第1章 羅刹侯爵家の嫡男(続き)
凌雲が十五歳に達した時、天魔教内の権力構造は大きく変わっていた。龍淵軍の規模は、既に五百名を超える精鋭武人たちで構成されるようになっていた。他の継承者候補たちの部隊も成長していたが、凌雲の龍淵軍が最も組織的であり、最も強力であることは疑いの余地がなかった。
楚雲の鬼刹軍は、依然として最大の規模を保っていたが、その戦力は龍淵軍に及ばなくなっていた。蘇妍の毒蛇団は、その暗殺能力で知られていたが、正面戦では龍淵軍に対抗できないと考えられていた。羅刹辰、林昭、月蛇、羅刹鐵、羅刹影といった他の継承者候補たちも、各々の領域で力を示していたが、凌雲の前では、やはり一歩劣る存在として見なされていたのである。
血羅刹は、このような権力の集中を見ながら、静かに観察を続けていた。彼は、凌雲の成長が、自らの期待をはるかに超えるものであることを認識していた。同時に、彼は、凌雲という存在が、やがて自らの地位をも脅かす可能性があることを、本能的に感じていたのである。
ある日の深夜、凌雲は血羅刹に呼び出された。教主の私室は、黒い気が渦巻く異様な空間であった。血羅刹は、凌雲を前にして、静かに口を開いた。
「凌雲よ。お前の成長は、見事なものだ。お前は、真に、わが教の希望の星である。だが、一つ、お前に与えねばならぬ試練がある。それは、最終的な継承者選別の儀式である」
凌雲は、血羅刹を見つめた。その瞳には、何の恐れもなく、ただ冷徹な好奇心のみが宿っていた。
「その試練とは、何ですか。父よ」
血羅刹は、凌雲の言葉に満足げに頷いた。
「他の七名の継承者候補のうち、一人を選び、その者を倒すのだ。倒すとは、殺すことを意味する。お前がこの試練を成し遂げれば、お前は、疑う余地なき後継者の地位を獲得する。そして、わが教の教主として、この世界を支配する者となるであろう」
凌雲は、この言葉を聞いて、微かに沈黙した。彼の心の中では、複雑な感情が交錯していた。龍淵軍の部隊長たちの顔が、彼の脳裏をよぎった。蘇妍の、彼に向ける忠誠心に満ちた瞳が。羅刹辰の、やや揺らいだ忠誠心が。
だが、その迷いも、瞬間の間に消え去った。凌雲は、自らの運命を受け入れた。
「わかりました。父よ。その試練を受け入れます。ですが、倒すべき者は、誰を選ぶべきでしょうか」
血羅刹は、凌雲の言葉に微かに笑った。
「それはお前が選ぶのだ。ただし、相手が誰であれ、確実に倒さねばならん。もし失敗すれば、お前はこの地位を失うであろう」
凌雲は、血羅刹の前で頭を下げた。その時、彼の心の中には、既に決断があった。倒すべき相手は、自らの兄弟とも呼べる楚雲であった。楚雲は、血羅刹の嫡子であり、天魔教の正統な後継者として育てられた者である。彼を倒すことこそが、凌雲が教主の地位に相応しき者であることを、最も明確に示すことになるだろう。
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凌雲が楚雲に決闘を申し込んだのは、その三日後のことであった。決闘の場所は、天魔教の秘密の闘技場に設定された。この闘技場は、天魔教内での最も重要な決闘が行われる場所であり、その光景は、教団内の指導層によって見守られることになっていた。
楚雲は、凌雲の決闘の申し込みを受けて、深い怒りを感じた。彼は、血羅刹の嫡子であり、自らこそが教主の正統な後継者だと思っていたのである。凌雲という存在は、自分よりも後から教団に加わった者であり、血の繋がりのない、いわば部外者に過ぎないと考えていたのだ。
だが、楚雲も、また、凌雲の力を認めないわけにはいかなかった。彼は、この決闘を、自らの正当性を示す機会だと捉えた。自分が凌雲を倒すことで、自分こそが、教主の座に相応しき者であることを示すのだと。
決闘の当日、闘技場には、天魔教の指導層を含む多くの者たちが集まった。血羅刹自身も、高い壇上に座って、この決闘を見守っていた。
凌雲と楚雲が、闘技場の中央に進み出た時、その場の空気は、張り詰めたものとなった。二人の間には、十年以上にわたって積み重ねられた競争の歴史と、教主の座を巡る野心が、無言のうちに流れていたのである。
血羅刹の合図により、決闘は始まった。
楚雲は、凌雲に対して、天魔教の伝統的な秘法「鬼刹拳法」を繰り出した。その拳は、空気を裂き、地面を揺らすほどの力を持っていた。だが、凌雲は、その攻撃を軽々と避け、龍淵心法の掌法で反撃した。
楚雲は、凌雲の攻撃に対して、自らの内功を最大限に高めて対抗した。二人の戦闘は、激しさを増していった。闘技場の壁は、彼らの衝撃によって、ひび割れ始めた。
だが、次第に、凌雲の優位が明らかになっていった。龍淵心法は、鬼刹拳法を完全に上回る力を示していたのである。楚雲の攻撃は、次第に緩くなり、その防御も、穴が増えていった。
最後の瞬間、凌雲は、龍淵心法の最強奥義「龍淵掌」を繰り出した。その掌には、淵龍珠の力と、龍鳳心法の精髄が凝縮されていた。黒く輝く光が、楚雲の胸部を直撃した。
楚雲の体は、闘技場の壁へ叩き付けられた。血が、彼の口から流れた。彼は、もう立ち上がることができなかった。
凌雲は、楚雲の前に立ち、静かに言った。
