり」


「ほんと!?私も大好きなんだよ!」


「マジか……」


俺が言うのもなんだけど、澤村は趣味がいいな。

有川浩はライトノベル作家としてデビューして、その後は一般向け作品にシフトした作家なのだが、キャラが一人ひとり魅力的だし、とにかく読みやすい。周りに読書好きな奴がいないから知らねえけど。

俺がそんなことを思っていると、澤村が目をキラキラさせて顔を近づけてきた。ちょ、近っ……


「じゃあさじゃあさ!塩の街とか図書館戦争とかも読んだことある?」


あるに決まっている。有川先生の代表作じゃないか。


「うん……自衛隊三部作も図書館戦争シリーズも読んだよ」


「うわぁ嬉しいなぁ……あ、ごめんね一人で盛り上がっちゃって。てか、ずっと立ち読みしてて邪魔だったよね?導入だけ読むつもりだったんだけど、夢中になっちゃって………悪い癖なんだ」


と、表情をころころ変えながら喋る澤村。

澤村がずっと立ち読みしていたのは、まさに俺が買いにきた有川浩の新刊『三匹のおっさん』だった。

てか、澤村はこんなに表情豊かなんだな。興味なくて全然知らなかったけど。


「あのさ………それ買うよね?」


「うん」


「俺も買うからさ……読んだら感想聞かせてよ。俺の周り、本読む奴いなくて」


さっきも言ったように、俺の周りで読書が好きな奴はいない(そもそも友達が少ない)。前々から感想を語り合う相手がいたらいいなとは思っていたが、まさかこんなところにいたとは。澤村がどんな感性を持っているのか、知りたくなった。


「あっ、いいね!じゃあ……メ、メアド交換する?」


「お、おう……」


澤村がスクールバッグからケータイを取り出した。俺も部活用のリュックを漁り、ケータイを取り出す。え、赤外線通信てどうやるんだっけ?連絡先の交換をする機会が少なくてやり方忘れた。


てか、女子と連絡先交換するの初めてじゃん。


ヤバ、なんか変な気分になってきたし手ぇ震えそう。ケータイを向けあった瞬間、なんだか世界が止まったような感覚になった。

なんか心臓の鼓動がうるせえし、たかがメアド交換で緊張しすぎだろ俺。

なんとかメアドを交換すると、澤村は満足げに頷いた。


「じゃあ、読んだらメールするね」


「お、おう……」


澤村……行動力あるなー。


新刊を抱えてレジに向かう澤村の背中を、俺は半ば呆気にとられながら見送った。


この偶然が、後に俺の人生を大きく揺るがすことになるなんて、今の俺は知る由もなかった。

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