第二話 泥棒たちの宴と罠の準備
あれから二週間が経過した。
俺、相沢健太は、大学近くのカフェの隅の席で、ノートパソコンの画面を静かに見つめていた。画面に映し出されているのは、かつて俺が全てを捧げて育て上げたチャンネル『みなみごはん』の最新動画だ。
タイトルは『【重大発表】彼氏ができました♡&これからは二人で最強の動画作ります!』。
サムネイルには、過剰なほど彩度を上げた美奈と、その肩を抱く西園寺蓮のツーショット写真が使われている。背景には「祝! 新体制」という、見るだけで目が痛くなるような極彩色のテロップが踊っていた。
「……センスがないにも程があるな」
俺は冷めたコーヒーを一口啜り、小さく独りごちた。
動画を再生すると、いきなり耳をつんざくようなEDMのイントロが流れ出した。料理チャンネルには全くそぐわない、クラブで流れるような激しいビートだ。
画面が激しく点滅し、安っぽいグリッチエフェクトと共に『Produced by REN』の文字が浮かび上がる。主役である美奈よりも、プロデューサーである蓮の名前の方が大きく表示されているのが皮肉だった。
「みんなー! こんばんは、新生みなみです!」
カメラに向かって手を振る美奈。だが、その映像は明らかに何かがおかしかった。
まず、ホワイトバランスが調整されていないため、美奈の肌が病的な青白さに映っている。背景は逆に白飛びしており、せっかくのキッチンセットが霞んで見えた。
音声も酷い。ピンマイクの調整が不十分なのか、美奈の声が割れているし、逆に部屋の環境音――エアコンの音や冷蔵庫のブーンという音――を拾いすぎていて、非常に聞き取りづらい。
「今日はね、蓮くんと一緒に『特製ローストビーフ』を作っていきまーす!」
そう言って美奈が肉を取り出すが、ピントが合っていない。カメラのオートフォーカスが迷子になり、背景の壁と肉を行ったり来たりしている。
そして何より致命的だったのは、肝心の料理工程だ。
俺が撮影していた頃は、手元のアップ、食材の質感、焼ける音、湯気の一つ一つにこだわり、視聴者の食欲をそそるような映像作りを徹底していた。
しかし、この動画では手元がほとんど映らない。映ったとしても、美奈の派手なネイルが邪魔をして食材が見えなかったり、蓮が横から茶々を入れるためにカメラの前を横切ったりする。
「うわ、肉の焼き加減ムズくない? まあ適当でいっか! 蓮くん、あーん♡」
「んー、うまい! さすが俺の彼女!」
中まで火が通っているのか怪しい肉を、二人がイチャイチャしながら食べるシーンが延々と続く。料理動画というよりは、ただのカップルチャンネルの惚気動画だ。
コメント欄には、案の定、戸惑いの声が溢れ始めていた。
『あれ? なんか画質落ちた?』
『音がうるさくてビックリした……』
『料理の手順が全然わかんないんだけど』
『前の落ち着いた雰囲気が好きだったのに、なんか違う』
もちろん、「美奈ちゃん可愛い!」「蓮くんとのコラボ最高!」という信者たちのコメントもあるが、古参のファンと思われる層からは違和感を訴える声が多い。
俺は冷静に、それらのコメントと動画のメタデータをスクリーンショットで保存していく。
彼らは気づいていない。
自分たちが「プロの仕事」だと思って送り出したものが、いかに素人以下の代物であるかを。
そして、その「劣化」を誤魔化すために、彼らが次に打つであろう愚かな一手も、俺には予想できていた。
場面は変わり、美奈たちが占拠したスタジオ。
そこには、動画のコメント欄を見て青ざめる美奈と、苛立ちを隠せない蓮の姿があった。
「ねえ蓮くん、なんかコメント荒れてない? 『前の編集の方が良かった』とか書かれてるんだけど……」
