『ダンジョン受付の賄い飯が聖水より効くんだが? 〜入場料より食費で稼ぐ異世界スローライフ〜』

春秋花壇

第1話:転職先は「何もない」ダンジョン

「――はい、次。並んで。文句言わない、死にたくなきゃ食え」


 巨大な寸胴鍋から放たれるのは、家畜の餌かと思うほどに煮崩れた、灰色の何か。  かつて所属していた超一流ギルド『黄金の盾』の調理場は、カイにとって戦場そのものだった。千人分の腹を満たすためだけに、鮮度も味も無視して「カロリー」を叩き込む作業。


「おい、カイ! もっと早くしろ! 騎士様たちが腹を空かせてるんだ!」 「……もう、無理だ」


 ある朝、カイは包丁を置いた。  心が、乾いたパンのようにボロボロと崩れる音がしたのだ。


 ――そして一ヶ月後。


「はぁ……。静かだ。静かすぎる」


 カイは今、王都から馬車で三日かかる辺境の地、『奈落の口』と呼ばれるダンジョンの入り口にいた。  新しい職場。仕事内容はシンプル極まりない。


「ええと、本日の業務。入場料の徴収、銅貨三枚。それと、この『魔法の簡易トイレ』を渡すこと……。これだけ?」 「そうよ。これだけ」


 カウンターの横で書類を丸めて枕にしていた所長のリノが、面倒そうに片目を開けた。  長い金髪はボサボサで、軍服のような制服も着崩している。かつては王国のエリート騎士だったらしいが、今は「やる気の欠片も感じられない公務員」そのものだ。


「ここ、そんなに人が来ないんですか?」 「来るわけないでしょ。最下層まで行っても大したお宝はないし、道中は狭くて暗くて不潔なだけ。物好きな新人がたまに来て、三階層くらいで『漏れそう!』って言って走って帰ってくる。だからそのトイレを配ってるの。わかったら寝かせて」 「はあ。平和でいいですね……」


 カイは窓の外を見た。見えるのは深い森と、口を開けた不気味な洞窟だけ。  かつての戦場のような喧騒はない。千人の怒号もない。  ただ、一つだけ問題があった。


「……腹が、減った」


 ぐうう、と情けない音が洞窟に反響する。  朝から何も食べていない。辺境すぎて売店もない。  幸い、荷物の中には「これだけは」と持ってきた最低限の調理器具と、道中で買った食材がある。


「所長、ここで火を使っても?」 「……死なない程度に好きにしなさい。あ、爆発は勘弁」


 許可は得た。  カイはカウンターの隅に、愛用の小さな魔導コンロを置いた。  まずは、リュックの奥から取り出したオーク肉の燻製。それを厚さ二センチはある「厚切り」にカットする。


 ――ト、トトトトト。


 小気味よい音が、静かな受付ロビーに響く。  次に、旅の途中の農家で分けてもらった、殻の赤い新鮮な卵。そして、昨晩の残りの黒パン。


 カチッ、とコンロに火を灯す。  熱されたフライパンに、厚切りベーコンを並べる。


 ――ジッ。ジワワワ……ッ!


「……っ、いい音だ」


 冷えた空気が、一瞬で熱を帯びる。  肉の脂が溶け出し、フライパンの上で小さく跳ねる。燻製の香ばしい香りが、霧のようにロビーに広がっていく。  カイは鼻をひくつかせた。これだ。この「命が焼ける匂い」こそが、料理人の生き甲斐だったはずだ。


 ベーコンにこんがりと焼き色がついたところで、卵を割り入れる。  パカッ、ジュワッ!  真っ白な白身が周囲で踊り、中央で鮮やかなオレンジ色の黄身がぷっくりと盛り上がる。


「お、おい……。カイ、あんた何を……」


 寝ていたはずのリノが、ゾンビのように身を起こした。鼻をひくひくと動かしている。


「朝食です。あまりにお腹が空いたので」 「な、何よその暴力的な匂いは……。ベーコンをそんな厚く切るやつがあるか……っ」 「仕上げに、この岩塩を少々。あとは予熱で」


