第8話:欠けたピースの埋め合わせ
学院の裏手にある、苔むした古い修練場。 夕暮れの光が、空の果ての雲海を燃えるような茜色に染め上げていた。 ひんやりとした風が吹き抜ける中、私とカイルは、ただ二人きりで向き合っていた。
「いいか、リアナ。魔力を『塊』で捉えるのをやめろ。それはお前の臓器じゃない。お前という回路を駆け巡る、川の流れだ」
カイルの声は、夕闇の静寂に心地よく響いた。 彼に教えられながら、私はゆっくりと杖を構える。かつての「暴走」への恐怖で指先が凍りつきそうになるたび、カイルの温かな手が、私の背中や肩を叩いて現実に引き戻してくれた。
「川……。でも、私はいつも、全部出し切らないと怒られて……」
「それは『搾取』されていたからだ。自分の内側に溜める必要なんてない。吸い込み、巡らせ、放つ。お前はただの通り道になればいい。それなら、お前の心は削られない」
カイルの言葉に従い、私は目を閉じた。 呼吸を深く。肺に冷たい空気を取り込み、血の巡りを感じる。 すると、不思議な感覚が訪れた。 これまで、魔力は「奪われるもの」か「爆発するもの」のどちらかだった。けれど今、私の中にある光は、指先から足先まで、優しく、けれど力強く循環している。
「……私の魔力は、誰かのための電池じゃない。私を動かすための、私自身の命だ」
呟いた瞬間、杖の先から柔らかな、けれど凛とした白い光が溢れ出した。 それは誰を傷つけることもなく、夕闇を優しく照らす境界の光。 私は初めて、自分の魔力を「美しい」と思った。
「……上出来だ。お前、筋がいいな」
カイルが少しだけ、満足そうに口角を上げた。 彼との訓練。そして、寮の食堂で他の仲間たち――家柄に押し潰されそうになっている者や、才能がないと捨てられた者たち――と交わす、他愛のない会話。 それらが、私の欠け落ちていた心のピースを、一つずつ埋めていく。
「カイル……一つ、聞いてもいい?」
私は杖を降ろし、夕陽に縁取られた彼の横顔を見つめた。 「どうして、騎士を辞めたの? あなたはこんなに強くて、正しい人なのに」
カイルの表情が、一瞬で消えた。 彼は遠く、雲の彼方を見つめるような瞳で、静かに口を開いた。
「正しくなんてない。……俺は、守るべきだった主君を死なせた。俺の『境界』が甘かったせいで、守るべき盾の隙間から、敵の刃を通したんだ」
カイルの声は、乾いた砂のように掠れていた。 「あの日から、俺は自分の腕を信じられなくなった。剣を捨てて、魔法という別の力に縋って……。結局、俺も逃げてきたんだ。お前と同じようにな」
それは、強く頼もしいカイルの、初めて見せる「傷口」だった。 私は、自分の胸の奥がキリリと痛むのを感じた。
「逃げたんじゃありません」
私は無意識に、カイルの煤けた手の甲に触れていた。 彼は驚いたように私を見た。
「私も、あなたも、生きるためにここに来たんです。……私が実家という地獄から逃げたのは、自分を殺さないためでした。カイルがここに来たのも、また誰かを守るための自分を、取り戻すためでしょう?」
「リアナ……」
「あなたは、私のスープを守ってくれた。私の心を、誰にも踏ませないようにしてくれた。……あなたはもう、立派な私の騎士です」
カイルは目を見開き、やがて視線を落として小さく笑った。 「……お前に励まされるとはな。お前は、俺が思っているよりずっと強い」
彼は私の手を、ぎゅっと握り返した。 その手は硬くて、節くれだっていて、けれど、かつての家族が持っていた冷淡な「支配」の熱とは正反対の、対等な「信頼」の熱があった。
「再生しよう、二人で」 カイルが、静かに、誓うように言った。 「お前は、誰にも侵されない自分だけの境界を引ける魔法使いに。俺は、その境界を外側から守り抜く盾に。……もう二度と、大切なものを奪わせない」
「はい。……約束です」
茜色の世界の中で、私たちは静かに指を絡めた。 欠けたピースは、自分一人では見つけられない。 誰かの温もりに触れて、初めて「ここに穴があったんだ」と気づき、そして、誰かの優しさでそこが埋まっていく。
私はもう、空っぽの器ではない。 私の内側には、温かなスープの記憶と、カイルがくれた勇気、そして、私自身が手に入れた「私」という名の魔力が、滔々と巡っている。
けれど、この穏やかな静寂を切り裂くように、学院の入り口の方から不穏な鳥の群れが飛び立つのが見えた。 境界線のすぐ外側まで、あの「呪縛」の足音が迫っていることを、まだ私たちは知らない。
【第8話 完】
次回予告:第9話「決別の境界線(アブソリュート・ライン)」 ついに学院の門を叩き割る公爵家の軍勢。 「リアナ、戻れ! お前は私の所有物だ!」 絶叫する父、そして依存と憎悪に狂うミシェルに対し、リアナが初めて真の魔法を展開する。 「これ以上、私の中に入ってこないで――」
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