スマホを握りしめる美奈の手が震えている。承認欲求の塊である彼女にとって、否定的なコメントは猛毒に等しい。
蓮は舌打ちをして、キーボードを乱暴に叩いた。
「チッ、どいつもこいつも見る目がねえな! 俺の最先端の編集センスが理解できないなんて、貧乏人の僻みだろ」
「でも、再生数も伸び悩んでるよ? いつもなら公開一時間で十万再生行くのに、まだ三万しか行ってない……」
「うるせえな! 今は過渡期なんだよ。スタイルが変われば一時的に数字が落ちるのは当たり前だ」
蓮は強気な言葉を吐くが、その額には脂汗が滲んでいた。
彼自身も薄々勘付いているのだ。自分には「料理動画」を魅力的に見せるスキルがないことに。
彼の得意分野は、勢いとノリだけで押し切るバラエティ系の動画だ。繊細な色彩感覚や、心地よいテンポが求められる料理動画の編集は、彼にとって未知の領域だった。
それに加え、撮影も難航していた。
これまでは俺が全ての準備(下ごしらえ、計量、調理手順の確認)を完璧に行っていたため、美奈はただそこに座って微笑んでいればよかった。
しかし今は、誰も助けてくれない。美奈自身が包丁を握り、火加減を調整しなければならないのだ。
当然、料理初心者の彼女にまともな料理が作れるはずもない。
「あーもう! 動画編集ソフトの使い方、マジで意味わかんねえ! なんで色がこんな変になるんだよ!」
蓮が叫び声を上げる。
彼が使っている編集ソフトは高機能だが、その分、専門的な知識が必要になる。これまでは俺が細かく設定したプリセットを使っていたからスムーズに動いていただけだ。
それを知らずに設定をいじくり回した結果、映像は崩壊していた。
「……ねえ、蓮くん。やっぱり健太に連絡して、設定だけでも教えてもらおうよ。あいつならすぐ直せるし」
「はあ!? ふざけんなよ! あの陰キャに頭下げるなんて死んでもごめんだ!」
蓮はプライドの高さだけは一人前だ。俺に頼るという選択肢は彼の中にはない。
焦燥感が漂うスタジオで、蓮の目がふと、デスクトップにある一つのフォルダに留まった。
フォルダ名は『Stock_Movies』。
それは俺が、美奈が体調を崩した時や、急な用事が入った時のために作り置きしていたストック動画のフォルダだ。
中には、俺が編集まで九割方終わらせていた未公開の動画が五本ほど入っている。
「……おい、美奈。これ見ろよ」
蓮がニヤリと口角を吊り上げる。
「これ、あいつが置いてったストック動画じゃん。編集もほぼ終わってるし、クオリティも高い」
「あ、本当だ! すごーい! これ使えばいいじゃん!」
「へへっ、ラッキー。あいつ、真面目すぎて馬鹿だなあ。こんなお宝を置いていくなんて」
蓮は即座にそのファイルを開き、自分のチャンネルロゴである『Produced by REN』の透かしを入れる作業を始めた。
他人が作った作品に自分の名前を貼り付け、我が物顔で公開する。それはクリエイターとして最も恥ずべき行為だが、彼らにはそんな倫理観は欠片もなかった。
「でもさ、ただ出すだけじゃ面白くないよな」
蓮の目に、加虐的な光が宿る。
「コメント欄のアンチどもを黙らせるために、ちょっとした『演出』をしてやろうぜ」
「演出?」
「そう。お前の前の彼氏、つまり『前の編集担当』が無能だったせいで、今まで動画投稿が遅れてたってことにするんだ。で、俺に変わってからスムーズになったってアピールすれば、俺の評価も上がるし、お前も被害者になれる」
美奈は一瞬きょとんとしたが、すぐにその意味を理解し、意地悪な笑みを浮かべた。
「それ、いいかも! 健太のせいにしておけば、今のクオリティ低下も『引き継ぎのトラブル』って言い訳できるしね」
「だろ? よーし、早速ツイートだ」
数分後。
美奈のTwitter(現X)アカウントから、一つの投稿がなされた。
