第2話塵

帝国皇帝の演説は、あらゆるチャンネルで流されていた。

ジャックのボロい携帯端末ですら、それを遮断することはできなかった。


「連邦の戦士たちよ、お前たちは誰のために戦っている?」

その声は低く、よく通る磁性を帯び、どこか不安を掻き立てるような誠実さすら含んでいた。

「砦に隠れている将軍どものためか? それとも、お前たちを『低価値デコイ』としてタグ付けした量子主脳のためか?」


一拍置いてから、声はやわらいだ。


「帝国は、お前たちの出自など見ない。見るのは戦功だけだ。投降した兵士には、土地と金と尊厳が与えられる。

今のように――データストリームの中の、取るに足らない一つの減員数値として処理されるのではなくな」


ジャックは自分の顔を触った。まだ残っている。

投降? そんな選択肢はない。

ドラゴンの連中が「裏切り者」をどう扱うか――特に、連邦の軍事技術を握っている裏切り者をどうするか――確かめる気は毛頭なかった。


このデカブツは死ぬのが怖い。だが、バカではない。


降伏なんて、ありえない。

だが、生き延びること――それだけは最後まで捨てない信仰だった。


ジャックは自分なりの信仰を選んだ。

――二本の足で走ることだ。


息を整える暇も、気の利いた台詞を吐く余裕もない。

あるのはただ、一心不乱に走ることだけ。


生身の脚で機甲と競走だなんて、正気の沙汰じゃない。

ジャックは自分の最高速度が時速25キロであることを知っていた。

機甲を相手にすれば笑い話でしかない。


それでも――

古い火星系の遺伝子改造を受け継いだ、デカいだけの整備工としては、悪くない数字だった。


ジャックは砲弾クレーターの縁に腹ばいになり、軍用双眼鏡で戦場を覗いていた。

十数機の「パラディン(Paladin)」こそが、自分が逃げ出すためのチケットだった。

彼らが突破できれば、後ろに食らいつく。

全滅すれば――その時点で、ジャックの命もそこで終わる。


戦闘の中心は、つい先日まで彼が居た小高い丘だった。

十数機のパラディン――銀白の装甲に、胸部には連邦の双頭の鷲の紋章――が、必死に北へと突破を試みている。

その四方から押し寄せてくるのは、少なくとも五十機はいる「ベクター(Vector)」による漆黒の蜂群だった。


数の差は絶望的。

それでも、パラディンたちはまだ崩れてはいなかった。


中型パルスレーザーが一斉に火を噴き、青白い光線が空気を切り裂き、先頭を走るベクター数機を焼き払う。

その機甲のシールドは被弾のたびに色を変え――濃い青から橙へ、そして最後には完全に消失した。

三機のベクターが四散し、爆散した動力炉の衝撃波が周囲の機体を巻き込み、地面に叩きつける。


だが、ベクターの数が多すぎた。


十数機のベクターが突然、高周波の咆哮を上げる。

パラディンの通信システムは一瞬でノイズに飲まれ、ホワイトアウトした。

連携を失ったパラディンの隊形が、じわじわと崩れ始める。


その瞬間だった。

二機のパラディンが同時に前方へ加速し、跳躍して宙に舞い上がる。

そして左翼側に固まっていたベクター群へ向けて、精密な点射を浴びせた。


四連装のプラズマミサイルが弧を描き、

密集していた三機のベクターが、爆炎に呑まれて消えた。


だが、残りのベクターがすぐさま空中の目標をロックオンする。

数十本のレーザーとミサイルが、一斉に放たれた。


二機のパラディンは空中で互いに接近し、機械の腕を相手の胸部に叩きつけ、そこを支点に弾くようにして瞬時に左右へと飛び散った。

ミサイルは、つい先ほどまで彼らがいた空間で爆発し、何もない空を派手に吹き飛ばすだけに終わる。


同じ時刻。

後方から、二十数機の連邦機甲「ヴァンガード(Vanguard)」――パラディンより軽量で、さらに古びた機体――が戦場へと雪崩れ込む。

彼らはそのままベクターの群れに突っ込み、白兵距離まで肉薄した。


高周波の咆哮は止む。

ベクター部隊は一度後退し、再編成を図る。


ジャックは耳栓代わりに押し込んでいたサイレンサーを外し、油と泥で汚れた軍用通信機を掴み上げた。

傷だらけのパラディンたちの方角へ走り出しながら、彼は怒鳴りつけるように無線に叫んだ。


「こちら後方整備兵、伍長ジャック・ハーラン! パラディン隊、応答しろ! 東へ行くな、そこは袋小路だ!」


雑音混じりの電流ノイズのあと、荒々しく警戒心に満ちた声が返ってきた。

「誰だ? このチャンネルは暗号化されてるはずだ!」


