第2話:厄介払いの招待状
翌朝、書斎から響いた父の怒鳴り声が、屋敷の重苦しい空気をさらに凍りつかせた。
「……王立魔導学院だと? よりにもよって、あそこから届くとは!」
父の手には、真鍮の紋章が刻印された分厚い羊皮紙が握られていた。大陸で最も権威ある教育機関であり、国中の貴族が喉から手が出るほど欲しがる「一族に一枠」の入学招待状。本来なら祝杯を挙げるべき吉報だが、父の顔は苦虫を噛み潰したように歪んでいる。
「ミシェル、お前に行ってもらうことになる。我が家の格を上げるためだ」
その言葉に、食卓で甘いジャムを塗ったスコーンを頬張っていたミシェルが、露骨に顔を顰めた。
「嫌よ、お父様! 私、聞いたことがあるわ。あそこは『全寮制』で、卒業まで一歩も外に出られないんでしょう? ドレスの新調もできないし、お抱えのシェフも連れて行けないなんて……そんなの、ただの小綺麗な牢獄じゃない!」
「しかし、ミシェル。王家との繋がりを作るには……」
「絶対に嫌! 第一、あそこは『外部からの送金・送品』が一切禁止なのよ? お姉様から魔力を送ってもらえないじゃない。そんな不自由な場所で、私が聖女として美しくいられるわけないわ!」
ミシェルは銀のフォークをテーブルに叩きつけた。高い金属音が、私の耳を刺す。 部屋の隅に控えていた私は、呼吸を止めて成り行きを見守った。魔力の枯渇で指先が冷え切り、視界の端がチカチカと明滅している。
「送金禁止、外部接触の遮断……。ふむ、確かにそれでは、ミシェルの『聖女』としての活動に支障が出るな」
母のエレナが、困ったように顎に手を添えた。彼女にとっての懸念は、娘の教育よりも、自分たちの誇りである「天才聖女」のブランドが傷つくことだった。 沈黙が流れる。父の冷酷な視線が、部屋の隅で影のように立っている私を射抜いた。
「……リアナ。お前が行け」
心臓が、跳ねた。 あまりの衝撃に、声が出ない。父は汚らわしいものを見る目で私を指差した。
「この招待状を無下にするわけにはいかん。だが、ミシェルをそんな不便な場所へやるわけにもいかん。お前が『公爵家の娘』としてあそこへ入り、卒業まで大人しく隠れていろ。家の恥を晒さぬよう、誰とも関わらず、ただの石ころとして過ごすんだ」
「でも、お父様。リアナがいなくなったら、私の魔力はどうなるの?」
ミシェルが不満そうに私を睨む。その言葉は、私の存在が彼女の「外部バッテリー」でしかないことを残酷に物語っていた。
「心配いらん、ミシェル。入学までの数日間、限界までこいつから魔力を吸い出し、この最高級の蓄魔石に貯蔵しておこう。学院にいる間は、お前には家庭教師をつけ、別の『供給源』を探すまでの繋ぎにする」
「……あ、そう。ならいいわ。お姉様、せいぜい静かにしててね。あなたのせいで家の評判が落ちたら、私、絶対に許さないから」
ミシェルは興味を失ったように、またスコーンを食べ始めた。 私の意志など、最初から一文字も介在していない。けれど、絶望の影に隠れて、私の胸の奥で小さな、本当に小さな火が灯った。
全寮制。外部接触禁止。 それは私にとって、この「地獄の食卓」からの、合法的な逃走を意味していた。
「さあ、来い。まずは枷を外さねば、学院の結界に弾かれる」
父が立ち上がり、私に近づく。 その太い指が、私の首筋に何年も食い込んでいた黒い革のチョーカーに触れた。 カチリ、と小さな金属音がした。
その瞬間。
「あ……っ!」
衝撃が走った。 肺が、焼ける。 数年ぶりに「解放」された魔力が、堰を切ったように私の体内を駆け巡ったのだ。 吸い取られ続け、空っぽだと思っていた器の底に、わずかに残っていた私の熱。 それは細い糸のような熱量だったが、あまりに長い間奪われていたため、今の私には猛毒のような熱量に感じられた。
首筋を撫でた冷たい空気が、信じられないほど鮮やかに皮膚を刺激する。 枷に締め付けられていない「呼吸」が、こんなにも軽いなんて。
「おい、何を呆けている。さっさと荷物をまとめろ。持っていけるのは最低限の着替えだけだ。贅沢品は一切許さん」
「……はい、お父様」
私は頭を下げた。震える声が、喜びなのか恐怖なのか、自分でも判別できなかった。 部屋に戻り、すり切れた数枚の服を鞄に詰める。 窓から見える空は、相変わらずどんよりと曇っていた。けれど、首を絞めつけるあの「拍動」はもう聞こえない。
鏡の中の私は、幽霊のように青白く、痩せこけていた。 それでも、鎖を外された首筋には、赤黒い痣とともに、確かな「私の体温」が宿っていた。
「ここじゃない場所へ、行ける」
呟いた言葉は、誰にも聞こえないほど小さかった。 冷たい屋敷の廊下を歩く足取りが、ほんの少しだけ、地面を蹴る力を取り戻していた。 厄介払い。生贄。石ころ。 どんな呼び名でも構わない。私は、この色彩のない家から、初めて自分の境界線の外へと踏み出すのだ。
【第2話 完】
次回予告:第3話「三食昼寝付きの地獄?」 たどり着いたのは、霧に包まれた空の果ての学院。 怯えながら足を踏み入れたリアナを待っていたのは、厳しい修行……ではなく、信じられないほど「普通」で「温かい」生活の幕開けだった。
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