『みんな、動画のことで心配かけてごめんね😢 実は前の編集スタッフさんが、仕事が遅い上に連絡もつかなくて、ずっと困ってたの……。データの管理もずさんで、正直私の活動の足を引っ張られてました💦 でもこれからは蓮くんがしっかり管理してくれるから安心してね! 今日の動画は、蓮くんが徹夜で修復してくれた自信作です✨』
その投稿は瞬く間に拡散され、事情を知らないファンたちが反応する。
『えっ、そうだったんだ! みなみちゃん可哀想……』
『前のスタッフ最悪だな。無能な上にバックレとか社会人失格じゃん』
『蓮くんが救世主だね! 応援してるよ!』
俺への誹謗中傷と、蓮への称賛がタイムラインを埋め尽くしていく。
美奈と蓮はそれを見て、満足げに笑い合った。
自分たちが掘っている穴が、どれほど深いものかも知らずに。
◇
「……なるほど。これは酷いですね」
都内某所にある法律事務所の応接室。
俺の目の前に座る、眼鏡をかけた知的な男性――著作権問題に強いと評判の榊原(さかきばら)弁護士は、俺が提出した資料を見て呆れたように溜息をついた。
テーブルの上には、美奈と蓮の誹謗中傷ツイートのスクリーンショット、彼らが無断でアップロードしたストック動画のキャプチャ、そして俺が作成した動画のプロジェクトファイルと撮影データの原本(RAWデータ)が入ったHDDが並べられている。
「相沢さん。あなたが彼らと雇用契約や著作権譲渡契約を結んでいなかったというのは、間違いありませんか?」
「はい。契約書なんてありません。あくまで恋人の手伝いとして、無償でやっていました。口約束での譲渡もしていません」
「でしたら、話は簡単です。日本の法律では、著作権は原則として『作った人』に発生します。企画、撮影、編集の大部分をあなたが担当していたのであれば、それらの動画の著作者は間違いなくあなたです」
榊原弁護士は眼鏡の位置を直しながら、鋭い眼光で資料を指差した。
「彼らはあなたの著作物を無断で使用し、改変し、公衆送信している。これは立派な著作権侵害です。さらに、SNSでの虚偽の投稿。これは名誉毀損および信用毀損に当たります」
俺は静かに頷いた。
感情的な怒りはとうに通り越していた。今の俺にあるのは、淡々とした事務的な遂行意志だけだ。
「先生。彼らは今、私が作ったストック動画に自分たちのロゴを入れ、『自分たちが作った』と主張して公開しています。これは著作者人格権の侵害にもなりますよね?」
「ええ、氏名表示権と同一性保持権の侵害ですね。特に悪質なのが、この西園寺蓮という男です」
榊原弁護士は、蓮の過去のSNS投稿や、今回の件に関する一連の言動をまとめた資料に目を落とした。
「彼は映像クリエイターを名乗っていながら、他人の権利を侵害していることを認識した上で、それを自身の利益のために利用している。さらに、あなたを貶める虚偽の情報を拡散し、あなたの社会的評価を意図的に下げようとしている。……これだけの証拠があれば、損害賠償請求はもちろん、刑事告訴も視野に入れられますよ」
「刑事、ですか」
「はい。著作権法違反は、親告罪ですが『十年以下の懲役または一千万円以下の罰金』という重い罪です。彼らは軽く考えているようですが、あなたが本気になれば、彼らの人生を終わらせることも可能です」
人生を終わらせる。
その言葉の重みを噛み締めながら、俺はポケットに入れたICレコーダーを握りしめた。
ここには、あの日スタジオで彼らが放った暴言の数々――俺の機材を奪おうとした恫喝、データを「手切れ金」として強奪した発言――が全て記録されている。
これは、彼らが「悪意を持って」行ったことの動かぬ証拠だ。
単なるミスや勘違いではない。彼らは確信犯として、俺を踏み躙ったのだ。