「三日間もお前らの油圧管を直してやったデカい整備工だよ!」

ジャックは荒い息を吐きながら続けた。肺はふいごのようになっている。

「聞け、東の高地には帝国軍の『スコーピオン』砲が張り付いてる! さっき弾道をこの目で見た! 南は沼地だ。お前らみたいな重量級が入ったら、格好の的だ!」


「他に道はない! レーダーは全部ジャミングされてる!」

パイロットの叫びは、絶望に滲んでいた。


「俺には目がある! 耳もある! この数日、クレーターに張り付いて、このクソみたいな場所の隅から隅まで見てきたんだ!」

ジャックの声は恐怖とアドレナリンで震えていたが、その内容は妙に論理的で、無駄がなかった。

「北へ行け! 乾いたタイタン川の川床に沿って進むんだ! あそこには巨大な磁鉄鉱脈が走ってる。ベクターのセンサー・ロックを乱せる! 生き残る道は、そこしかねえ!」


コクピットの中は、一瞬、重苦しい沈黙に包まれた。


信じるべきはレーダーか――

それとも、泥の中に伏せていたデブの整備工か。


数秒後。

先頭のパラディンが、決断を下した。


「全機聞け! 俺に続け! 北へ――川床だ!」


エンジンが吠え、十数機の巨大な銀白の機甲がゆっくりと向きを変える。

ぎこちないが、迷いのない動き。

重い金属の足が地面を砕き、砂と土を巻き上げていく。


軽量級のヴァンガードたちが、後方からそれを追うように動き出した。

後退射撃をしながら、必死に隊列に食らいついていく。


ジャックはその場に立ち尽くし、

鉄の巨人たちが轟音を上げながら走り出す様子を見送った。


「おい! 待てって!」

ジャックは最後尾の機体に向かって全力で駆け出し、腕を振り回した。

「俺も乗せろ! エンジンだって直せる! オーバーヒート保護の回避方法も知ってる!」


最後尾のパラディンが、わずかに減速した。

機械の頭部がぐるりとこちらを向き、独眼のようなセンサーアイが青く瞬いた。

まるで、ジャックをじっと値踏みしているかのように。


パイロットの声が、共通回線に乗って響く。

そこには、ためらいと、わずかな申し訳なさが滲んでいた。


「悪いな、相棒。もう満載だ。それに……今ここで止まってお前を拾ったら、たとえ十秒でも、ベクターに尻を噛まれる」


「は? おい、ちょっと――」


「幸運を祈るぜ、整備工」


エンジンが爆ぜるように吠え、青い排気炎が噴き出す。

その機体は一気に加速し、その衝撃波がジャックの身体を吹き飛ばした。

熱を帯びた砂が、容赦なく彼の顔面を打つ。


すべての機甲が去っていった。

時速100キロで北へと駆け抜け、タイタン渓谷の黒い影の中へ消えていく。


舞い上がった砂埃が、ゆっくりと落ち着いていく。


戦場は、再び静寂を取り戻した。

聞こえるのは、遠方から近づいてくるベクター部隊特有の――蜂の群れのような、低く唸るノイズだけ。


ジャックは身を起こし、手首のSTARK-2を見た。

スクリーンには、パラディン編隊が急速に戦域を離脱していること、彼らの生存確率が37%まで上昇したことが表示されている。


そして彼自身の生存確率は――2%。


「くそっ……」

ジャックは口元を歪め、笑った。泣き顔よりひどい笑いだった。

「そうだよな。デカい連中から先に逃げる。小物は尻拭い。――公平じゃねぇか」


STARK-2の機械的な声が響く。

「Fatty、周辺に敵性反応17件を検出。生存推奨行動:走行。至急走行してください」


ジャックは大きく息を吸い込み、TSR-9を拾い上げた。

膝が笑いそうになるのを、力ずくでねじ伏せる。


「行くぞ、相棒」

彼は端末に向かって言った。

「今回も、自力で逃げ切るしかねぇな」


遠くから、機甲のエンジン音が聞こえてくる。

ベクターが迫っていた。


ジャックはくるりと背を向け、逆方向へと走り出した。

火星系の遺伝子改造が施された肺が、まだ彼を支えてくれている。

だが、それが長くは持たないことも、彼は知っていた。


英雄たちは北へ向かった。

突破し、生還を賭けて。


そして彼は――

ただの一人のFattyは、南へと走る。


遠く、煙と火の揺らめきの中に、最初の一機の黒い「ベクター」機甲が姿を現した。

そのV字型の赤いセンサーが、煙霧の向こうで妖しく明滅する。

まるで、死神の目のように。


これが、戦争の真実だ――


生き残るのは、いつだって、塵の中に置き去りにされた者たちだ。

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