 カイは傍らで黒パンを炙り、その上にベーコンエッグを豪快に乗せた。  とろりと溶け出した黄身が、ベーコンの溝を伝い、香ばしく焼けたパンに染み込んでいく。


 その時だった。


「お、おい……なんだこの匂い……。天国か?」


 ダンジョンの奥、暗い洞窟から這い出すようにして、三人の若者が現れた。  全身泥だらけ、鎧は傷だらけ。新人パーティーだろう。リーダーらしき戦士が、鼻をヒクつかせながらフラフラとカウンターへ歩み寄ってくる。


「あ、お疲れ様です。ええと、入場料……じゃなくて、帰りですか?」 「そんなことより……それをくれ」 「えっ?」 「その、パンに乗ってるやつだ! 俺たちは三日間、湿った干し肉とカビ臭い粉ミルクで耐えてきたんだ! もう限界なんだよ! 金なら払う!」


 戦士の目は血走っている。後ろの魔法使いの少女にいたっては、パンを見つめたまま涎を垂らしていた。


「あー、これは僕の賄いで……」 「頼む! このままじゃ入り口の段差を越える体力もないんだ! 一口でいい、その黄金の塊を……!」


 カイは困ったようにリノを見た。リノは既に自分の分を確保しようと皿を持って待機している。


「……仕方ないですね。すぐ焼きますから、座ってください」


 そこからは、戦場だった。  ただし、かつての嫌な戦場ではない。  次々にフライパンへ投入されるベーコン。弾ける卵。  カイは魔法のような手際で、パンを焼き、具材を乗せていく。


「はい、お待ち。厚切りベーコンエッグのオープンサンドです」


 戦士が震える手でパンを掴み、大きな口を開けてかぶりついた。


「――っ!!」


 咀嚼した瞬間、彼の目が見開かれる。  カリッとしたパンの食感。その直後に押し寄せる、ベーコンの濃厚な旨味と脂の甘み。そして、それらをすべて包み込む、黄身のまろやかなコク。


「う、美味すぎる……。なんだこれ、肉が、肉が口の中で暴れてやがる! 塩気が……汗をかいた体に染み渡る……っ!」 「この卵、濃厚すぎて……まるで飲み物みたい……。はふ、はふっ、熱い、でも止まらない!」


 三人は無我夢中で食らいついた。  あまりの勢いに、ロビーには「ハフハフ」という吐息と、咀嚼音だけが響く。


 最後の一欠片までパンの耳で皿の黄身を拭い取り、彼らは深々と椅子に背を預けた。  その顔には、先ほどまでの悲壮感は微塵もない。あるのは、温泉に浸かったような蕩けた笑顔だ。


「……なあ。俺たち、これから最下層の『死霊の騎士』を倒しに行こうぜって話してたよな?」 「……無理。もう動きたくない。お腹いっぱいで幸せすぎて、戦う理由が見当たらないわ」 「俺も……。このままここで、昼寝して帰りたい……」


 リーダーの戦士は、満足げに財布から銀貨を一枚取り出し、カウンターに置いた。


「入場料の代わりだ。釣りはいらねえ。……なあ、兄ちゃん。明日もこれ、やってるか?」 「ええ、まあ、仕事ですから」 「そうか。……よし、明日も『入り口まで』来ることにしよう」


 彼らは配られた簡易トイレ(結局使わなかった)を大事そうに抱え、朝陽の差し込む外へと帰っていった。  一歩も攻略を進めずに。


「……。ねえ、カイ」


 リノが、自分の分の皿をピカピカに舐めとった後で、真剣な顔をして言った。


「はい、所長」 「明日から、入り口に看板出しなさい。『本日のメニュー』ってやつ。……それと、お代わり。あと三枚はいけるわ」


 カイは苦笑しながら、再びベーコンの塊に包丁を入れた。  千人のために作るより、目の前の数人を「骨抜き」にする方が、どうやら性に合っているらしい。


 辺境ダンジョンの受付。  どうやらここは、思った以上に忙しくなりそうだった。


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