ローズ

 ローズは噴水広場へ続く道を歩きながら、素早く目を走らせた。

 あいつは駄目、あいつは金持ってなさそう、あいつは犬の臭いがする。


(いた…!)


 今日彼女のお眼鏡に適ったのは、身なりの良い金髪の青年だった。

 緊張感のない顔で噴水広場の入り口に立って、辺りを見回している。

 いかにも間抜けなお上りさんという風体だった。

 ふらついた足取りを装い、よろけた振りをしてその青年に倒れかかる。

 

「おっと、」

 

 反射的に少女の体を支えようと青年が腕を出した。

 目を付けた通り、柔らかく肌触りの良いシャツが頬に触れる。

 ひ弱そうな細い腕にもたれて、ローズは素早くその衣服を探った。


(嘘、コイツ何も持ってない……!)


 財布が無くともハンカチ1枚、ペンの1本でもこの街では金になる。

 だが、目の前の男は本当に何も持っていなかった。

 空振りだ。

 舌打ちを堪えて歪んだ顔を繕う。

 

「大丈夫かい?お嬢さん」

「ごめんなさい、躓いてしまって。もう、大丈夫です」

 

 さっと身体を離し、そそくさと背を向ける。

 早く次の獲物を探さないと、飯抜きになってしまう。

 

「ああ、ちょっと待って」

 

 思いがけず強い力で、手首を掴まれた。

 

(まさか掏摸すりがバレた!?)

 

 だがこの男からは何も取っていない。

 警備兵に顔が知られていても、証拠がない以上、先に相手を悪者にするのが上策だった。


人攫ひとさらっ……ぁむ…!?」


 叫ぼうと開いた口に小さなスプーンが突っ込まれた。

冷たい。

 スプーンに乗っていた何かは口の中で甘く溶けて消える。

 久しく口にしていなかった甘味に脳が痺れる。

 

「もっといる?」

 

 どんな魔法か、何も持っていなかった筈の男の手にもう一本スプーンが現れていた。その先に、ピンク色の物が微かな煙を上げている。

 ローズは差し出されたスプーンをひったくった。

 口に入れようとして、寸前で思い留まった。

 スプーンを握ったまま、走り出す。

 途中でこれは掏摸どころかかっぱらいだと気付いたが、今更構わなかった。




「リオン!」


 息を切らせてローズが飛び込んだのは小さな木造の一軒家。

 長い間補修されていない、隙間風の入る部屋に小さな少年が寝ていた。

 

「お姉ちゃん……」

「リオン、これっ、これ食べてごらん!」

 

 ところが、差し出したスプーンに乗っていた物はおおかたの形をなくし、どろどろの液体に変わっていた。

 

(さっきはスプーンに山盛りだったのに……!)

 

 驚いたローズの前で、リオンはその液体の乗ったスプーンを口にした。

 

「お姉ちゃん、これ何!?美味しい!」

「えっ、違くて、さっきのはもっと、本当は……」


 ついさっき初めて口にした物を、上手く説明出来ずに困っていると、勝手に表のドアが開く音がした。


「いやぁ、君、足が速いねぇ。探すの大変だったよ」

「……お前は何もしてない」


 さっきのひょろい金髪、ともう1人。がっしりした黒い髪の男。

 警備兵かもしれない。

 嫌な汗が背中を伝った気がした。


「……スプーンは、返すから、」


 せめて弟の前で捕まるのは避けたい。

 思い詰めた目でスプーンを2本差し出したローズを見て、金髪が目を瞬いた。

 

「ああ、違う違う!さっきのは味見用だからね、本物を届けに来たんだよ。ほらほら、見て!」


 男達が玄関の外に体をずらすと、見た事のない形の大きな荷車が家の前に横付けられていた。

 幌馬車の荷台の様な大きな箱が載っているが、ほろではない光沢がある。

 金髪か呑気に腕を広げて見せた。

 

「鴉のマークのアイスクリーム屋さんへようこそー。」

「あれがアイスクリーム……」

 

 名前だけは聞いた事があった。

 貴重な氷を利用したその食べ物はとても高価だということも。


「……こんな所まで来ても、買えないよ」

「大丈夫大丈夫。僕らお金はいらないから」


 そんな店がある訳ない。

 もしかして、本当にタチの悪い人攫いなのかもしれない。

 荷車の天井から布で出来たひさしが出ていて、その奥から軽やかな足取りで金髪が荷車に入っていく。

 大きな出窓から身を乗り出し、丸い変なスコップを振って見せた。

 

「君、名前は?」

「……ローズ」

「良い名前だね」


 そして、荷車を見上げるローズの頭上から紙で出来たカップを差し出す。

 先程よりも濃いピンク色の『アイスクリーム』が丸く盛られていた。


「カラス、これも」

 

 カラスと呼ばれた黒髪が、ローズの脇からもうひとつ同じ色のカップを受け取っていく。


「邪魔するぞ」

「えっ、あっ……!」

 

 振り向けばベッドのリオンにアイスクリームを差し出している。

 

「冷たいから、ゆっくり食えよ」

 

 不安そうだったリオンが、添えられたスプーンが先程姉が持ち帰った物と同じなのを確認して、頬を染めていく。


「大丈夫だよ。これは、魔法のアイスだからね。食べたらきっと、良いことが起きるよ」

 

