Ep.2 バズ・トキシック(Viral/Toxic)

 翌朝、世界は「汚物」で覆われていた。


 新東京特区、第7層(エア・ポケット)。

 スラム街の朝は、ドブ川から昇る有毒な霧と、絶え間ない工事の振動音で始まる。

 だが、今朝は違った。

 路地裏の大型ビジョン、通行人の網膜投影ディスプレイ、店先のモニター、ゴミ捨て場に転がったタブレットのひび割れた画面。

 視界に入るあらゆる発光体(ピクセル)が、同じ映像を繰り返し垂れ流していたからだ。

 極彩色のAR広告とノイズが混じり合い、スラムの朝を毒々しく彩っている。


『……返品だ』


 ザラついた低解像度の映像。

 薄汚れた作業服の男が、C級アイドル『マジカル・チェリー』と同じ構図で、しかし絶望的に醜悪な「ドス黒いビーム」を放つ瞬間が、スローモーションとリピート再生で執拗に繰り返されている。

 魔力で編まれたピンク色の閃光が、汚泥のビームに一方的に食い破られ、飲み込まれていく様は、ある種のアートのように背徳的だ。

 可憐なステッキが、強酸性の汚泥を浴びて無残に溶け落ちる様が、強調されて大音量で響く。


 男の淡々とした声。

 そして、呆然とする魔法少女の足元に、書き殴ったメタのような紙切れ——請求書を投げ捨てる姿。


『……強酸性だ。触るなよ』


 その映像を見る人々の反応は、恐怖ではない。「嘲笑」だ。

 通勤ラッシュの地下鉄連絡通路。死んだ魚のような目をした労働者たちが、一斉に足を止め、ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべてスクリーンを見上げている。


