☆6かいめ☆ 重なる手と手

(ふぉぉぉぉおお!!)


ラビリスは窓の外の景色が高速で流れることに驚きながらも、体に伝わる「ある感覚」に気づいた。


「こ、こんなに早く動いておるのに、馬車とは比べ物にならぬほど、揺れがないじゃと!?……む、むしろ……」


「なんだか、心地よいのぅ……」

彼女は微かな振動が気に入ったらしく、警戒の表情を解いて、顔をふにゃりと緩めた。


「そうそう。車の振動って、意外と眠気を誘うんだよな」

大地はその様子にクスりと笑った。

「すぐに着くからな。寝るなよ?」


「ふん!」

ラビリスは心外だとばかりに鼻を鳴らした。

「このような得体のしれない金属の箱の中で、高貴な余がだらしなく眠ったりはせぬわ!」



だが、三分後。


「かー……」


シートベルトに寄りかかる小さな体は完全に夢の中だった。



「……予想通り、見事に寝落ちしてやがる」

大地は呆れた声で呟き、赤信号で停車すると、静かにラビリスの肩を揺すった。

「おい、起きろ」


「……んが?」

魔王の娘らしからぬ、間抜けな返事と共に、目を擦りながら覚醒した。


「フラグの回収が早すぎるんだよ!寝るなって言っただろ!?」


「……っ!ね、眠ってなどおらぬ!この短時間で! 世界についての深遠な思想に耽っていただけじゃ!」


「へぇ?」

大地はジト目でラビリスを見下ろした。

「それにしては、口元にべったり、よだれが付いているぞ」


「ば、馬鹿な……!!」

ラビリスは羞恥で顔を真っ赤に染め、咄嗟に大地の着ているTシャツの裾を掴んだ。


そのまま、ゴシゴシと、遠慮なく口元を拭き始める。


「おい!なんで俺の服で拭くんだよ!?自分のドレスで拭け!自分ので拭けよぉぉ!!」



「……ところで、前に何もないのに、なぜこの乗り物を止めておるのじゃ?着いたのか?」

口元を綺麗に拭き終えたラビリスが、無邪気に首を傾げていた。


「……なぜって」

大地は、自分のTシャツの裾にできたばかりの小さなシミを見下ろしながら、不満げに答えた。

「……あそこが赤く光ってるだろ?」

真紅の瞳が、人工的な光の塊を捉える。

「あれが『赤』に光っている間は、全ての人や乗り物は絶対に止まらなきゃいけない。これも命に関わる、この世界で最も大事なルールの一つだ。絶対に守れ」


「ふむ。では、いつになったらこの停止は解かれるというのじゃ?」


「あれが『青』になったら進んでもいいんだよ」

大地が答えた、その直後、信号の色が切り替わった。


「お、これだ。これが進んでもいい合図」

いいタイミングだとばかりに彼はアクセルを踏み込んだ。



「……待て」

ラビリスは腕を組み、真紅の瞳で光を精査した。

「いや、あれは『緑』じゃろ。どう見ても青ではない。何を騙しておる?」

彼女は極めて不審げな表情を見せた。


「……気持ちは、すごくよくわかる」

大地は運転しながら、遠い目をした。

「でもな、この国では、あれは『青』なんだ。誰もがそう呼ぶ。それがルールだ」



「ルール、ルールと……」

ラビリスは渋面を作った。

「面倒なこと、この上ないのぅ」

彼女は流れていく景色の中の信号機を、呪いの目で一瞥した。


「とにかく、慣れろ。慣れれば気にならん」

大地はハンドルを握りながら、冷たく諭した。


「……やれやれ。では、赤が『止まれ』。みっ……『青』が『進め』でよいのじゃな?」

ラビリスは我慢の限界という顔で確認した。


「いや、違う」

大地は即座に、冷たい言葉で否定した。


「……は!?そなたが今、そう断言したではないか!!」

彼女は激しく眉をしかめた。


「赤は『止まれ』で合ってる」

大地は口角を上げ、勝利を確信した表情で言った。

「だが、青は『進んでもよい』だ。『進め』じゃない。目の前に何があっても突っ込め、って意味じゃないからな」


「ぬぅぅぅ……!」

ラビリスは顔を真っ赤にして唸った。

「命に関わるルールで、しょうもない言葉遊びをしおって……!」


「ま、そういうことだ。しっかり覚えておけよ」

彼は軽快にアクセルを踏み込んだ。




数分後。二人を乗せた車はショッピングモールへと差し掛かる。


「よーし、着いたぞ」

大地は楽しそうに目の前の巨大な建物を指差した。


「な、な、なにぃぃい!!?」

ラビリスは絶句し、思わずシートベルトを張るほど窓に顔を近づけた。

「なんじゃ、この、空を覆い隠すような巨大な建造物は!!?」

彼女は頬が潰れるほど窓に張り付き、目を丸くして見上げた。


(馬鹿な……!我が父、魔王ヴィラルの居城よりも遥かに巨大ではないか!?)

ラビリスは急いで顔を引っ込め、腕を組み、再び警戒態勢に入った。

そしてバッと顔を上げる。


(――ハッ!まさか、余をこの巨大な檻に幽閉し、人間界の王に献上するつもりなのでは……!)

冷や汗が額を伝い、ジロリと建物を睨みつける。

しかし、視線の手前にある窓ガラスには、くっきりと、少女の顔の形が曇りとなって残っていた……。



ブロロロロ……



しかし、そんなラビリスの悲壮な覚悟とは裏腹に、二人を乗せた車は、巨大な建物の暗い口へと吸い込まれていった。


「お、おい、待て!貴様、どこへ行くつもりじゃ!」

地下へ続く坂道で、重力に背中を押されながら、彼女がパニックの声を上げた。


「は?買い物するって言っただろ?」

大地が眉をしかめた。


「だ、騙されぬぞ!」

ラビリスは目に大粒の涙を浮かべる。

「そのような甘言で余を惑わし、この巨大な檻で人間界の王に献上するのであろう!」

彼女は恐怖のあまり、ポカポカと大地の肩を叩いた。


「いてててっ!やめろって!」

大地はハンドルから手を離せず、無抵抗に打たれた。

「そんなことするか!これから面倒見てやるって、さっき約束したばっかだろうが!むしろお前を守ってやる立場になったんだぞ、俺は!」


ラビリスは叩く手をピタリと止め、涙で濡れた真紅の瞳で、大地を見上げる。


「……本当に?嘘ではあるまいな……?」


「はぁ……本当だよ」

大地は深くため息を吐くと、車を止め、真っ直ぐに彼女の目を見た。

「俺は、大した仕事も才能もないダメな大人だが、一度した約束は必ず守る」


その真剣な視線を受け止め、彼女は静かに頷いた。



「……よし」

大地は短く一言、決意を込めた。

「気を取り直して、買い物に行くぞ」

彼は車を白線の中に滑り込ませた。


大地は急いで車から降りると、助手席側に回り込んだ。


「いいか。お前は絶っ対、この巨大な建物の中で迷子になる。ほら、手を出せ」

彼は不器用に、やや強引に、手のひらを差し出した。


「……こ、こ、子供扱いするでない!」

ラビリスは頬を膨らませ、抗議の声を上げた。


しかし、巨大な建物を前にした不安には勝てず、おずおずと、その小さな手を大地の手に重ねる。


中年男性の少しざらついた大きな手と、魔王の娘の小さく滑らかな手。

二人は固く手を繋ぎ、現代日本の迷宮であるショッピングモールの入口へと、足を踏み入れた。

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