第4話:簡易トイレの意外な用途

「――おい、受付。……ちょっと、顔色が悪いんじゃないか?」


 早朝。受付カウンターに並ぶ冒険者たちの顔を見て、リノ所長が眉をひそめた。  並んでいるのは、昨日餃子をたらふく食べた連中や、遠方から噂を聞きつけてきたベテランたちだ。だが、どうにも様子がおかしい。肌がくすみ、肩を落とし、まるで全身に重りをぶら下げているような淀んだ空気を纏っている。


「いやぁ、所長。最近どうも体が重くてね。魔力回路に煤が溜まってるっていうか、酒も飯も、なんだか味がボヤけるんだよ」 「そうそう。冒険者なんてやってると、魔獣の返り血や呪いの残滓、変な野草の毒なんかが体に蓄積するだろ? それが抜けないんだ」


 冒険者の宿命。それは「体内の澱み」だ。  カイは彼らの言葉を聞きながら、巨大なズンドウ鍋の蓋を開けた。


「……なるほど。では、今日はこれがお勧めです」


 立ち上ったのは、どこまでも優しく、鼻を抜けるような清涼感のある香り。  真っ赤な完熟トマトの酸味。そこに、土の香りを残したゴボウや蓮根、さらに隠し味の薬草が複雑に絡み合い、肺の奥まで洗われるような錯覚を覚える。


「特製、根菜たっぷりの薬膳ミネストローネです」


 カイが木のお玉でかき回すと、鍋の底からゴロゴロと、宝石のように艶やかな野菜たちが顔を出した。


「……ふぅ。いい匂いだ。昨日の餃子とは正反対だな」 「まずは一口、熱いうちにどうぞ」


 一番前のベテラン戦士が、震える手で木皿を受け取った。  スープは透き通った赤色をしており、野菜の旨味が溶け出した脂の粒が、魔導灯の光を反射してキラキラと輝いている。


 彼はフーフーと息を吹きかけ、それをゆっくりと口に含んだ。


「――っ!? なんだ、これ。……じわっと、来る」


 まず感じたのは、野菜の圧倒的な甘みだった。噛みしめるたびに、大地のエネルギーが弾けるような食感。だが、真の衝撃はその後に来た。


「……熱い。喉を通った瞬間、胃の中から熱気が逆流してくるみたいだ! これ、ただのスープじゃないな!?」 「ええ。食材の魔力特性を極限まで活性化させました。体内の魔力循環を強制的に正常化させる、『超高効率循環』のバフを乗せています」


 カイがさらりと言う。  それを聞いた瞬間、戦士の顔色が劇的に変わった。  くすんでいた肌に、みるみるうちに赤みが差し、額からは大粒の汗が吹き出し始める。


「おおお……っ! 回路の煤が、流れていく! 詰まってた魔力が、奔流みたいに暴れ……っ、……あッ!?」


 戦士が突然、腹を押さえて目を見開いた。  顔面が今度は蒼白になり、小刻みに震えだす。


「ど、どうしたの!? 毒!? カイ、毒を入れたの!?」  リノが慌てて立ち上がるが、カイは冷静に隣の棚を指差した。


「いいえ。……所長、例のものを。緊急です」 「例のものって……。あ、これ!?」


 リノが慌てて手渡したのは、このダンジョンの「本来の配布物」――魔法の簡易トイレだ。


「……っ!! 貸せえええええええっ!!」


 戦士はトイレをひったくるなり、ロビーの隅にある個室へと脱兎の如く駆け込んだ。  それを皮切りに、次々とスープを飲み干した冒険者たちが「あッ!」「うわああ!」「そこ退けええ!」と絶叫し、配布用のトイレを奪い合って個室へと消えていく。


 ……数分後。


 個室から出てきた戦士の姿を見て、リノは言葉を失った。


「……えっ。あんた、誰?」


 そこにいたのは、さっきまでの薄汚れた中年男ではなかった。  肌はつやつやと輝き、瞳には力が宿り、何より全身から「瑞々しい魔力」が溢れ出している。まるで十歳若返ったかのような、圧倒的な清涼感。


「……ふぅぅ。信じられねえ。空っぽだ。俺の体の中に溜まってたゴミが、全部出ちまった……」


 戦士は自分の掌を握りしめ、驚喜の声を上げた。


「軽い……っ! 体が、まるで羽根みたいに軽いぞ! さっきまでの倦怠感が嘘みたいだ! 視界がクリアで、空気の匂いまで鮮明にわかる。おい、兄ちゃん……これ、聖水より効くんじゃないか!?」


「あはは、ただの野菜スープですよ」 「嘘を言え! この快感……ダンジョンの奥で高価なポーションを見つけるより、ずっと価値がある!」


 他の冒険者たちも、スッキリとした「賢者のような顔」で次々と戻ってきた。  彼らは一様に、空になった皿を見つめ、それから自分たちの武器を見つめた。


「……なあ。こんなに体が軽くなっちまったらさ。今さら暗い穴倉に入って、またドロドロに汚れるの……嫌じゃないか?」 「同感だ。この最高のコンディションのまま、街へ帰って奥さんとデートでもしたい気分だよ」


 彼らは結局、誰一人としてダンジョンの門を潜ることなく、軽やかな足取りで街へと引き返していった。


 嵐の去った後の受付ロビー。  リノ所長は、山積みになっていたはずの「簡易トイレ」の在庫が底をついているのを見て、頭を抱えた。


「……カイ。あんたのせいで、うちの在庫管理がめちゃくちゃよ。トイレの補充、王都に特急便で頼まないと」 「すみません、所長。でも、皆さんあんなに清々しい顔をして」 「……まあ、そうね。入場料は取れてないけど、トイレの『使用料(特別寄付金)』で、また新記録が出ちゃったわ」


 リノは、銀貨が詰まった袋を重そうに持ち上げた。  もはやここはダンジョンの受付ではない。  心と体を洗濯する、世界一贅沢な「公衆トイレ付きレストラン」になりつつあった。


「さて、所長。予備のスープ、飲みますか?」 「……飲むわよ。私も最近、ちょっと肩が凝ってたの」


 リノが皿を差し出したその時。  ダンジョンの入り口の向こうから、地響きのような足音が近づいてきた。  ただの冒険者ではない。重厚な鎧の擦れる音。    ――いよいよ、あの「お騒がせ男」の登場だった。


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