第6話:ダンジョン内の魔物が「お客様」?
「――おい、受付。……あそこ、見て。私の見間違いじゃないわよね?」
リノ所長が、震える指でダンジョンの暗い入り口を指差した。 そこには、松明の光が届かない闇の境界線から、いくつもの「光る眼」がこちらを覗き込んでいた。
本来なら、冒険者たちが武器を抜き、悲鳴と怒号が飛び交う光景だ。 しかし、その「眼」の主たちは、襲いかかるどころか、一様に鼻をヒクつかせ、あろうことか喉を鳴らしていた。
「……グルル。……いい匂いだ。人間の、旨そうな匂いじゃない。もっと、こう……甘くて、重厚な……」 「オーク、お前もか。……俺たち、一週間も苔とネズミしか食ってないもんな」
ボロボロの棍棒を引きずりながら、緑色の肌をしたゴブリンの群れと、巨体のオークが這い出してきた。 ロビーにいた冒険者たちが一斉に総立ちになり、剣の柄に手をかける。一気に緊迫した空気が走る。
「魔物だ! 戦闘態勢――」 「あ、ちょっと待ってください。危ないですから」
カイが、のんびりとした声でそれを制した。 彼はカウンターの上に、大きな鍋をドスンと置いた。
――ふわり。
醤油と砂糖、それに生姜と「魔酒」でじっくりと煮込まれた肉の香りが、爆風のように広がった。 それは、昨日のスペアリブのような華やかさはないが、もっと根源的な、胃袋を直接揺さぶるような「家庭的で力強い」香りだった。
「看板:端材肉のまかない牛丼です。スペアリブを切り出した時の端っこや、脂身を飴色になるまで煮込みました」
カイは、山盛りのご飯に、たっぷりと汁の染みた肉とタマネギを盛り付ける。 琥珀色のつゆがご飯の隙間に染み込み、白い湯気と共に「さあ、食え」と誘惑してくる。
「……並ぶなら、種族は問いません。ただし、店内で喧嘩をするならご飯抜きです。いいですね?」
カイの静かだが威圧感のある言葉に、ゴブリンたちが顔を見合わせた。 彼らは恐る恐る、殺気を剥き出しにしている冒険者たちの列の最後尾に並んだ。
「……えっ、本当に並ぶの?」 「おい、後ろにオークがいるんだけど。俺、食われないか?」 「安心しろ人間。……今の俺は、その『ギュー・ドン』にしか興味がない」
数分後。 奈落の口ダンジョンのロビーには、前代未聞の光景が広がっていた。
右のテーブルではベテラン戦士が、左のテーブルではゴブリンが、そして中央では勇者レオン(エプロン姿)に給仕されたオークが、並んで丼をかき込んでいる。
「――っ!! ガハッ、熱っ……! なんだこれ、肉が、口の中で解けるぞ!」 オークが巨大な手で箸(カイが即席で削り出したもの)を器用に使い、吠えた。
「このタマネギ……甘い! 肉の脂を吸い込んで、まるで果実みたいだ! これにこの『白い粒(米)』を一緒に流し込むと、腹の底から力が湧いてくる……っ! 俺、今まで人間を襲って何を奪おうとしてたんだっけ……?」
「キキッ! この紅生姜ってやつ、いいアクセントだぜ! ピリッとして、また次の一口が止まらねえ!」 ゴブリンも、顔を丼に突っ込んで夢中で食べている。
「……ねえ、カイ」 リノが、カウンターの隅で自分の分の牛丼を頬張りながら、遠い目をした。 「これ、歴史的な事件じゃない? 百年続いた人魔戦争の答えが、一杯の牛丼(並)で解決しそうなんだけど」
「美味しいものを食べている時は、誰だって戦いたくないですからね」
カイは、追加の肉を鍋に投入した。 アクを丁寧に取り、味を整える。その真剣な横顔は、千人の兵士を支えた時よりもずっと穏やかだ。
「おい、勇者! お代わりだ! つゆだくで頼む!」 オークが空の丼を差し出す。
「貴様、勇者である僕を使い走りにするとはいい度胸だ! ……だが、つゆだくの魅力には同意する。特別に大盛りにしてやろう、感謝しろ!」 レオンが、もはや聖剣を振るう時より速いスピードで丼を運び、お代わりを盛り付ける。
「平和ね……」 リノが呟く。 「入場料収入は今日もゼロ。でも、魔物たちが『お礼』に置いていったのは、ダンジョンの奥でしか採れないレア鉱石や魔力の結晶。……これ、ギルド本部にどう報告すればいいの?」
「『平和維持活動に伴う、資源の有効活用』とでも書いておけばいいんじゃないですか?」
ロビーには、冒険者の笑い声と魔物の咆哮(喜びの)が混じり合い、醤油の香ばしい香りがすべてを包み込んでいた。 種族の垣根を越え、ただ「旨い飯」という一点で結ばれた共同体。
しかし、その様子を、ダンジョンの天井付近から「透明化」して見守る小さな影があった。
「……ずるい。あんなに美味しそうなものを、私抜きで。……許さぬ、絶対に許さぬぞ人間め……っ!」
小さな、だが高貴な響きを持つ声が、誰にも聞こえない速さで消えた。 奈落の口に、本当の「嵐」がやってくるのは、もうすぐそこだった。
「カイ殿! 牛丼十人前追加だ! あそこのスライムたちが『俺たちも食べたい』と震えている!」 「はいはい、すぐ行きます」
カイは、幸せな喧騒の中で、今日も火を強めた。
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