☆2かいめ☆ 猫とカップ麺
大地はため息とともに、自分の布団の上に寝かせた少女を見やった。
「う~ん……結果的に放置できなかったにしても、これは完全に不審者事案だろう」
彼は頭を掻き、どうにもならない現実から目を逸らそうとした。
(あんなに壮絶な腹の音、よっぽど腹が減ってるんだろうな)
(目を覚ましたら、とりあえず飯を食わせてやるか。まずは腹を満たして多少冷静になってからだな。
その後、この途方もない問題をどうするか考えよう)
大地が頭の中で無意味なシミュレーションを続けていると、敷布団の上でごそりと音がした。
「ハッ!」
ラビリスは跳ね起きるように上半身を起こすと、銀色の髪を振り乱して、警戒の目を部屋の隅々まで走らせた。
「な、なんじゃここは……余をどこへ連れてきた?」
幼い声には、僅かな怯えと、それ以上の威厳が混じっていた。
「ああ、ここは俺の家だよ」
大地は静かに答えた。
「道端で君が倒れたから、とりあえずここに連れてきたんだ」
「これがそなたの『家』じゃと?」
ラビリスは軽蔑を隠さず、鼻で笑うように言った。
「馬鹿にするのも大概にせい!余の衣装室より狭いではないか!」
「一体どんな家に住んでるんだよ…」
大地はため息を吐き、諦めたように続けた。
「……ああ、そうか。魔王の娘さんだから、お城とかなのか、君の基準は」
「まあ、いいや」
大地は思考を放棄した。
「それより腹が減ってるんだろ?なんか食うか?」
彼がそう問いかけながら、棚を指差す。
「悪いが、今ウチにあるのはカップ麺ぐらいだけどな」
「な、なんという屈辱……!」
ラビリスは歯を食いしばり、俯いたまま呻く。
(下等な人間の施しを受けるだと……?し、しかし…空腹で死ぬわけにはいかん。背に腹は代えられんか……!)
彼女の小さな体は、威厳と食欲の間で激しく震えていた。
そして、彼女はフッと顔を上げ、再び傲慢な表情を取り戻した。
「よ、よし。ならば人間。その下等な食い物とやらを、早々に余に献上するのじゃ」
(まったく、この態度はどうにかならんのか……)
大地は心の中で毒づいた。
「まぁいいや、腹が減ってるなら仕方ない。んじゃ、すぐに作るからちょっと待っててくれ」
彼はそれ以上の問答を避けるように、立ち上がった。
キッチンの隅で、ゴトンと電気ケトルに水を入れ、カチッとスイッチを入れる。
小さな稼働音が、魔王の娘を迎え入れたばかりの部屋に響いた。
ケトルからボコボコと聞こえてきた頃、部屋の隅から漆黒の塊がぬるりと現れた。
大地が飼っている黒猫の『リキ』だ。
彼は長いしっぽを揺らしながら、音もなく敷布団の少女に近づいた。
「うわああぁぁ!!!」
先ほどの威厳が嘘のように、ラビリスは布団の上で飛び退いた。
「な、なんじゃ!その漆黒の毛並み!この邪悪なオーラを放つケダモノは!!」
叫び声は明らかに恐怖に震えていた。
「何って……リキ、猫じゃないか」
大地はケトルを止めて、呆然と言った。
「……え、まさか……猫を見たことがないのか?」
大地は屈み込み、リキの喉元を優しく掻き、頭を撫でた。
リキは目を細め、「ゴロゴロ」と高らかに喉を鳴らし、大地に全身を擦りつけた。
(な、なんということだ……)
ラビリスは息を呑んだ。
(この人間、あの闇の使いのようなケダモノを、手懐けている……もしや、只者ではないのか?)
彼女は再び威厳を装い、大地を厳しい目線で睨んだ。
「君もやってみたら?」
「え……余も、このケダモノを支配下に置けるのか?」
威圧的な口調とは裏腹に、ラビリスは慎重に、人差し指一本をリキに向けた。
「シャーッ!!」
瞬間、リキは背中の毛を逆立て、威嚇の咆哮を上げた。
瞳は獰猛な三日月型に歪む。
「ひいぃぃぃっ!!」
ラビリスは情けない悲鳴を上げ、布団の端まで後ずさった。
「きき、貴様ぁ!この卑怯者め!騙したな!!」
彼女は、目に溢れそうになる涙を堪えながら、震える指先で大地を糾弾した。
「いやいや、待てよ。別に騙したりしてないって!」
大地は慌てて両手を振り、必死に潔白を主張した。
「今、油断を誘って余を亡き者にしようとしたであろう!!!」
彼女は疑念に満ちた声で言った。
「だから、そんな物騒なことしないって!」
大地はため息を吐いた。
「リキは普段は誰にでも懐くのに……おかしいな、どうしたんだろうな」
彼は不思議そうに、未だ威嚇を解かない漆黒の猫を見やった。
「ま、考えるだけ無駄だな」
大地は頭を振って思考をリセットした。
「とりあえず、飯の準備をしよう」
彼はそう言いながら、湯気を上げるケトルを手に取り、カップ麺に熱湯を注ぎ込んだ。
「3分でできるから、ちょっと待っててくれよ?」
ラビリスは首を傾げ、目を丸くした。
「3分?とはなんじゃ……?」
「え、時間の単位から説明しないといけないのか……?」
大地は言葉に詰まった。自分の常識が通じないことに、軽い眩暈を覚える。
「う~ん……あ、そうそう!」
彼は壁にかかったアナログ時計を指差した。
「あの長い針が、3目盛り分進んだら3分だ」
ラビリスは、壁の上の円形の物体から目を離せない。
「なんじゃあれは……?あの針は何のために動いておる?」
彼女の無感情な瞳に、はっきりとした興味の色が宿っていた。
