第2話 ささいな一撃

 せっかくの連休なのだから積読していた本を読もうと机に向かった幸子だったが、やはりどうしても気分が乗らない。


 机の上には、異様に手足が長いクマのぬいぐるみが飾ってある。幸子はそれをにらみつけ、パチンと指ではじいた。もともとアンバランスなつくりのため、クマは簡単に倒れてあらぬ方向を向いた。以前、ゲームセンターのUFOキャッチャーで幸太が取ってくれたものだった。幸子はひそかにこのクマをコウタと名付けている。


(今ごろ、友達と楽しく飲んだり食べたりしているんだろうなぁ……)


 幸子はため息をついて、もうじき役目を終える今年の手帳を開く。

 今日と明日、幸太は友達と宴会。明後日からは、幸子とプチ旅行。

 いったい何がそんなに不満なのかと思う。たしかに大晦日にいっしょに過ごせないのは残念だが、そのあとにちゃんと二人の時間をつくってくれている。それなのに、どうして自分はもっと広い心で待っていられないのか……


 その原因は、数日前のデートでの、ほんのささいなことだった。


 その日、幸子と幸太は住宅展示場の見学に来ていた。将来の住まいの参考になるうえにお金もかからないので、経済的にあまり余裕のない幸子と幸太にとっては定番のデートコースとなっていた。今回は平屋限定の住宅展示場で、3つのモデルハウスを見てまわった。コンパクトではあったが、そのぶん価格も抑えられている。木の梁が見える天井やモダンな和室、ウッドデッキなどに感動して、かなり好印象を持った。担当についた女性スタッフの対応も丁寧で話しやすく、来てみてよかったと幸子は満足していた。

 事件が起きたのは、帰り際のことである。

 間取りのカスタマイズや耐震性など気になることを一通り聞き終わり、幸子と幸太は席を立った。


「本日はありがとうございました。パンフレットをお渡ししますので、あとでごゆっくりご覧ください」

「はい、ありがとうございます」


 幸太が頭を下げ、幸子もそれにならった。


「寒いのでお気をつけてお帰りくださいませ。年末年始は、何かご予定はございますか?」


 女性スタッフは封筒に入れたパンフレットを幸太に渡すと、にこやかに世間話を続けた。


「ええ。それはもう、楽しいイベントがあるんですよ」


 幸太が答える。幸子もうきうきして、年明けの幸太との旅行のことを思い浮かべる。

 しかし、幸太が口にしたのは幸子との旅行のことではなかった。


「年末に友達と忘年会をするんです。大人数で別荘を貸し切って、泊まりで」

「へえ、それは素敵ですね。歳を重ねると交友関係って狭くなりがちですけれど。やっぱりお友達と過ごす時間っていいですよね」

「本当ですよ。気兼ねなく集まって騒げるような関係って、マジで1番大事だと思います」


 女性スタッフはたゆまぬ笑顔で幸太に調子を合わせた。その間、どんよりとくもった表情の幸子とはまったく視線を合わせようとしなかった。営業職の勘で何かを察したのかもしれない。


(そっか、私との旅行よりお友達と遊ぶほうが楽しみなんだ……)


 幸子の表情はこわばったまま、幸太と女性スタッフの会話は続き、建物の外へと送り出された。上の空で挨拶をして、幸太の軽自動車へと乗りこむ。


(そりゃ、友達と会うのが楽しいのはわかるけど、何もデート中にその話をしなくたっていいじゃん。私との旅行のことを話してくれたら、こっちも話にまざることができたのに……)


「……さっちん?」


(初めて2人で外泊するから張り切ってたのに、バカみたい。年末年始でも空いてるお手頃価格のホテルをやっと見つけて予約したのに……)


「おーい、さっちんてば!」


 運転中の幸太が呼びかけていることに、幸子はようやく気がついた。


「どうしたの、そんなに難しい顔して」

「別に。ただの考え事」

「あー、家を建てるのって、すっげぇお金がかかるよね」


 まったく見当はずれの相づちに、幸子はいら立ちを覚える。


「俺も頑張って貯金するからさ。今度また別の展示場にも行ってみようよ。コンテナハウスとかも興味あるんだよね。友人のひとりから勧められてさぁ。来年、一緒に……」

「そうじゃなくて!」


 思わず声を荒げた幸子に、幸太は「うん?」と首をかしげる。


「さっき年末年始の予定は?って聞かれたときに、こーたんは友達とのことしゃべってたじゃん。私との旅行だってあるんだから、そっちの話をしてくれてもよかったのに……」

「ああ、それで……ごめん、たしかにそうだよね」

「楽しみなのはわかるけどさ、すごく寂しかったよ」

「いや、この件は完全に俺が悪い。本当にごめん」

「うん……いいよ」


 平謝りする幸太に、幸子のいら立ちはすぐに収まった。こういう素直で優しいところが好きだ。この人を選んでよかった、と幸子は思った。


 幸子の笑顔を見た幸太は、ほっとしてハンドルを握る手を緩めた。

 そして、余計な一言を言った。


「いやぁ、マジで反省だわ。ちょっと本音でしゃべりすぎた」

「う、うん?……」


(本音? 今、本音って言った?)


「さて、お腹空いてきたね。夕飯どこで食べようか?」


(あれが本音ってことは……こーたんは私よりも友達と遊ぶほうが楽しみだってこと? え、何それ。仮にそうだとしても、彼女の前でそれ言っちゃう?)


「……さっちん?」


 幸子は泣きそうになるのをこらえながら、「寒いから火鍋!!」と叫んだ。幸太はびっくりして幸子の横顔を見たが、「うん、了解。いいね、火鍋!」と笑った。

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