神様の着せ替え(ドレス・コード)~潰れかけの神社を、推し活デザインで救います~

ソコニ

第1話 その願い、可愛くなければ届かない


1

「あなたのセンスは、三年早い」

人事部長はそう言って、私の作ったカラーパレットを、まるでゴミでも見るような目で眺めた。

二〇二六年三月。東京のデザイン会社で、私は四度目の不採用を告げられた。

「今の市場が求めているのは、もっと分かりやすい可愛さなんですよ。あなたの提案した #D4E4F7 なんて、誰が見ても『ただの水色』じゃないですか」

ただの水色——。

私の喉の奥で、何かが燃えた。

あれは「ただの水色」じゃない。正確には、朝の5時23分、雨上がりの空が見せる、一瞬だけの透明感を持った色だ。光の屈折率まで計算して選んだ、完璧な #D4E4F7。それを「ただの水色」と切り捨てた瞬間、私はこの会社で働く未来を諦めた。

エレベーターの扉が閉まる。鏡に映る自分の顔は、疲れ切っていた。

春野ハル、24歳。美大の色彩学科を首席で卒業。だけど社会は、私の「正確すぎる色彩感覚」を必要としていない。

スマホが震えた。兄からの着信。

『ハル、頼む。もう限界なんだ』


2

勿忘(わすれな)神社——。

祖父が遺したこの神社の名前を、私は正直、好きではなかった。

「私を忘れないで」なんて、あまりにも寂しすぎる。まるで、誰にも覚えてもらえない存在の悲鳴みたいだ。

そして実際、この神社は忘れ去られていた。

東京から電車を乗り継いで三時間。最寄り駅からバスでさらに四十分。山間の集落にある、参道の石段は苔むし、鳥居の朱色は完全に剥げ落ちている。

「ハル...」

兄の声が震えていた。

春野蒼太、28歳。元SE。祖父の遺言で、半年前に急遽この神社の宮司になった。白い狩衣は安物で、袖口がほつれている。

「もう、持たない。今月の電気代も払えてないんだ」

社務所の中は、想像以上に悲惨だった。

畳は湿気でふやけ、壁には雨漏りの染み。棚には誰も買わない古臭いお守りが、ビニール袋に入ったまま積まれている。

私はその中の一つを手に取った。

赤い巾着袋。中には紙のお札。表には「家内安全」と筆で書かれている。

その瞬間——私には、見えた。

薄暗い袋の中で、小さな光が震えている。

まるで、ボロボロの布に包まれて、息も絶え絶えに泣いている何かが——。

「...ねえ、蒼太」

私は兄を見た。

「この神社の神様って、ちゃんといるの?」

「は? 何言ってんだよ、いるに決まって...」

「いるなら、なんでこんなひどい扱いしてるの」

私は、その赤い巾着袋を握りしめた。

この袋は、神様にとって「服」だ。

人間だって、ボロボロの服を着せられたら悲しいはずだ。まして神様なら——人々の願いを一身に受けて、それでもこんな安っぽい袋に閉じ込められて、棚の奥で埃を被っている。

