第3話:行列のできる受付窓口
「――おい、押すな! 俺の方が先に並んでたんだ!」 「うるせえ! 俺は昨日の夜から、ここの『匂い』を想定してコンディションを整えてきたんだよ!」
朝の六時。本来なら鳥のさえずりと霧の音しかしないはずの辺境ダンジョン『奈落の口』。 その入り口には、およそ冒険者ギルドの出張所とは思えない光景が広がっていた。
フルプレートの騎士、短剣を腰に下げた盗賊、さらには杖を杖とも思わず行列の整理に使う魔術師たち。 彼らは一様に武器を鞘に収め、殺気のかわりに凄まじい「食気」を放ちながら、一枚の鉄板を見つめていた。
「……ねえ、カイ。これ、夢じゃないわよね?」
受付カウンターの奥で、リノ所長が震える手で帳簿を握りしめていた。 彼女の視線の先では、カイが巨大な鉄板を魔導コンロの上にセットし、手際よく「何か」を並べている。
「夢じゃありませんよ、所長。皆さん、お腹を空かせていらっしゃるんです。……さあ、第一陣、焼けますよ!」
カイが鉄板に水を差し込み、蓋を閉じた。
――ガガガガッ! ジュワアアアアアアアッ!!
鉄板の中で沸騰する水と、蒸し焼きにされる肉の脂が奏でる重低音。 それは、空腹の冒険者たちにとって、どんな勇壮な凱旋歌よりも魂を揺さぶるリズムだった。
「この音……! この音が聞こえるか? 中で肉の旨味が閉じ込められてる合図だ……」 「我慢できん。昨日はパンナコッタの噂を街で聞いて寝れなかったんだ。今日は『鉄板餃子』だっていうじゃないか!」
蓋の隙間から、白く熱い蒸気が噴き出す。 その中には、強烈なニンニクの香りと、パンチの効いたニラの刺激、そして焦げた小麦粉の香ばしさが凝縮されていた。 風に乗って漂うその香りが鼻腔をくすぐった瞬間、列のあちこちから「ぐうぅ」と地鳴りのような腹の音が響く。
「よし……いい色だ」
カイが蓋を跳ね上げた。 そこには、三日月のような形をした餃子が、幾列にも美しく並んでいた。 底面はキツネ色を通り越し、完璧なまでの「パリパリの羽根」を纏っている。上面は蒸されて艶やかな真珠色。
「さあ、お待たせしました! 『奈落の鉄板餃子』、特製ラー油ダレを添えてどうぞ!」
「うおおおおお!」
一番乗りの重戦士が、震える手で皿を受け取った。 彼はカウンターの隅に陣取ると、まだ熱を帯びた餃子を一つ、タレに潜らせてから口に放り込んだ。
「ハフッ! 熱、あづッ……! でも……う、うわあああああ!!」
咀嚼した瞬間、パリッと小気味よい音がした。 それと同時に、モチモチの皮を突き破って、閉じ込められていた熱々の肉汁が溢れ出す。
「なんだこの弾力! 噛むたびに肉の繊維から旨味がほとばしりやがる! このタレ、ただの辛い油じゃねえな!? 微かに柑橘の香りと……それから、このピリッとくる刺激が、肉の脂をさらに甘く引き立ててやがる!」
「こっちも……っ! このパリパリの羽根だけですら、上質なスナックみたいに香ばしくて……。ああっ、もう一個、あと一個だけ!」
冒険者たちは、もはやダンジョンの入り口を「攻略すべき試練」とは見ていなかった。 彼らにとってここは、過酷な探索の前に立ち寄る補給所ですらない。 ここが「ゴール」なのだ。
「おい、受付のお兄さん! もう一枚、いやあと三枚焼いてくれ! これを食わなきゃ、今日は一歩も動けねえ!」 「俺もだ! 今日は攻略の日じゃない、餃子の日だ!」 「死霊の騎士? そんな骨っこ、この餃子の満足感に比べたら砂利みたいなもんよ!」
カイは笑顔を絶やさず、次々と餃子を焼き続ける。 かつて戦場で、数千人の兵士を「戦わせるため」に飯を作っていた頃とは違う。 今は、誰かの戦う気を「削ぐ」ために作っているような感覚だ。だが、その表情は以前よりずっと明るい。
その時、リノ所長が真っ青な顔でカイの袖を引いた。
「……カ、カイ。ちょっと、これを見て」
彼女が差し出した帳簿には、殴り書きの数字が並んでいた。
「本日の入場料収入……ゼロ。誰も『中』に入ってないから。でも、その下の……付帯サービス、つまり飲食代の合計を見て」 「ええと、銀貨で……これだけですか?」 「そうよ! たった一時間で、王都にあるギルド本部の支店一カ月分の利益を叩き出してるわ。……しかも、この『簡易トイレ』の売れ行きも異常よ。みんな『餃子をたらふく食った後は備えが必要だ』って言って、飛ぶように売れていく……」
リノは、ガタガタと震えながら、黄金色に焼けた餃子を自分の口に運んだ。
「……悔しい。悔しいけど、これなら攻略なんて進まなくていいわ。この餃子があれば、私は一生、この辺境の窓口でいい。カイ、あんた……本当は何者なの?」
「ただの受付ですよ、所長」
カイは涼しい顔で答えると、鉄板に新たな水を差し込んだ。
――ジュワアアアアアッ!
再び沸き立つ蒸気と、冒険者たちの歓声。 ダンジョンを攻略すべき者たちが、その入り口で胃袋を完全に制圧される。 それは、世界で最も平和で、そして最も「不真面目」な光景だった。
「さあ、お次の方! ニンニク多めもできますよ!」
カイの声が、不気味な洞窟の奥まで響いていく。 その香りに誘われるように、暗闇の奥から何やら「別の影」がこちらを伺っていることなど、今は誰も気付いていなかった。
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