Since1995─好きになる前の、好きだった頃
和泉海
第0話 プロローグ
桜の花が散れば季節はもう夏。それがここ数年の日本の気候である。
幼い頃は夏は5月からだと思っていたし、夏日、時には真夏日も珍しくない。街行く人々の服装も薄着や半袖が殆どだ。
俺─紺野真尋は夏が嫌いだ。
肌を刺すような強烈な陽射しも、耳をつんざくような蝉の鳴き声も、蒸れた夏草の匂いも、陰影の濃い木漏れ日も、とめどなく流れる汗も。
どうしても、あの日の彼女の言葉を思い出さずにはいられない。
「ごめんね……っ!」
去年の8月、澤村春花に告白した時の返事だ。
お断りの言葉として、これほど簡潔なものはなかろう。
中3の夏、俺は澤村に告白した。
澤村とは中2の時に同じクラスになり、偶然趣味が合うことがわかって仲良くなった。
澤村は柔らかい雰囲気の優しい子で、彼女のことを好きになるまで時間はかからなかった。
つっても奥手な俺には告白する勇気なんかなくて、中3の最後の大会が終わるまでは部活に集中するんだと、自分に言い訳をしてきた。
俺は柔道部員で、あの日は中学最後の大会だった。試合を終えてから、応援に来てくれた澤村を呼び出して告白した。
「澤村のことが好きです!俺とお付き合いしてください!」
緊張と恥ずかしさで声が裏返りそうになるのを必死に抑えながら、何とか想いを伝えた。声のボリュームはバカになっていたし、どうせ強張ったキモい顔をしていたに違いない。おまけに試合が終わった直後だから汗臭い柔道衣姿だった。
俺に好意を寄せられているとは思いもしなかったのか、澤村は目を白黒させながら
「ごめんね……っ!」
と叫ぶと、その場から走り去ってしまった。
残された俺は、膝から崩れるようにその場に座り込んだ。ドライヤーみたいに熱い午後の風が、木漏れ日を静かに揺らしていた。
「ごめんね……か」
澤村の言葉が頭から離れなかった。
澤村に振られた。
キッパリと断られた。
澤村は俺のことを異性として意識していなかったということだ。
仲のいい男友達、気の合う趣味仲間。
澤村は俺のことをそう認識していたのだ。
勘違いした自分が情けなくて仕方なかった。
勝手に涙が溢れ出し、泣いても泣いても涙は尽きなかった。涙腺が馬鹿になっていた。
誰かに恋をしたのも、告白したのも、失恋したのも生まれて初めてだった。
それからどうやって家に帰ったのか、まったく覚えていない。
柔道部の顧問の先生、応援に来てくれた同期や後輩たちと一緒に帰ったはずだけど、気づいたら自分の部屋の布団に倒れ込んでいた。
澤村の返事が頭の中でこだましていた。
また涙が溢れ出して止まらなくなった。
あの一日で流した涙が、それまでの人生で流した涙よりも多かったように思う。
後にも先にも、あんなに泣いたのはあの日だけだった。
失恋という事象が人に与える影響は計り知れない。もちろん個人差はあるだろうけど、あっさりと乗り越える奴もいれば、ずるずると想いを引きずったまま次に進めない奴もいる。
俺の場合は後者の典型である。
澤村に振られた日から、何をしても心の隙間は埋まらなかった。いつも澤村のことを思い出していた。
それから中学を卒業するまでの半年間、澤村とは一度も口をきかなかった。
俺が意図的に距離を置いたからだ。澤村は何か言いたそうだったけど、どう取り繕ったって、以前のような友達の関係には戻れない。こんな俺に純粋な友情を抱いてくれていた澤村。ゆっくり育んだ友情を、俺の勝手な都合で壊してしまった。そんな自分が腹立たしくて、澤村のことを思い出しては自己嫌悪するのを繰り返した。
澤村への未練と、それをスッパリ断ち切れない自分への苛立ちが、焚火の燃え残りみたいにいつまでも燻っていた。
さて、こういう燻った感情を放っぽらかしておくとどうなるか。
………俺は見事に病んだのであった。
夜に眠れなくなり、人の言葉を信じられなくなった。気分の浮き沈みも激しく(躁鬱ってやつかもしれん)、落ち着くのは柔道の稽古やトレーニングで身体を痛めつけているときだけだ。
あの日から8ヶ月経ったが、現在進行形でこんな感じである。
昔々、赤い国の独裁者ヨシフおじさんは
愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする
と言ったとか言わなかったとか。
まさにそのとおりだった。
病みっぱなしで中学を卒業した俺は、近所の公立高校に進学した。可も不可もない普通の高校だ。
んでさ………入学式の日に知ったんだけど、幸か不幸か澤村も同じ高校だった。しかも同じクラスというおまけつきである。もう目を疑ったし、ついに俺も気が触れたかと思った。けど、これは本当に偶然だったんだ。
俺が澤村の進学先を知ってて同じ高校を受験したわけじゃないことを、ここに断っておく。そんなストーカーじみた事する余裕なかったし。
一つ言えるのは、澤村は同じ高校に進学するはずじゃなかったってこと。失恋する前に、もう1ランク上の公立校を受験するという話を聞いていたからだ。だから尚の事、澤村が俺と同じ高校に入学してきた意味がわからなかった。
「…お、おはよっ!」
朝、高校の最寄り駅から通学路を歩いていると、後ろから声をかけられた。澤村だ。
通学路が大体同じなのもあって、登校するときに会うと必ず挨拶してくれる。
「………おはよ」
もっとも、俺の返事を待たずに早足でさっさと行ってしまうんだけど。
勝手に玉砕して距離を置いている俺に対して、こうして挨拶してくれるんだから、やっぱり澤村は優しい子だと思う。
俺が一方的に距離を置いているだけで、澤村は前みたいに友達付き合いをしたいのかもしれない。
俺と澤村の共通の趣味は読書だった。しかも同じ作家のファンで、好きな作品まで一緒である。
俺の周りに読書が好きな友達がいなかったのもあって、澤村は感想や考察を語り合える貴重な読書仲間だった。
それは澤村も同じだったから、惜しく思ってたりするのかも……
…………。
いやいやいや!だから勘違いすんなマヒロ!澤村は礼儀正しい子だから挨拶してくれるんであって、こんな恥ずかしい勘違い野郎とまた友達付き合いするなんてありえないから!
そうやって期待してダメだった時に傷つくのはテメーなんだぞ?肝に銘じとけ、このバカタレめが!
俺は淡い妄想を振り払うように頭をぶんぶん振り、早足で前を歩く澤村に追いつかないように歩みを遅くする。
肩甲骨あたりで切り揃えられた焦げ茶色のセミロングの髪が、ほんのり熱を帯びた初夏の風に揺られながら遠ざかっていく。
なんとなく立ち止まり、散りかけた街路樹の桜を見上げると、花弁はもうまばらで、青々とした若葉が萌えていた。
もうじき春が終わり、また夏がやって来る。
今年の夏も、どうせろくな夏じゃない。
そう思っていた。
ガラケーでメールを送り合って、 赤外線でメアドを交換して、 返事が来るまで受信ボックスを何度も確認していたあの頃。
スマホが当たり前になる前、恋はもっと不器用で、もっと面倒で、もっと愛おしかった。
まだ「好き」の名前すら知らなかった、中学生のあの頃。
これは1995年に生まれた俺、紺野真尋と澤村春花の──ひどくありふれていて、でもかけがえのない、どうしようもなく愛おしい恋の話だ。
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