「神様だって、可愛い服を着たいはずでしょう」

兄は呆気に取られていた。

「お前...何を——」

「一ヶ月だけ、時間ちょうだい」

私は立ち上がった。

「それで結果が出なかったら、この神社、諦めよう」


3

三日後。

私は、神社の境内で途方に暮れていた。

スマホで検索した「神社 集客」のページには、「SNS映えする御朱印」「パワースポット化」「縁結びイベント」...どれもこの寂れた神社では無理な提案ばかり。

そもそも、人が来ない。

今日の参拝者は、朝にお年寄りが一人来ただけ。賽銭箱には十円玉が三枚。

「...無理、だよね」

諦めかけたその時だった。

「うわああああああん!」

境内の隅、枯れかけた桜の木の下で、小さな女の子が泣いていた。

小学校低学年くらい。ランドセルを背負ったまま、しゃくり上げている。

「あの、大丈夫...?」

近づくと、女の子は顔を上げた。目は真っ赤に腫れている。

「お、お姉ちゃん...この神社の人...?」

「まあ、そんなところ」

女の子は、震える手でランドセルの中から何かを取り出した。

ボロボロの、青い巾着袋のお守り。

「これ...おばあちゃんがくれたの。『学校で困ったことがあったら、これが守ってくれる』って...」

「それで?」

「でも、クラスの子に『何それ、ダサい』『呪いの袋じゃん』って笑われて...」

女の子はまた泣き出した。

私の中で、何かが音を立てて割れた。

「...呪いの袋、ね」

私は、その青い巾着袋を受け取った。

確かに、古臭い。デザインも何もない。ただの安物の布袋。

でも——中を覗くと、やっぱり見える。

小さな光が、懸命に輝いている。

この子を守ろうと、必死に。

そして、その光は——怯えていた。

「ダサい」と言われたことが、悲しくて。

「...ごめんね」

私は、その光に向かって小さく呟いた。

「今から、あなたに似合う服を作ってあげる」

光が、少しだけ強くなった気がした。

「ちょっと待ってて」

私は社務所に駆け込んだ。


4

物置の奥を漁る。

美大時代に買い込んだ、使いかけの画材たち。レジン液、透明アクリル板、白いレース生地、金色の刺繍糸——。

そして、祖父が遺した、古い木箱。

中には、手書きの御札がぎっしりと入っていた。

一枚を手に取る。和紙に墨で書かれた、達筆な祝詞。

「これを...中心に...」

手が動き始めた。

まず、透明アクリル板を薄く切る。2ミリの厚さ、8センチ四方。

そこに、祖父の御札を慎重に載せる。

その上から、さらに透明アクリルで挟み込む。完全密封。

「中身を、見せる」

これが、最初のコンセプトだ。

神様は、隠れたくない。ちゃんと、あなたを見てるよって、伝えたい。

次に、白いレース生地を選ぶ。

花柄の細かいレース。でも、透け感が強すぎる。

もう一枚、幾何学模様のレースを重ねる。

二層、三層——。

光に透かしながら、重ね方を調整していく。

透明アクリルの中の御札が、レースの隙間から、ちらちらと見える。

完全には見えない。でも、確実に「そこにいる」ことが分かる。

「...そうだ」

私は、さらにアイデアを思いついた。

透明アクリルの内側に、ほんの少しだけ空間を作る。

1ミリの隙間。

「ここに...好きなものを入れられるようにしよう」

推しの写真。ライブの銀テープ。お守りの文字。

中の御札と一緒に、自分だけの「願い」を封じ込められる。

これは、ただのお守りじゃない。

**「願いを入れるホルダー」**だ。

最後に、金色の刺繍糸で縁取りをして——。

完成。

手のひらに載せた瞬間、私は息を呑んだ。

透明アクリルの中で、御札が輝いている。

白いレースが、まるでウェディングドレスのように、柔らかく御札を包んでいる。

そして——。

光が、跳ねた。

お守りの中の、小さな光が、まるで喜んでいるように、強く、明るく輝いた。

「...嬉しい、の?」

光は答えない。

でも、確実に——さっきより、自信を持って輝いている気がした。


5

「...わあ...」

女の子に、新しいお守りを手渡した瞬間、彼女の目が見開かれた。

「これ...綺麗...」

光に透かすと、中の文字が透けて見える。

でも、レースの繊細な模様が文字を優しく包み込んで、まるで「神様が本当に服を着ている」ように見えた。

「中身が見えるんだね」

「うん。だって、神様は隠れたくないと思うの。ちゃんと、あなたのこと見ててくれてるよって、分かるでしょ?」

「それに、ほら」

私は、お守りの端を指差した。

「ここに、ちょっとだけ隙間があるの。もし、あなたが大切にしてる写真とか、好きなキャラクターのシールとかあったら、ここに一緒に入れられるよ」

女の子の目が、さらに輝いた。

「本当? じゃあ...私の好きなアイドルの写真...」

「うん。神様と一緒に、あなたの『好き』も守ってもらえるの」

女の子は、そのお守りをそっと胸に抱いた。

「...ありがとう、お姉ちゃん。これ...大事にする」

ランドセルに、新しいお守りをつけて、女の子は帰っていった。

私は、その小さな背中を見送りながら、ふと思った。

——もしかしたら、これが答えなのかもしれない。


6

翌朝、午前六時。

私のスマホが、狂ったように鳴り続けた。

SNSの通知が、止まらない。

『#勿忘神社 #透明お守り #これどこで買えるの』

何が起きているのか分からないまま、Xを開く。

そして、目を疑った。

昨日の女の子が、新しいお守りをランドセルにつけた写真が——三万リツイート、二十万いいね。

コメント欄が、爆発していた。

『これ、マジでどこの神社?』

『透明なのに神聖な感じがやばい』

『中身が見えるお守りとか、初めて見た』

『レースの重なり方が天才的』

『私の推し色(ピンク)と絶対合う!!!』

推し...色?

