「編集がダサい」と俺を捨てた彼女と間男。その動画、俺の機材と権利がないと再生されませんよ? 全てを失ってから泣きつかれても、もう遅い

@flameflame

第一話 偽りの女神と残酷な通告

深夜二時。静まり返ったワンルームマンションの一室に、マウスをクリックする乾いた音と、冷却ファンの低い唸り声だけが響いている。

モニターのブルーライトに照らされた俺、相沢健太(あいざわ けんた)の目は、疲労で少し霞んでいた。それでも手は止めない。タイムラインに並べられた無数のクリップを切り貼りし、テロップを挿入し、色調を補正する。

画面の中では、エプロン姿の可愛らしい女性が、ふわふわのオムライスにナイフを入れ、弾けるような笑顔を見せていた。


「ねえ健太、まだ終わんないの? そのキーボードの音、カチャカチャうるさいんだけど」


背後から投げかけられた不機嫌な声に、俺は作業の手を止めて振り返った。

ベッドの上でスマホを弄っているのは、画面の中の天使――ではなく、不機嫌そうな顔で眉間に皺を寄せている恋人、佐々木美奈(ささき みな)だ。

彼女はSNS総フォロワー数五十万人を誇る『清楚系料理インフルエンサー』。そして俺は、彼女の活動を裏で支える――いや、実質的に全てを請け負っている『裏方』だった。


「ごめん美奈。今、明日の十九時に投稿する分の最終チェックをしてるんだ。このオムライスの断面、シズル感を出すのにもう少し調整が必要でさ」


俺がそう説明しても、美奈は興味なさそうに鼻を鳴らすだけだ。


「ふーん。まあいいけど。あ、私喉乾いた。アイスティー淹れてきて」

「……分かった。ちょっと待ってて」


俺は一度席を立ち、狭いキッチンへと向かう。シンクには、今日の撮影で使ったボウルやフライパンが山積みになっている。もちろん、これを使ったのも、料理を作ったのも俺だ。美奈は完成した料理の前に座り、食べる真似をして、感想を言うだけ。

片付けすら俺の役目だということは、付き合い始めた頃からの暗黙の了解になっていた。


「はい、アイスティー」

「ん、ありがと」


グラスを受け取ると、美奈は再びスマホに視線を落とす。俺への感謝の言葉はない。最近、彼女の態度は明らかに冷たくなっていた。以前は「健太くんのおかげで動画が出せるよ、ありがとう」と言ってくれていたはずなのに。

人気が出るにつれて、彼女の中で何かが変わってしまったのかもしれない。それでも俺は、彼女の夢を叶えたかった。彼女が輝く姿を見るのが、俺の幸せだと信じ込んでいたからだ。