「先生。手加減は無用です。法的に可能な限り、徹底的にやってください」
「承知しました。まずはプラットフォームへの著作権侵害の申し立てによる動画の削除とアカウントの凍結、そして内容証明郵便による警告書の送付から始めましょう」
榊原弁護士は不敵な笑みを浮かべ、準備していた書類にペンを走らせた。
「彼らが今、あなたの動画を使って再生数を稼ぎ、有頂天になっているその時こそが、最も効果的なタイミングです。……高く飛び上がれば飛び上がるほど、落ちた時の衝撃は大きいですからね」
その言葉通りだ。
俺はスマホを取り出し、美奈のチャンネルを確認する。
彼らが無断で公開したストック動画――俺が心血を注いで作った、最高傑作の一つである『ふわとろデミグラスオムライス』の動画は、皮肉なことに急上昇ランキングに入り、再生数を爆発的に伸ばしていた。
『やっぱりこのクオリティ!』
『蓮くんが編集するとこんなに良くなるんだ!』
『前のスタッフが無能だったのがよく分かるw』
コメント欄は、蓮の手柄を称える言葉で溢れている。
俺が作ったものを、俺を貶めるために使い、自分たちの手柄にする。
これ以上の屈辱はない。だが、同時にこれは最高の燃料でもあった。
彼らは自ら証明してしまったのだ。「相沢健太の作品でなければ、数字は取れない」ということを。
そして、「これが自分たちの作品だ」と公言してしまった以上、それが嘘だとバレた時のダメージは計り知れない。
「……たっぷり稼いでくれよ、美奈、蓮」
俺は画面の中の二人に、別れの言葉の代わりに呪詛を吐いた。
「その再生数の一回一回が、お前たちの首を絞めるロープになるんだからな」
帰り道、俺は空を見上げた。
曇り空の向こうで、雷鳴が微かに轟いている。嵐が来る。
彼らにとっての破滅の嵐が、すぐそこまで迫っていた。
俺はアパートに帰ると、最後の仕上げに取り掛かった。
弁護士との打ち合わせ通り、プラットフォームへの通報手続きを進める。
『権利侵害の申し立て』フォームに必要事項を入力し、証拠となる元データの情報を添付する。
送信ボタンを押す指に、迷いはなかった。
カチッ。
乾いたクリック音が、部屋に響く。
それは、彼らの終わりの始まりを告げる号砲だった。
さらに俺は、もう一つの「爆弾」を準備していた。
彼らがストック動画を使ったことで、俺の手元にある「あるデータ」の価値が飛躍的に高まったのだ。
それは、そのストック動画の撮影中に回していた、サブカメラの映像と音声データ。
そこには、料理を失敗して癇癪を起こす美奈や、それを茶化してスタッフ(俺)に八つ当たりする二人の姿、そして何より、「料理なんて適当でいいじゃん、どうせ編集で誤魔化すんだから」という、インフルエンサーとしてあるまじき発言がバッチリと収められている。
彼らが「自分たちの実力だ」と誇示した動画の、醜悪な「裏側(リアル)」。
これを、然るべきタイミングで世に出す。
著作権侵害でアカウントを失い、さらにファンからの信用も失う。
逃げ場のない二重の包囲網。
「さあ、宴の時間は終わりだ」
俺はPCを閉じ、深く息を吐いた。
明日、世界が変わる。
偽りの輝きが剥がれ落ち、真実が白日の下に晒される時が来る。
その瞬間を特等席で眺めるために、俺はゆっくりと眠りについた。
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「編集がダサい」と俺を捨てた彼女と間男。その動画、俺の機材と権利がないと再生されませんよ? 全てを失ってから泣きつかれても、もう遅い @flameflame
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