『緊急速報です。昨夜未明、第7層のC地区にて、清掃作業員の男がC級英雄に対し、詳細不明の黒色光線を放出する事案が発生しました』


 ニュースキャスターの女が、完璧なメイクを施した顔で淡々と読み上げる。

 テロップには『魔法少女を完全コピー!? 謎の清掃員、現る』の文字。

 ネット上にはさらに過激な見出しが躍っていた。

 『変質者、魔法少女を襲撃(しかも説教付き)』

 『模倣おじさん、爆誕』

 『公式より火力が高い不法投棄www』


 男はフードを目深に被り、その騒ぎの横を通り抜ける。

 他人の事のようだ。


「……ッ、ご……ガァッ……ゥ……」


 咳と共に、黒い血塊がアスファルトに落ちる。

 昨夜の「掃除」の代償だ。

 体内の絶縁体が焼き切れかかっている。全身の血管に、沸騰した鉛が流れているような鈍重な熱さがあった。

 呼吸をするたびに、肺胞がチリチリと焼けるような異音が喉の奥で鳴る。


「……最悪だ」


 俺は呻いた。

 物理的なダメージだけではない。

 動画サイトのコメント欄が、脳裏に焼き付いて離れない。

 『キモい』『臭そう』『死ね』

 10年前と同じだ。

 俺がただ「存在している」だけで、世界中から拒絶される感覚。

 身バレしたら、今の職場も終わりだ。再就職なんてできるわけがない。


 現場事務所の前まで戻ると、周囲の空気が張り詰めているのを感じた。

 いつもなら賭けマージャンの話で盛り上がっている作業員たちが、今日は沈黙のまま、互いの端末を覗き込んでいる。

 その中心に、現場監督がいた。


「……監督」

 俺が声をかけただけで、彼は喉の奥で空気が潰れたような悲鳴を上げて飛び退いた。

 背後のコンテナに背中を打ち付け、小太りの体が震える。

 その視線は、俺の顔と、手元の端末の映像を忙しなく往復している。

 バレたか。

 あの不鮮明な映像の「模倣おじさん(コピーキャット)」が、自分だということに。


 いや、違う。


 監督が震える手で、俺に向けて除菌スプレーを噴射した。

 圧縮ガスが噴き出す鋭い音と共に、微細なミストが拡散し、人工的なアルコールの刺激臭が鼻をつく。

 彼は俺の「正体」に怯えているのではない。俺が纏う「死臭」に怯えているのだ。

 昨晩の過剰摂取(オーバードーズ)。

 許容限界を超えて溜め込んだ汚染泥が、俺の毛穴という毛穴から腐敗臭となって漏れ出している。今の俺は、歩く生ゴミそのものだ。


「……昨日の現場で、被曝しました。早退(あが)ります」

「あ、あぁ……そうか、いや、もういい! 来るな! クビだ!」


 監督は懐から財布を取り出すと、指先が汚れることすら嫌うように、数枚の紙幣を地面に投げ捨てた。

 力なく風に舞った紙幣が、昨日誰かが吐いたゲロ混じりの水たまりに落ちる。


「治療費だ! 手切れ金だ! 二度と俺の現場に来るんじゃねぇ!」

「……どうも」


 俺は無言で膝を突き、泥水に濡れた紙幣を拾い上げた。

 屈辱? そんな高級な感情はとうに捨てた。

 この金があれば、抑制剤が買える。次の復讐の弾薬(コスト)になる。それだけが重要だ。


 俺は濡れた札をポケットにねじ込み、逃げるように事務所を後にした。

 背後で、監督がさらに激しく除菌スプレーを撒き散らす音が聞こえた。


          *


 地下鉄大江戸線、旧第14坑道。

 地図から抹消された、廃棄路線の奥深く。

 腐った水の滴る音と、巨大化したネズミの足音だけが支配する闇の中を、俺は進む。


 頭を抱えたくなるような状況だ。

 職を失った。体はボロボロだ。おまけにネットのおもちゃにされている。

 社会的なステータスは、マイナスを通り越してエラー表示が出ているだろう。


 だが、不思議と後悔はなかった。

 あの時、チェリーのステッキが溶け落ちる瞬間の、あの間抜けな顔。

 自分の「正義」が物理的に溶かされた時の、あの絶望的な表情。

 ざまぁみろ。

 胸の奥で、どす黒い快感が小さく燻っている。これだけが、今の俺を動かす燃料だ。


 突き当たりの壁。

 瓦礫の隙間に隠された生体認証パネルに、血の滲んだ手を押し付ける。

 『承認』の無機質な音声と共に、壁が重々しくスライドし、圧縮空気が抜ける鈍い音が響いた。


 壁のロックが解除され、圧縮空気が抜ける鈍い音と共に扉が開く。


 鼻をつくのは、カビ臭い地下の空気とは対照的な、鋭い薬品の匂い。

 そして、冷却ファンの回る低周波音。

 元医者、クリス・アイゼンの研究所(ラボ)。


「……遅い」


 部屋の中央、診察台代わりのパイプ椅子に座った白衣の女が、不機嫌そうに呟いた。

 手にはタブレット。画面には例の『生ゴミ動画』が映っている。

 ボサボサの金髪、病的なまでに白い肌、そして目の下の濃厚な隈。

 彼女は俺の姿を見ると、つまらなそうにするどころか、目を輝かせた。


 クリスは椅子から立ち上がり、興奮した様子で俺に詰め寄った。


「バズってるわよ、おじさん。トレンド1位おめでとう」