「よし、これで書き出し完了だ」


さらに一時間後。ようやく動画のエンコードが終わった。達成感と共に大きく伸びをする。

明日は登録者五十万人突破を記念した生配信がある。その準備もしなければならない。


「美奈、明日の配信の構成台本、ここに置いておくよ。冒頭の挨拶の後、スパチャの読み上げタイムがあって、その後に……」

「あーもう、分かってるってば! 健太の話って長くてつまんないのよね。適当にやるから大丈夫」


美奈は布団を頭まで被り、俺の言葉を遮断した。

胸の奥に黒い澱のようなものが溜まるのを感じたが、俺はそれを無理やり飲み込んだ。明日は大事な日だ。喧嘩をしている場合じゃない。

俺は小さく溜息をつき、ソファベッドに身を横たえた。


翌日。

スタジオとして借りているレンタルスペースは、独特の熱気に包まれていた。

三脚に据えられた高画質カメラ、完璧に計算されたライティング、そして配信用PCの前に座る美奈。

画面上のコメント欄は、開始前から滝のように流れている。


「みんなー! こんばんは、みなみです! 今日はずっと応援してくれたみんなのおかげで、ついに五十万人を突破しましたー! 本当にありがとう!」


カメラが回った瞬間、美奈の声色は二オクターブ上がり、表情は聖女のように柔らかいものへと切り替わった。昨夜の不機嫌さが嘘のようだ。

俺はモニターの死角で、音響ミキサーとコメント管理ツールを操作しながら、彼女の指示出しを行う。


『みなみちゃんおめでとう!』

『今日の手料理も美味しそう!』

『やっぱりみなみちゃんの家庭的なところが好きだなあ』

『こんな奥さんが欲しい人生だった』


流れる称賛のコメント。その「手料理」を作ったのは、開始三時間前から仕込みをしていた俺だ。彼女の家庭的なイメージを支えているのは、俺の企画と演出だ。

だが、その事実が表に出ることはない。俺はあくまで黒子。それでいいはずだった。

配信は順調に進み、一時間が経過した頃。美奈がふと、カメラに向かって意味深な笑みを浮かべた。


「今日はね、みんなにちょっとしたお知らせがあるの。これからの『みなみごはん』は、もっともっとレベルアップしちゃうから、楽しみにしててね!」


台本にはない言葉だ。俺は一瞬、眉をひそめた。レベルアップ? 今後の企画会議なんてまだしていないはずだが。

美奈はチラリと俺の方を見た――いや、俺ではなく、俺の後ろにあるドアの方を見た気がした。


「それじゃあ、今日はここまで! また次の動画で会おうねー! バイバーイ!」


配信終了のボタンを押した瞬間、美奈の笑顔が消えた。

まるで電源が切れたロボットのように、無表情で椅子に背中を預ける。


「お疲れ、美奈。最高だったよ。同接も過去最高を記録したし……」


俺が水を渡そうと歩み寄ると、彼女はそれを手で制した。そして、冷ややかな瞳で俺を見上げる。


「ねえ、健太」

「ん? どうした?」

「私たち、もう終わりにしない?」


あまりに唐突な言葉に、俺の思考が停止する。

終わり? 今日の配信? いや、違う。その口調と空気感は、もっと決定的な何かを告げていた。


「……えっと、どういう意味?」

「言葉通りの意味だよ。別れようって言ってるの」


心臓が早鐘を打ち始める。ドクン、ドクンと嫌な音が体内で響く。

五十万人を達成したこの日に? 二人で頑張ってきた記念すべき日に?


「なんで……? 俺、何か悪いことしたか? 昨日のことなら謝るし、編集の仕方も美奈の要望に合わせるから……」

「そうじゃないの。あー、もう。説明するのも面倒くさいな」


美奈は苛立たしげに髪をかき上げると、スマホを取り出して誰かにメッセージを送った。

数秒後。

ガチャリ、とスタジオのドアが開いた。


「よお。話はついたか? 美奈」


入ってきたのは、派手な金髪に大ぶりのシルバーアクセサリーを身につけた男だった。

甘いマスクに、人を小馬鹿にしたような薄ら笑い。有名ブランドのロゴが入ったジャケットを着崩している。

俺はその男を知っていた。いや、この業界にいて知らない奴はいないだろう。


「西園寺……蓮(さいおんじ れん)……?」


過激なドッキリ動画や派手な金遣いの企画で人気を博している、登録者数百万人超えの映像クリエイターだ。

なぜ彼がここに? 俺の疑問に答えるように、美奈が席を立ち、蓮の隣へと駆け寄った。そしてあろうことか、彼の腕に自分の腕を絡ませたのだ。

親密さを隠そうともしないその距離感に、俺は言葉を失う。


「紹介するね、健太。こちら、私の新しいプロデューサー兼、彼氏の蓮くん」

「……は?」


彼氏? 新しいプロデューサー?

脳の処理が追いつかない。俺と美奈はまだ別れていない。いや、今まさに別れ話を切り出されたところだ。つまり、これは浮気ということか?