 ままよ。

 ここまで来たら彼らが悪人だろうがもう手遅れだ。

 ローズはリオンの傍らに駆け戻った。


「リオン!食べよう!」


 リオンは嬉しそうに頷いた。

 口に入れたアイスクリームは、冷たく甘く、花の香りがした。

 



 ローズは今まで冷たい食べ物に美味しい物はないと思っていた。

 パンでもソーセージでも、冷たい物は硬く脂っぽく、嫌な臭いがする。

 それなのに、世の中にこんなに美味しい冷たい物があるなんて。

 金髪の繰り返す「大丈夫」が急に胸に迫った。

 

 (何も大丈夫じゃない)


 両親が事故で死んで2人きりになったローズとリオンを誰も助けてくれなかった。

 神父様の勧めで両親の葬式を出したら、僅かな貯えは殆ど無くなってしまった。

 真っ当な職を求めても、子どもは雇えないと言われた。

 リオンは体が弱くてすぐに熱を出し、困窮していた2人は医者にも薬屋にも匙を投げられた。

 今だって、得体の知れない2人組に目を付けられて、ご馳走を餌に、2人で売られてしまうかも知れない。


「お姉ちゃん、美味しいね。僕初めて食べた」

 

 でも、ずっと塞いだ顔をしていたリオンが笑っている。

 

「そうだね」

 

 涙が出そうになって、慌ててアイスを口に入れた。

 あまりに冷たくて、上顎が鈍く痛む。

 

「掏摸なんか止めて、普通に働いた方が良いんじゃないかな」


 ローズとリオンを眺めながら、不意に金髪が言った。

 

(やっぱり、バレてた……!)

 

 飛び上がりかけたのを鼻をすすって誤魔化す。

 

「……でも、働くには若すぎるって」

「服やシーツはどうしてる」


 黒髪のカラスが室内を見回して言った。

 

「自分で直してる」


 両親が遺した服は大きすぎた。

 器用だった母に習っていたローズが、できる限り縫縮め、あるいは一から切り出して2人の身体に合わせていた。

 

「わぁ、凄いね!僕らのもお願いしたいや!」

「真面目に話せ」


 手を叩いた金髪をカラスが睨みつける。


「ローズは器用で度胸がある。『いつもの生業』の隙間に内職でも取ってみたらどうだ」

「こんなの、誰でもできるよ」

「そんなことないよ、僕はできないもん」

 

 リオンが自分のことでもないのに、誇らしげに胸を張る。


「そうそう、僕もカラスも出来ないよ」

「今のところ必要ないからだ」

「ねっ、だからさ、大丈夫だよ。ローズ」

 

 金髪が上手なウィンクをして見せた。


「なんてったって、魔法のアイスを食べたんだから。やってみたら、なんでも上手くいくよ」

「……うん」


 少しだけ、やってみようと思った。

 ローズが頬を緩ませると、金髪が嬉しそうに指をさした。

 

「ああ!それだよ、それそれ!その顔が見たかったんだ……!」

「えっ!?」


 思わず頬を抑えると跳ねる様に金髪が立ち上がった。

 室内を飛び出していく彼に続いて、カラスがゆっくり立ち上がる。

 なんとなく、ローズも後を追った。

 


「もう行くのか、王子」

「王子!?」


 カラスの呼びかけにローズは仰天した。

 金髪はバタバタと荷車の庇を畳み、垂れ幕を片付けている。


「お代は頂いたからね」


 作業をしながら、振り向かずに金髪が答える。

 この国の王子ではない。

 会ったことはないが、新聞の切れ端で姿絵を見たことがある。

 だが王子と呼ばれる人ならば、高価なアイスクリームを惜しげもなく振る舞う気まぐれも頷ける。


(人攫いじゃなかったんだ……)


 もう今更不敬だとか言われることもないと思うが、その気付きを言葉にするのは控えた。

 御者台だろうか、荷車の前方にある箱に乗り込んだ2人に、ローズは駆け寄った。

 

「あの、王子様……、ありがとうございました。」

「さまはいらないよ。ただの名前なんだ。僕はプリンス。こっちはお供のカラス」

「お供じゃない」

「はいはい。……ローズ、リオン、元気で。幸せになってね」


 キュキュ、という金属が擦れるような音が荷車から響いた。その後に続けて聞いたことのないブーンという低い音。

 荷車が動き出す。

 プリンスは笑顔で手を振った。

 その向こうのカラスは顔は前を向いたまま、一瞬目線を寄越した。


 (速い……)


 荷車はあっという間に遠ざかって行った。瞬きの間にその後ろ姿は見えなくなる。

 夢でも見ていたのかと頬をつねっていると、小さな声が聞こえた。

 

「……お姉ちゃん?」

「リオン、そんな薄着で出てきちゃ駄目よ!」


 すぐに風邪を引く弟が、ベッドにいた格好のままドアから覗いている。


「大丈夫だよ。なんだか、アイスを食べたら元気になったみたい」

「そんな訳ないでしょ」


 リオンの大丈夫が、プリンスの大丈夫と重なって聞こえた気がする。

 そんな訳がないと言いながらも、ローズの胸に僅かな希望の蕾が上がっていた。


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