「……最悪だ」

「何言ってるの? これはいけるわよ!」


「見なさい、この再生数。たった一晩で300万再生よ。コメント欄の熱量(エンゲージメント)も最高記録」


 彼女はモニターを指差し、恍惚とした表情で呟く。

 その瞳孔は薬をキメたように開いている。マッドサイエンティストであり、同時に狂信的な「数字の信徒」である彼女のスイッチが入っている証拠だ。


「みんな飽き飽きしてるのよ、綺麗事ばかり並べる英雄たちに。求めているのはこういう『劇薬』……安全圏から見下ろせる、薄汚いリアリティショーよ」

「……俺は晒し者になっただけだ。再就職も絶望的だぞ」

「就職? バカね、もっと効率的(スマート)な集金モデルがあるじゃない」


 彼女はニヤリと笑うと、棚から太い穿刺針(カニューレ)と、空のシリンダーを取り出した。

 注射器ではない。工業用の吸引ポンプに繋がれた、魔力抽出装置だ。

 その先端は鋭く尖り、見るだけで幻痛が走るほど凶悪な形状をしている。


「まずは、その汚い体の中身(ナカミ)を全部出しなさい。メンテナンスよ。次の撮影のためにね」


 有無を言わせぬ迫力に、俺は舌打ちしながら震える手で作業着のジッパーを下ろした。

 露わになった上半身は、血管に沿って黒い稲妻のようなあざが走り、今にも破裂しそうに脈打っている。

 クリスが冷たい手で俺の首筋に触れる。ゴム手袋の感触。

 彼女は慣れた手つきで頸動脈の上の「ポート(魔力孔)」を探り当てると、アルコール綿で雑に拭った。


「行くわよ」


 ためらいも、慈悲もない。

 事務的な一刺し。


 クリスは俺の反応を待たず、太い針を皮膚の抵抗ごと強引に押し込んだ。


「ガッ……ギィイイイッ!!」


 声にならない絶叫。喉が張り裂けるような、「音」にならない絶叫が漏れる。

 それは単なる身体的な痛みではない。脊髄を直接、錆びたワイヤーブラシで擦り上げられるような不快感。

 魂の在り処を無理やりこじ開けられ、掃除機で中身を吸い出されるような喪失感。


「……いい声(テイク)。今の波形、サンプリングして通知音に使えそうね」


 薄れゆく意識の端で、クリスの楽しげな声が聞こえた。

 ポンプが重低音を響かせ、駆動し始める。

 透明なチューブの中を、どす黒い液体が勢いよく駆け巡っていく。


 視界がホワイトアウトする。

 意識が飛び、過去の記憶がフラッシュバックする。


「……ハッ、ハァ……ッ」


 どれほどの時間が経っただろうか。

 ポンプの音が止まり、俺は汗と泥にまみれて床に倒れていた。

 鉛のような熱さは消え、代わりに空洞のような虚無感だけが残っている。


「……上出来」


 クリスは満タンになったシリンダーを照明にかざしていた。

 黒い液体の中で、粒子が舞っている。

 

「驚いたわ。この泥……完全に『プリズム・ハート・フラッシュ』の構造式をコピーしてるじゃない。しかもオリジナルより出力が高いなんて」


 彼女は愛おしそうにシリンダーを頬ずりし、部屋の奥にある巨大な培養槽へと歩み寄った。

 淡いピンクの液体のなかで、少女の形をした「肉塊」——リズが静かに浮いている。


「……俺のは、どうだ」


 俺は呼吸を整えながら、問いかけた。

 クリスが振り返り、別の小さなアンプルを放り投げてきた。

 紫色の液体。抑制剤(サプレッサー)だ。


「一日一本。これが報酬(ギャラ)よ」


 俺は震える手でアンプルを掴み、首筋に押し当てた。

 冷たい感覚が広がり、波立っていた神経が強制的に鎮火される。

 生き返る心地がした。


 俺はよろめきながら立ち上がった。

 ポケットの中で通信端末が震えた。

 クリスからではない。SNSの通知だ。

 

『B級英雄 道添 匡:興味深い。ここ最近、街が汚れていると思っていたところだ。掃除が必要だな』

 

 トレンドのタイムラインに流れてきた、その投稿。

 道添 匡。通称「不敗王」。

 爽やかな笑顔の裏で、地下闘技場を運営し、汚い金を稼いでいる男。

 だが、その裏の顔を知っているのは、その「汚い金」の処理をさせられていた俺たち清掃員だけだ。

 

「……そうか。お前も、掃除をご所望か」

 

 俺は歪んだ笑みを浮かべた。

 口の中の鉄錆の味が、今は心地いい。

 

「おい」

「なに? 次はどの現場にする?」

「ターゲットが決まった。……カメラを用意して、広告収入の何割かを俺に払う準備でもしておけ」


 俺は汚れた作業着の袖で口元を拭う。

 まだ終わっていない。いや、始まったばかりだ。

 俺と、お前たちの、泥仕合が。


 俺はスマホの画面をタップし、道添のアカウントに「いいね」を押した。

 それは宣戦布告の合図だった。

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30歳、童貞、魔法使い。 @tempman

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