第5話:震える魔力
学院の広大な演習場は、高いドーム状の天井に魔導回路が張り巡らされ、ひんやりとした規律の匂いが満ちていた。 整列した生徒たちの前には、一人一台の魔力測定器と、標準的な樫の木の杖が用意されている。
「今日の課題は基本中の基本だ。各自、杖に魔力を込め、先端に小さな灯火(ともしび)を灯せ。……リアナ・エリス、前へ」
担当教官の声に、私は心臓が跳ね上がるのを感じた。 昨日のスープの温もりも、カイルのぶっきらぼうな優しさも、一瞬で遠のいた。 「魔法を使う」。それは私にとって、祈りでも誇りでもなく、純然たる**「苦痛」**の同義語だったからだ。
震える手で杖を握る。 その硬い感触が、かつて首筋を締め上げていた『魔力循環の枷』の冷たさと重なった。
「……っ」
視界が歪む。 目の前の測定器が、実家の地下室にあった、あの呪わしい抽出機に見えてくる。
『もっと出せ、リアナ! ミシェルの光が弱まっているのが分からんのか!』 父の怒声が、鼓膜の奥で蘇る。 『お姉様、痛いなんて言わないで。私が皆を救うためには、お姉様の「全部」が必要なのよ?』 ミシェルの、無垢で残酷な笑顔。
「あ、は……っ、はあ……」
呼吸が浅くなる。 心臓の奥が、目に見えない手で握りつぶされるように痛んだ。 これまでは、私が魔力を練れば、それはすべて呪具に吸い取られ、私の外側へと消えていった。私の中に魔力を留めることは「罪」だった。出し渋れば、父の革鞭が飛び、母の冷ややかな蔑みが降ってきた。
「エリス? どうした、早くしろ」
教官の声が遠く聞こえる。キーンという高い耳鳴りが頭の中を支配した。 (出さなきゃ。全部、差し出さなきゃ。そうしないと、また叩かれる。またご飯を抜かれる――!)
私の内側で、行き場を失っていた膨大な魔力の奔流が、恐怖というトリガーによって暴発した。 それは「灯火」なんて可愛らしいものではなかった。
――ドォォォォォンッ!!
衝撃波が演習場を駆け抜けた。 私の杖の先から放たれたのは、光ですらない「密度の塊」だった。 目の前の魔力測定器が、まるで紙屑のようにひしゃげ、粉々に砕け散る。 それだけではない。私の周囲の空気が一瞬で吸い取られ、真空の絶望が教室を包み込んだ。
「な……っ!? 総員、防御障壁を展開しろ!!」
教官の叫び声が、真空の壁に遮られてこもって聞こえる。 周囲の生徒たちが吹き飛ばされ、窓ガラスが内側から弾け飛んだ。
「あ……ああ、あ…………っ!」
私は、自分の仕でかした惨状を見て、血の気が引いた。 破壊。混乱。誰かを傷つけたという事実。 それは実家において、最も厳しく罰せられる「失敗」だった。
「ごめんなさい……っ! ごめんなさい、お父様、お母様!」
私は杖を放り出し、その場に崩れ落ちた。 耳鳴りが止まらない。壊れた測定器の残骸が、私を責め立てる牙に見える。 私は両手で頭を抱え、床に額を擦りつけるようにして、ガタガタと震えながら叫んだ。
「わざとじゃないんです! 壊すつもりじゃなかった! だから、もう叩かないで……暗い部屋に閉じ込めないで……ご飯、ちゃんと食べますから、ごめんなさい……っ!!」
喉が裂けるような悲鳴。 それは、十七歳の少女が発するものではなく、長年檻に閉じ込められていた幼い獣の絶叫だった。
「……おい。リアナ」
不意に、肩を強く掴まれた。 びくりと体を跳ねさせ、私は顔を上げた。 そこには、砂埃に汚れながらも、真っ直ぐに私を見下ろすカイルの瞳があった。 彼は他の生徒たちとは違い、怯えることも、嘲笑うこともなく、ただ私の「震え」を止めようとしていた。
「教官……こいつ、体調が悪いみたいだ。医務室へ連れて行く」
カイルは教官の返事も待たず、半分失神しかけている私をひょいと抱え上げた。
「……壊した、私、また……」
「壊れてたのは、お前の方だ」
カイルの声は、硬く、けれどどこか怒りに似た悲しみが混ざっていた。 彼は私を抱えたまま、驚愕の渦中にある演習場を後にした。
腕の中から見えた天井の光が、やけに眩しかった。 魔力を出せば出すほど、私は消えてしまうと思っていた。 けれど、空っぽになったはずの私の胸の奥には、まだチリチリとした熱い痛みが残っていた。
それは、私を苦しめてきた毒ではなく、私が生きようとして叫んだ「命」そのものだったのかもしれない。
意識が遠のく中、カイルの胸板の温かさと、彼が踏みしめる石床の確かな振動だけが、私をこの世界に繋ぎ止めていた。
【第5話 完】
次回予告:第6話「届かない呪縛」 医務室で目覚めたリアナに届いたのは、実家からの身勝手な「請求書」のような手紙。 「ミシェルの調子が悪い、すぐに戻れ」 その文字を見ただけで呼吸を忘れるリアナ。しかし、カイルがその手紙を奪い、破り捨てる。
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