「初めましてだな、裏方くん。いつも美奈の動画見てたよ。……プッ、まあ、見てられないくらいダサかったけどな」


蓮は俺を値踏みするように上から下まで眺めると、鼻で笑った。強烈な香水の匂いが鼻をつく。


「どういうことだ美奈! こいつといつから……」

「つい最近だよ。蓮くんとのコラボ案件があったでしょ? あの時に色々相談に乗ってもらってて……気づいたの。私、健太のぬるい環境に浸かってちゃダメなんだって」


美奈は蓮の肩に頭を預けながら、俺を哀れむような目で見つめてきた。


「健太の編集ってさ、なんか古臭いんだよね。テロップのフォントも地味だし、カット割りもテンポ悪いし。正直、私の魅力が半減してるって蓮くんに言われて、ハッとしたの」

「そうそう。素材は最高級なのに、調理するシェフが三流じゃ台無しだろ? 俺なら美奈をもっと輝かせられる。お前のチマチマした手料理動画なんかより、もっと派手でバズる企画を俺が用意してやるよ」


蓮が俺のPCデスクに近づき、機材を指先で弾いた。俺がバイト代を貯めて買った大切なカメラだ。


「この機材もさぁ、型落ちじゃん? よくこんなので五十万人も行けたな。まあ、それも全部美奈の顔が良かったからで、お前の実力じゃないってこと、自覚した方がいいぜ」


頭の中が真っ白になった。

古臭い? 三流? 俺の実力じゃない?

食材の買い出しから下処理、レシピ考案、撮影のライティング、数ミリ秒単位の編集、SEO対策、コメント返信の管理。

美奈が寝ている間も、遊んでいる間も、俺はずっと画面に向き合ってきた。彼女の笑顔を一番美しく見せるために、どれだけの時間を費やしてきたと思っているんだ。


「……俺が、どれだけ尽くしてきたと思ってるんだ」


絞り出すような声が出た。


「尽くす? それが重いのよ」


美奈の声は冷徹だった。


「勝手に尽くして、勝手に恩着せがましくなって。私はそんなの頼んでない。健太は『私が輝くのを見るのが好き』なんでしょ? だったら、より輝ける場所に行く私を応援するのが筋じゃない?」