「あれは時計といって、今の時間を見る道具だよ」
大地は簡潔に答えた。
「ほ、ほぅ……」
ラビリスは感嘆の息を漏らした。
「あんな小さな円盤で時間がわかるのか。人間とは、感心するほど便利なものを作るな……」
彼女は次の瞬間、慌てたように顔を赤くし、声を荒げた。
「ふん!勘違いするでない!下等な人間に作れるものなど、我ら魔族の叡智にかかれば、容易く作れるわ!!」
ラビリスは時計から目を離さず、指折り数えていた。
「あの針はもう三つ動いたのではないか?」
「お、そうだな!」
大地はフタを開け、湯気と共に立ち上るカップ麺の匂いを嗅いだ。
「それじゃあそろそろ食べるか」
彼はカップ麺をテーブルに置き、箸を手渡した。
「この貧弱な棒は、一体なんじゃ?」
ラビリスは、左右の棒をどう扱うべきか分からず、不思議そうにそれを手に取った。
「そっか、お城じゃ箸なんて使わないか」
大地は納得したように頷くと、キッチンからフォークを持ってきた。
「じゃあこれを使えばいい」
「くっ……!なめるな人間め!」
ラビリスは、フォークを差し出す大地の手を払った。
「貴様が扱える下等な道具なぞ、この魔王の娘たる余にも容易く扱えるわ!!」
彼女は宣言するように言い放つと、不器用ながらも箸を大事そうに握りしめた。
「そりゃ結構なことで……フォークが欲しかったら言うんだぞ」
大地はため息を押し殺し、完全にラビリスとの勝負を放棄した。
彼は自分のカップ麺を豪快に掴み、ズズズッと音を立てて啜り始めた。
ラビリスはそれを確認した後、自分のカップ麺を覗き込む。
「こんな、白く煮えたぎった紐みたいなもので、本当に腹が膨れるのか? 」
「おう、美味いから大丈夫だって」
大地は口いっぱいに麺を詰め込みながら、自信満々に答えた。
「さあ、早く食ってみろよ」
ラビリスは、厳かにカップ麺を手に取ると、猫のように「くんくん」と念入りに匂いを嗅いだ。
(ふむ……。確かに美味そうな匂いがするな……毒物も入っておらぬようじゃし……よし!)
彼女の真紅の瞳に強い決意と、わずかな好奇心が宿る。
そして不器用な手つきで、湯気の立つ麺に狙いを定めた。
彼女はグーで握り込むように箸を持ち、麺を掬おうと試みた。
ツルッ!
無情にも、麺は水を得た魚のように箸から滑り落ちる。
ラビリスは食いしばった奥歯を鳴らす。
何度も何度も試みるが、麺は魔王の娘の威厳を無視するように、その都度カップの中へと嘲笑うかのように帰って行った。
「ぐぬぬぬぬぅ……!!」
ラビリスは幼い声で唸り、悔しさのあまりテーブルを叩いた。
「なんじゃこれは!!いつまで経っても余の口に入らぬではないか!!」
その目には、本気の悔し涙が滲んでいる。
「ほらな。言わんこっちゃない」
大地はやれやれと肩をすくめた。
「とりあえず、このフォークを使え」
彼は冷静に、改めてフォークを差し出した。
ラビリスは屈辱に顔を歪ませながらフォークを受け取り、意を決して、その忌々しい紐を口に運んだ。
ぱくっ
その瞬間、真紅の瞳が見開かれ、時間が止まったかのような沈黙が訪れた。
「……ッ、う、美味い!!なんじゃこれは!!!」
(え?本当にどうなっておるんじゃこれ!?……複雑で深い、この濃厚な風味は……こんなものが下等な人間界に存在しているなど、誰も余に伝えなんだぞ!?)
彼女は感動と衝撃で体が震え、もはや威厳などどこへやら、貪るようにフォークで麺を頬張り始めた。
大地は夢中で麺を頬張るラビリスを、自然と口元が緩むのを感じながら見つめていた。
(ふふ、まるで野生動物だな……)
彼の胸に、じんわりと温かい感情が広がった。
(俺は独身だけど、子供がいたらこんな風に世話を焼くのかなぁ……)
その時、大地の視線に気づいたラビリスは、カッと頬を染めた。
「なんじゃ!人の食事をじろじろ見るとは、無作法な奴め!」
彼女はぷいっとそっぽを向いた。
だが、咀嚼するたびに、その小さな頬が幸福そうに膨らんでいるのは、誰の目にも明らかだった。
(さて、とりあえず腹は満たしたけど、この後はどうするかなぁ……)
大地は心で呟き、ラビリスに目をやった。
彼女はフォークを握りしめたまま、満腹の安堵に包まれたように、布団の上で無防備に眠っていた。
「寝ちゃったのか……」
大地は口元を緩めた。
「魔王の娘も腹が満たされればただの子供か。色々聞きたいことはあるけど、起こすのはさすがに可哀想だな」
「ま、幸い、明日と明後日は休みだ」
大地は都合の良さに感謝した。
「二日間、考える時間がある。この問題は、明日またこの子が目を覚ましてからじっくり考えるか」
ひとまずの解決策を見出した大地は、風呂に入り、最低限の寝る準備を済ませた。
部屋の電気を消すと、蛍光灯の小さな消灯音が響いた。
当然ながら、彼の布団は魔王の娘に完全に占拠されている。
大地は苦笑し、布団から少し離れた床に、タオルケットを敷いて横になった。
「それじゃあ、おやすみ、ラビリス」
彼は新しい家族のように、小さな声で少女に囁きかけ、非日常の始まりの夜を静かに受け入れた。
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