さらにスクロールすると、決定打があった。

『待って、これ中に推しの写真入れられるらしい!?』

『マジで!? ライブの銀テープと一緒に祈願できるってこと!?』

『神様と推しが同じ場所にいるとか、尊すぎる』

『これは...推し活の最終進化...』

気づいたら、私は社務所を飛び出していた。

参道の石段を駆け上がる。

そして——。

「...嘘、でしょ」

神社の鳥居の前に、行列ができていた。

若い女性、カップル、外国人観光客。みんな、スマホを片手に、興奮した表情で。

「ここですよね、透明お守りの神社!」

「私、青が欲しいんです! 推しのメンバーカラーで!」

「インスタに載せていいですか?」

兄が、白い狩衣を着て、完全にパニックになっていた。

「ハル...お前、何をした...?」

私は、深呼吸をした。

「...蒼太。材料、全部出して。それと、値段決めるよ」

「値段? いくらに...」

「三千円」

兄が目を剥いた。

「高すぎるだろ! 普通のお守りは五百円から千円だぞ!」

「これは『普通』じゃないから」

私は、行列の先頭にいる女性を見た。

彼女は、スマホの画面を見せてくれた。推しのアイドルの写真。ピンクの髪。

「このピンクに合わせて、作ってもらえますか?」

「分かった。十五分待って」


7

臨時で作った「お守り制作ブース」で、私は次々と注文を捌いていった。

一人一人、丁寧にヒアリングする。

「どんな色が好き?」

「誰を応援してるの?」

「今、一番大切にしてるものは?」

そして、その人だけのお守りを作る。

透明アクリルの厚さ、レースの重ね方、刺繍の色。

全て、その人に合わせて調整する。

「はい、できた」

ピンクのレースを三層重ねた、華やかなお守り。

女性は、それを受け取った瞬間、息を呑んだ。

「...完璧」

彼女は、迷わず財布から三千円を出した。

「安くないですよ?」

「安いくらいです。こんなの、他にないもん」

彼女は、早速推しの写真を、お守りの隙間に滑り込ませた。

透明アクリルの中で、御札と推しの写真が、重なって見える。

「...あ」

彼女の目に、涙が浮かんだ。

「神様と推しが、一緒にいる...」

彼女は、そのお守りを胸に抱きしめて、幸せそうに笑った。

そして、私には見えた。

お守りの中の光が——さっきよりも、ずっと強く輝いている。

まるで、「ありがとう」と言っているように。


8

午後三時。

賽銭箱は、溢れんばかりの小銭と札で満たされていた。

私は汗だくになりながら、最後の客にお守りを渡した。

「ありがとうございました」

客が帰っていく。

境内には、静寂が戻った。

兄は、放心状態で売上を数えていた。

「...四十個、売れた」

「三千円×四十個...」

「十二万円...」

一日で。

「ハル、これ、本物なのか...?」

「本物よ」

私は、最後に残った一つのお守りを手に取った。

試作品。誰にも渡さなかった、最初の「透明×レース」。

光に透かすと、中の御札の文字が、金色に輝いて見える。

——勿忘。

私を忘れないで。

そして、お守りの中の光が——さっきまでとは、明らかに違った。

小さく、か細かった光が、今はしっかりと、自信を持って輝いている。

まるで、「これでいいんだ」「私も、可愛くなれたんだ」と言っているように。

「神様は、ずっと叫んでたんだよ」

私は呟いた。

「『もっと可愛い服を着せて』『もっと私を見て』って」

「そして今、やっと——自分に自信を持てたんだ」

兄は、何も言わなかった。

ただ、夕焼けに染まる境内を、じっと見つめていた。


9

その夜。

私は一人、社務所で今後の計画を練っていた。

明日からも客は来るだろう。でも、これは一時的なブームかもしれない。

継続的に、この神社を「選ばれる場所」にするには——。

スマホが震えた。

知らない番号からのメール。

件名:『ご提案』

『拝啓 勿忘神社 春野ハル様

私は、東京・銀座の「光明(こうみょう)神社」の総代を務めております、橘と申します。

貴神社の「透明お守り」、SNSで拝見しました。

大変興味深い取り組みですね。

是非一度、お話をさせていただけないでしょうか。

私どもは、全国の神社をネットワーク化し、「神社2.0」とも呼べる新しいプラットフォームを構築しております。

貴神社のような革新的な取り組みこそ、我々が求めていたものです。

ご連絡、お待ちしております』

光明神社——。

聞いたことがある。東京の一等地にある、IT企業が運営する巨大神社。AIによる自動祈祷、NFTのお守り、メタバース参拝...。

私は、そのメールを閉じた。

そして、ふと窓の外を見た。

鳥居の前に、人影が一つ。

老人だった。

長い白髪、深い皺。そして——その目は、私をまっすぐ見ていた。

老人は、今日私が作ったお守りを、一つ手に持っていた。

そして、小さく呟いた。

「...神を、弄ぶか」

心臓が、凍りついた。

でも——お守りの中の光は、消えていなかった。

むしろ、さっきよりも強く、まっすぐに輝いていた。

まるで、「私は、ここにいる」と主張しているように。

老人は、そのまま夜の闇に消えた。

私は、震える手で、自分の試作品のお守りを握りしめた。

中の光が、優しく輝いている。

「...大丈夫。私、あなたを可愛くしてあげる」

「何を言われても」

光が、少しだけ強くなった。

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