あまりの理屈に、怒りを通り越して乾いた笑いが出そうになる。

彼女にとって俺は、踏み台ですらなかった。ただの便利な道具。使い古して性能が悪くなったら、新しい高性能な道具(蓮)に乗り換える。それだけのことだったのだ。


「ま、そういうことだから」


蓮がパンと手を叩き、出口の方を指差した。


「悪いけど、退場してくれる? これから俺たち、このスタジオで『新生みなみごはん』の打ち合わせ(・・・・)があるからさ」


その言い方には、明らかに卑猥な響きが含まれていた。美奈も顔を赤らめて蓮を見上げている。俺の存在など、もう眼中にない。

ここには俺の居場所はない。それは痛いほど理解できた。

だが、一つだけ確認しなければならないことがある。


「……分かった。別れるよ。でも、このPCとHDDは持って行く。中に入ってるデータは俺が作ったものだ」


俺がデスクの上のポータブルHDDに手を伸ばそうとすると、蓮がその手を乱暴に払いのけた。


「はあ? 何言ってんの? そのデータ、美奈が映ってるんだろ? だったら美奈の肖像権があるじゃん。お前みたいなストーカー気質の元カレに持たせとくわけないだろ」

「そうだよう健太。それに、まだ投稿してないストック動画もあるし。それは私がもらう権利があるでしょ?」


盗人猛々しいとはこのことか。

制作データ、プロジェクトファイル、企画メモ。それら全てを置いていけと言う。俺の技術と労力の結晶を、そのまま蓮に引き継がせ、自分たちの利益にするつもりなのだ。


「手切れ金代わりだと思ってさ、置いてけよ。それとも何? 女々しくゴネんの? そういうところがモテない原因だと思うけどなー」


蓮は俺の胸を指で小突きながら、ニヤニヤと嘲笑う。

悔しさで拳が震えた。今すぐこいつの顔を殴り飛ばしてやりたい。美奈にこれまでの不満をぶちまけてやりたい。

だが、ここで暴れれば俺が悪者になるだけだ。蓮のような手合いは、それをネタに被害者ぶる動画を出すに決まっている。


俺は深く息を吸い込み、沸騰しそうな感情を理性の檻に押し込めた。

感情的になるな。冷静になれ。

こいつらは今、俺を「無能な道具」だと侮っている。だからこそ、最大の隙を晒している。


「……分かった。機材もデータも置いていく」

「お、話が早くて助かるわ。最初からそうしとけばいいんだよ」


蓮は勝利を確信したように鼻を鳴らし、美奈の腰に手を回した。

俺は自分のリュックだけを手に取り、出口へと向かう。

ドアノブに手をかけた時、背後から蓮の声が聞こえた。


「あ、そうだ。お前のチャンネルの管理パスワード、後でLINEで送っとけよ。俺たちが有効活用してやるからさ」

「……ああ」


短く答え、俺はスタジオを出た。

重い鉄扉が閉まる瞬間、中から二人の下品な笑い声が漏れ聞こえた。


「やっと清々したー! 蓮くん、ありがと!」

「へへっ、これで五十万人の登録者は俺たちのモンだ。チョロいもんだぜ」


夜の冷たい空気が、火照った頬を撫でる。

俺はスタジオから十分ほど離れた公園のベンチに座り込み、リュックの奥底から『あるもの』を取り出した。

それは、スティック型の小さなICレコーダーだ。

以前、機材トラブルがあった際に予備の音声収録用としてポケットに入れていたものが、偶然にも今のやり取りを最初から最後まで鮮明に記録していた。


そしてもう一つ。

俺はポケットから、小さなUSBメモリを取り出す。

蓮たちは気づいていなかった。俺が普段の作業で、クラウド同期とは別に、常に物理的なバックアップを二重で取っていることを。

そして、彼らが奪い取ったPCのデスクトップにある『Project_Minami』というフォルダの中身が、実はショートカットだけで、実データは俺の手元にあることも。


俺はスマホを取り出し、美奈と蓮のSNSアカウントを開く。

そこには既に、二人のツーショット写真と共に『重大発表! 新しいパートナーと頑張ります!』という投稿がなされていた。リプライ欄には、事情を知らないファンからの祝福と、俺の編集を遠回しに貶す蓮の信者たちのコメントが溢れている。


『前の編集、正直微妙だったもんねw』

『蓮くんがプロデュースなら最強じゃん!』

『元カレ乙~w』


画面をスクロールする指が震える。だが、それは悲しみによるものではない。

俺の中で、何かが音を立てて冷え切っていくのを感じた。愛情が憎悪に変わるのではない。もっと無機質な、事務的な『処理』へと感情が置き換わっていく。


「古臭い、か……」


俺が作り上げた『みなみごはん』という虚像。

料理ができない美奈を料理上手に仕立て上げ、性格の悪さを清楚な演出で覆い隠し、緻密な編集で視聴者を惹きつけてきた魔法。

それを「自分の実力」だと勘違いし、魔法使いである俺を追放した彼らは、まだ気づいていない。

魔法が解けた後のシンデレラが、どれほど惨めな姿を晒すことになるのかを。


「権利がないと再生されないってこと、教えてやるよ」


俺はレコーダーの停止ボタンを押し、冷たい月の光の下で静かに呟いた。

これは復讐ではない。正当な権利行使だ。

彼らが俺の作品を「自分のもの」として使い続け、俺を侮辱し続ける限り、俺にはそれを止める権利がある。

そして、その準備は既に整っている。


俺は弁護士の名刺が入った財布を確認し、ゆっくりと立ち上がった。

もう、迷いはない。

ここから先は、情け容赦のない大人の喧嘩の時間だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る