第2話:入場料より「お代わり」ください

「――おい、新人ども。死にたいのか? ならさっさとその錆びた剣を置いて、こっちの列に並べ」


 朝一番。ダンジョンの重苦しい鉄門が開く音よりも先に、リノ所長の鋭い声がロビーに響いた。  受付カウンターの前に立っていたのは、昨日とは別の、いかにも「夢と希望に溢れています」といった顔をした新人パーティーだ。


「な、なんだよ急に! 俺たちはこの『奈落の口』を攻略して、一攫千金を狙いに来たんだ!」 「そうだわ! 入場料の銅貨三枚なら用意してる。さっさと通して!」


 鼻息を荒くする少年剣士と、杖を握りしめた少女。彼らの装備は新調されたばかりで、革の匂いがツンと鼻を突く。  カイはその後ろで、せっせと「ある準備」を整えていた。


「所長、あまり脅かさないでください。……皆さん、おはようございます。まあ、攻略の前に少し落ち着きませんか? 丁度、炊けたところなんです」


 カイがカウンターの下から取り出したのは、使い込まれた土鍋だ。  蓋を少しずらした瞬間――。


 ――ふわり。


 白く艶やかな湯気が、まるで生き物のようにロビーを駆け巡った。  炊きたての米が放つ、甘く、懐かしく、そして暴力的なまでに食欲をそそる香り。


「な、なんだ……この匂い。ただの米……だよな?」 「……うそ。お米って、こんなに透き通った匂いするの……?」


 先ほどまで「一攫千金」と騒いでいた新人の足が止まる。  カイは微笑みながら、小鉢にふっくらとご飯を盛り、その中央に小さなくぼみを作った。


「うちの受付は今、キャンペーン中でして。入場者に『試食』を出してるんです。……リノ所長、卵を」 「わかってるわよ。はい、これね」


 リノが差し出したのは、昨日よりもさらに鮮度の良い、契約農家直送の「魔鶏の卵」だ。  カイは慣れた手つきで殻を割り、黄金色の黄身を、真っ白なご飯の頂へと落とした。


 白銀の山に、太陽が昇る。  そこへカイ特製の「極・醤油タレ」をひと回し。  カツオと昆布、さらに魔獣の干し肉から抽出した出汁を煮詰めたそのタレは、琥珀色の輝きを放ちながら、ゆっくりと卵の縁を染めていく。


「……さあ、冷めないうちにどうぞ。黄金の卵かけご飯です」


 少年剣士は、唾を飲み込みながら小鉢を受け取った。  最初は警戒していた。しかし、鼻をかすめる「出汁と醤油」の香ばしさに、理性が音を立てて崩壊する。


「……いただきますッ!」


 箸で黄身を突き崩す。  とろりと溢れ出した濃厚な黄金が、熱々のご飯一粒一粒をコーティングしていく。それを一気に口へとかき込んだ。


「――ッ!!!」


 少年の動きが止まった。  いや、震えている。


「あ、熱い……っ! でも、なんだこれ……っ! 卵が、信じられないくらい濃い! 舌の上にバターを乗せたみたいに溶けて……そこに、この黒いタレが……っ。ガツンと来るのに、後味が驚くほど上品だ!」


「ちょっと、私にも食べさせなさいよ! ……んんっ!? ま、魔法……? これ、魔法がかかってるわ! 噛むたびにお米の甘さが爆発して、卵とタレがそれを完璧にエスコートしてる……。飲み込むのがもったいないくらい!」


 新人たちは、もはやダンジョンの入り口にいることを忘れていた。  カチャカチャと小鉢を叩く音だけが響く。


「……おい、兄ちゃん。これ、お代わりはあるか?」 「ええ、もちろん。ですが……」 「金ならある! 銅貨三枚なんてケチなことは言わねえ! お代わりだ、お代わりをくれ!」


 カイは苦笑しながら、彼らの小鉢を回収した。  今度はさらに豪華に、カリカリに焼いた「ちりめん雑魚」の魔導具煎りをトッピングして出す。


「お待たせしました。味変のアクセント付きです」 「うおおおおお!!」


 二杯目。  三杯目。  新人たちは、もはや「攻略」という言葉を辞書から消し去っていた。  腹が満たされるにつれ、彼らの顔から殺気が消え、代わりに福々しいまでの満足感が漂い始める。


「……なあ」  少年剣士が、空になった四杯目の小鉢を見つめながら、ポツリと呟いた。 「俺、さっきまでこの奥にあるっていう『伝説の金貨』を探しに行くつもりだったんだ。でもさ……」


「でも?」


「これ以上の幸せが、あの暗くてジメジメした穴の奥にあるとは思えないんだよ。……なあ、俺たちは何のために命を懸けようとしてたんだっけ?」 「……わからないわ。今、私の頭の中は、さっきの卵の余韻でいっぱいよ。ドラゴンと戦うより、この余韻を壊したくない」


 二人は顔を見合わせ、深く溜息をついた。  そして、まだ抜いてもいなかった剣のベルトを緩め、カウンターに背を預ける。


「兄ちゃん、ごちそうさま。……入場料じゃなくて、これは『食事代』だ。取っておいてくれ」


 少年が置いたのは、銀貨五枚。  入場料の銅貨三枚とは比較にならない大金だ。


「えっ、こんなに頂けませんよ」 「いいんだ。命を救われた代金だと思えば安いもんさ。……俺たち、今日はもう帰るわ。この気分を台無しにしたくない」 「ええ。明日、また『朝ごはん』を食べに来るから。予約できる?」


 新人たちは、清々しいほどの笑顔で、一度もダンジョンに足を踏み入れることなく去っていった。


 ロビーに残されたのは、炊きたてのご飯の残香と、呆然とするリノ所長。  リノはカウンターの上に置かれた銀貨五枚を指先で弾いた。


「……ねえ、カイ」 「はい、所長」 「あいつら、入場料(銅貨3枚)を払わずに、その百倍以上の銀貨を置いていったわね」 「そうなりますね」 「……このダンジョン、攻略されるより、入り口で食い止め続けた方が儲かるんじゃないかしら?」


 リノの目が、金貨と同じくらいギラリと輝いた。  カイは炊飯土鍋を洗いながら、窓の外を見つめる。


「所長、それは困りますよ。僕はただの受付なんですから」 「嘘おっしゃい。その手つき、ただの受付がやっていいレベルじゃないわよ」


 カイは答えず、ただ静かに笑った。  かつて千人の兵士を支えた技術は、今、たった二人の新人の「無謀な死」を食い止めたのだ。


 空は青く、ロビーは静かだ。  しかし、カイの鼻は捉えていた。  風に乗って、また別の「腹を空かせた獲物」がこちらへ近づいてくる匂いを。


「……さて、次のお客様は何を欲しがるでしょうか」


 こうして、奈落の口ダンジョンの二日目は、一人の犠牲者も出すことなく、黒字で幕を閉じた。


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