「鬼の子よ。お前の時代は終わった。これからは、龍の時代である」
凌雲の言葉は、単なる勝者の宣言ではなく、天魔教全体に対する、新しき時代の到来を告げるものであったのである。
血羅刹は、壇上から、深く満足げに頷いた。彼は、凌雲の勝利に対して、力強く拍手を送った。その拍手は、やがて、闘技場に集まった全ての者たちに広がっていったのである。
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凌雲が十八歳を迎えた時、天魔教内での権力構造は、完全に変わっていた。楚雲の敗北の後、他の継承者候補たちも、凌雲の圧倒的な力を認め、次々とその傘下に入るようになっていったのである。蘇妍は、既に凌雲の側近として、その忠誠を誓っていた。羅刹辰も、龍淵軍の副指揮官として、凌雲を補佐することを受け入れた。
月影は、凌雲の養育者として、その成長を見守り続けていた。彼女は、凌雲の中に、何か本当のものを失ったものの悲しみを感じていた。だが、彼女は、それを言葉に出すことはなかった。教団の者として、感情よりも義務を優先することを、彼女は長年学んできたのである。
凌雲は、時々、自らの心の奥底に、わからぬ感情を感じた。それは、喪失感であり、また同時に、何かを求め続ける渇望であった。龍淵心法の修行の中で、彼は、時折、前世の断片的な記憶をより鮮明に思い出すようになっていたのである。
白鳳派。龍鳳剣。龍淵秘窟。淵龍珠。蓮心真人。
これらの言葉が、凌雲の心の中で、何か重大な意味を持つことを、彼は本能的に感じていた。だが、その意味は、彼にはまだ理解できなかったのである。
ある夜、凌雲は月影を訪ねた。月影は、天魔教の中でも限られた者たちのみが知る、秘密の部屋で、古い文献を整理していた。凌雲が入ると、月影は静かに彼を見つめた。
「凌雲よ。何か、悩みがあるのかな」
凌雲は、月影の前に座った。彼の声は、通常の冷徹さを失い、どこか迷いに満ちていた。
「月影よ。私は、本当は、何者なのでしょうか。私の中には、この世界のものではない、何かが存在しているように感じます。それは、一体、何なのですか」
月影は、凌雲の言葉を聞いて、静かに息をついた。彼女は、長い間、このような質問が来ることを予期していたのである。だが、彼女が何を答えるべきか、彼女は知らなかったのだ。
「凌雲よ。お前は、天魔教の子である。それが、全てです。それ以上のものを求めれば、お前の心は、永遠に不安定なままであるでしょう」
月影の言葉は、凌雲の心を、完全には満たさなかった。だが、凌雲は、その言葉を受け入れることにした。教団の者として、自らの疑問を押し殺すことは、彼にとって、既に当たり前の習慣となっていたのである。
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凌雲が二十歳を迎えた時、血羅刹は、正式に凌雲を自らの後継者として発表した。天魔教の全指導層が、この決定を認めた。凌雲は、教団内で最も権力を持つ者として、その地位を確立したのである。
血羅刹は、凌雲に対して、教主の座を譲る準備を始めた。彼は、老いており、自らの生命が長くはないことを、よく理解していたのだ。凌雲は、段階的に、天魔教の統治を引き継ぎ始めた。
その過程で、凌雲は、天魔教の真の姿を知ることになった。教団は、単なる邪派ではなく、一つの巨大な権力構造であり、江湖全体の中で、正派と対抗する陰謀的な存在であったのである。
凌雲は、龍淵軍を率いて、天魔教の領地を拡大し、正派や官府の目を逃れながら、教団の影響力を高めていった。彼の戦略は、常に冷徹であり、感情に左右されることはなかった。
だが、凌雲の心の奥底では、依然として、何かが足りない感覚が存在していた。それは、自らが何であるのか、自らの本当の出身は何であるのか、という根本的な疑問であったのである。
その疑問の答えが、やがて、江湖大会という舞台で、衝撃的に明かされることになるとは、この時点では、凌雲も、月影も、血羅刹も、予期していなかったのである。
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凌雲が二十二歳になった時、血羅刹は、ついに、教主の座を凌雲に譲った。凌雲は、天魔教の新しき教主として、その全ての権力を手に入れたのである。
龍淵軍は、天魔教の最精鋭部隊として、凌雲の意志を実行する強大な力となっていた。蘇妍、羅刹辰、月影といった側近たちも、凌雲の指示に絶対的に従った。
凌雲は、教主として、天魔教を、さらなる高みへと導き始めた。その過程で、彼は、江湖全体に対する影響力を急速に増加させていったのである。
だが、そのような中にあっても、凌雲の心には、依然として、何か本当のもの——本当の家族、本当の故郷、本当の自分——を求め続ける想いが、深く根ざしていたのである。
それは、やがて、江湖大会という、運命の舞台で、激しく、そして悲しく、爆発することになるであろう。
蒼き龍の暴君 ~転生の黒き宿命~ @saijiiiji
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