第7話:ギルド監査官の襲撃

「――いい加減にしろ! ここを何処だと思っている、この恥さらし共めがッ!」


 静かな朝の空気を切り裂いたのは、金属的な、そして極めて神経質な怒鳴り声だった。  受付ロビーの扉を蹴り開けて入ってきたのは、黒い法衣に身を包み、片眼鏡を光らせた細身の男。ギルド本部から派遣された一等監査官、ザイードである。


 彼は手にした羊皮紙を叩きつけるように広げ、震える指でロビーを指差した。


「報告書によれば『奈落の口』の攻略進捗は過去一ヶ月間ゼロ! それどころか、入場料収入も皆無! なのになぜ、これほどの冒険者……いや、魔物までもが、腑抜けた顔でたむろしているのだッ!」


 ロビーでは、朝からカイが仕込んだ「仕込み」の最中だった。  ザイードの怒号を浴びても、リノ所長は耳をほじりながらあくびを漏らす。


「あー、監査官殿。そんなに血管浮かせると体に悪いですよ。まあ、とりあえず座って。今、カイが『一番いい音』を出すところですから」 「ふざけるなッ! 私は本部の名において、本日付けでこの出張所の営業停止を――」


 ――バチバチバチッ! シュワアアアアアッ!


 その時、カウンターの奥から凄まじい「激流のような音」が響いた。  カイが、特製のタレに漬け込んだ鶏肉を、高温の油に投入した音だ。


「……何だ、この音は。大雨が降っているのか?」  ザイードの言葉が止まる。  鼻腔を突いたのは、熱せられた油の香ばしさと、焦げた醤油、そして食欲を狂わせるニンニクと生姜の強烈な香り。


「二度揚げです。一度目で中に火を通し、今、二度目で表面を『完成』させています」


 カイは、油の中から黄金色の塊を網ですくい上げた。  カラリ、と軽い音がする。油を切ったばかりの唐揚げは、表面に小さな気泡を纏い、まるで生きているかのようにパチパチと音を立てていた。


「監査官殿、お仕事の前に喉を潤しませんか? 辺境の地下水でキンキンに冷やしたエールもありますよ」


「……はっ! 賄賂のつもりか? 私は王都でも屈指の厳格さを誇る監査官だぞ。そのような脂ぎった野蛮な食べ物と、安酒に屈するはずが――」


 トクトクトクッ……シュワァ!


 目の前で、透き通った黄金色のエールがジョッキに注がれる。表面には、きめ細やかでクリーミーな白い泡。ジョッキの表面には、冷たさを物語る細かな水滴がびっしりとつき、今にも滴り落ちそうだ。


「……毒味だ。貴様らが何を企んでいるか、証拠を押さえるために食べてやる」


 ザイードは震える手で唐揚げを一つ、箸で摘み上げた。  見た目は武骨な黄金の岩。だが、持ち上げただけでその「軽さ」がわかる。


 彼はそれを、思い切り噛み砕いた。


 ――ザクッ!!!


 ロビー中に響き渡るほどの、快い断裂音。


「――っ!?!? な、なんだ、この……この音はッ!」


 ザイードの片眼鏡が、衝撃でズレた。  表面は、氷を噛み砕くような小気味よいサクサク感。だが、その薄い衣を突破した瞬間、中からダムが決壊したかのように「熱い肉汁」が噴き出した。


「熱ッ、ハフッ、ハフハフッ! ……う、旨い! なんだ、この肉の柔らかさは! 噛むたびに溢れる肉汁に、生姜の爽やかさが追いかけてくる! 衣の香ばしさが、口の中でオーケストラのように鳴り響いてやがる……っ!」


 彼はたまらず、隣のジョッキを掴んで煽った。


「ぐびっ、ぐびっ……、ぷはぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 ザイードの瞳が、かつてないほどに輝きを放つ。


「冷たい! 喉を焼くようなエールの苦味が、唐揚げの脂を一気に洗い流していく……! そして、流された瞬間に、また次の『脂』を欲してしまう! なんだこの無限の連鎖は! 悪魔の所業かッ!」


 もはや営業停止などという言葉は、彼の脳内から完全に消去されていた。  ザイードは二つ目の唐揚げを口に放り込み、三つ目を確保し、エールをお代わりしながら、猛烈な勢いで羊皮紙に羽根ペンを走らせ始めた。


「……おい、カイ。あいつ、何書いてるのかしら」  リノが恐る恐る覗き込む。


『――本出張所は、極めて特殊かつ高度な「胃袋制圧魔法」の実験場であると推測される。この唐揚げの二度揚げ技術は国益に直結するものであり、早急に本拠地を王都直轄の聖域に指定し、周辺への一般冒険者の立ち入りを推奨すべきである。なお、監査官である私は、継続的な品質調査のため本所に無期限で駐在する必要がある……』


「……斜め上すぎるわ」  リノが頭を抱える。


「良かったですね、営業停止にならなくて」  カイは、追加の鶏肉を油に放り込みながら笑った。


「良かったどころじゃないわよ! 王都の偉いさんが駐在なんてしたら、私の昼寝の時間が減るじゃない! カイ、あんた本当に……罪な男ね」


 ロビーでは、監査官と冒険者、さらには昨日から居着いているオークまでもが「唐揚げ最高!」とジョッキを掲げて乾杯していた。  もはやそこはギルドの受付ではなく、国境を超えた大宴会場と化していた。


 しかし、その熱狂の最中。  ふと、外の雨脚が強まった。


「……あ。所長、明日は少し静かになりそうですね」


 カイは、降り始めた雨を見つめながら、少しだけ寂しそうに、けれど満足そうに呟いた。  賑やかな宴の影で、彼は次の「静かな夜」のための準備を思い描いていた。


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