第1話:色彩のない食卓
窓の外では、冬の気配を孕んだ風が枯れ葉を転がしている。 けれど、この屋敷のダイニングルームに漂う寒々しさは、決して季節のせいではなかった。
カチャリ、と硬質な音が静寂を打つ。 「まあ、今日の鴨肉のコンフィ、最高だわ。シェフに褒美をあげなくちゃ」 そう言って、母・エレナがうっとりと目を細めた。その視線の先には、黄金色に焼き上がった肉料理と、芳醇なソースの香りを湛えた贅沢な皿がある。
対照的に、私の前にあるのは、木皿に載せられた一切れのパンの耳と、具のない白濁したスープ。それは食事というより、生命を維持するためだけに最低限与えられた、無機質な「燃料」のようだった。
「お姉様? どうして手をつけないの。そんなに暗い顔をして。せっかくの食卓が台無しだわ」
鈴を転がすような声で、妹のミシェルが首を傾げた。 その肌は、透き通るような白さと、内側から発光するような瑞々しさを湛えている。彼女が呼吸をするたび、私の首に嵌められた黒い革のチョーカー――呪具『魔力循環の枷』が、肉に食い込むように熱を帯びる。
「……ごめんなさい、ミシェル」 私は声を絞り出した。喉がひりつく。 私が息を吸うたび、心臓の奥にある魔力の源泉が、目に見えない針で刺されるように疼く。絞り出された魔力はチョーカーを通り、この部屋を満たす魔導回路を経て、すべてミシェルの「聖女の力」へと変換されていく。
私が痩せ細るほど、妹は美しく、神聖になっていく。
「お姉様がそうやって私に魔力を分けてくれるから、私は今日も教会で皆を救えるのよ。お姉様、本当はすごく嬉しいでしょう? 私の役に立てるなんて、名誉なことだもの」 ミシェルは本気でそう信じている顔で、にこりと微笑んだ。その瞳に悪意はない。あるのは、自分が世界の中心であり、姉は自分を輝かせるための背景に過ぎないという、強固で無垢な特権意識だ。
「そうよ、リアナ。そんな陰気な顔で座っていられると、ミシェルの聖なる力が濁ってしまうわ」 父が、ワイングラスを置かずに冷たく言い放つ。 「お前は魔力を溜め込む器として、この家に必要なだけだ。それ以外の価値を、この食卓に持ち込むな」
視界がじわりと歪む。 けれど、私は泣くことを自分に許さなかった。ここで涙を零せば、「ミシェルの気分を害した」という理由で、明日のパンすら取り上げられることを知っているから。
私は指先に力を込め、乾燥して岩のように固いパンの耳を掴んだ。 指先に伝わる不快な硬結。口に含むと、味のしない砂を噛んでいるような感覚が広がる。喉を通る時、刺さるような痛みが走り、私はそれを薄いスープで無理やり流し込んだ。
「……はい。光栄に、思っています」 嘘をつくたび、心の中に冷たい灰が積もっていく。
「ふふ、ならいいの。あ、そうだわお父様! 聖女の仕事って本当に疲れるの。来月のお茶会には、もっと強い魔力が欲しいわ。お姉様の『出力』、もう少し上げられないかしら?」 ミシェルが、まるでお菓子のトッピングをねだるような軽やかさで言った。
「そうだな。呪具のネジをもう一段、締めさせるとしよう」 「嬉しい! 大好きよ、お父様」
家族の団欒。 温かな暖炉の火。 美味しい料理の匂い。 そのすべてが、私の境界線の外側にある。
私はただ、自分の膝の上で震える手を、もう片方の手で強く押さえていた。 呪具が首を締め上げる。魔力が吸い出される。 意識が遠のく中、鼻腔につく鴨肉の脂の匂いが、たまらなく吐き気を誘った。
ここは私の家ではない。 私は家族の誰とも、同じ空気を吸ってはいないのだ。 石造りの壁に反響する笑い声を聞きながら、私はただ、この底冷えするダイニングで、自分が消えてなくなる日を待っていた。
けれど、この時、私はまだ知らなかった。 この地獄のような色彩のない食卓が、私を「厄介払い」するための招待状によって、もうすぐ終わりを告げることを。
「ごちそうさまでした」
私は震える声で告げ、誰も返さない挨拶を背中に、影のように食堂を後にした。 首筋の黒い枷が、私の存在を否定するように、鈍く、重く、拍動し続けていた。
【第1話 完】
次回予告:第2話「厄介払いの招待状」 実家に届いた一通の入学許可証。それは、自由への鍵か、あるいはさらなる絶望への入り口か。リアナが初めて「自分の足」で一歩を踏み出す時、物語は大きく動き出します。
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